苦手なことをやってみる
卒業式がありました
日本語学校に勤めて、2年半。2回目の卒業式を迎えました。2年間は学生はもちろん、私にとっても長いようで短い‥でも思い出が詰まった時間でした。初めて入学して、卒業するまでを見てきた学年なので、感慨深かったなと。
日本語だけではなく、日本のマナーや文化まで。全く違う土地に来た学生たちは、考え方も習慣も何もかも違う。こちらが驚くことの連続だった。時間や締切を守ること、ごみの捨て方、連絡の大切さ、あいさつの仕方、面接…
「日本のルールはたくさんあって大変だ」
「日本人はいつも疲れている!」
なんて学生に言われたっけ。確かに、そうかもしれないなぁ。注意してもしてもしても、なかなか連絡しなかったり、遅刻したり、嘘をついたり。日本のルールを守ってもらうことは、今後日本社会に就職するときに、必要だと思ってやってきたけど、学生のその発言にも考えさせられる。ひとたび、日本を出れば、そんなルールは何ともないのかもね。そんなことを考えつつ、でも何よりも日本の生活に慣れて、日本語が本当に上手になった彼らを見るとうれしくなるのでした。
苦手なことへの挑戦
小中学校の頃の私は、人前で話すことは本当に苦痛なことでしかなかった。汗が吹き出して、前を見れなくて、上手く声が出てこない。だから、大人になって教師として人前に立って教えているなんて、想像もしなかっただろう。きっかけは、高校生のとき。国際交流に関心があった私は、日本語教師の存在を知った。そして、進学した大学。でも、必修科目にはプレゼンやスピーチ、模擬授業の数々。嫌でも人前で話すしかなかった。
最初はやはり、声が小さいのを何度も指摘された。それでは、せっかくの内容が伝わらないと。(歯並びが悪かったことが自信を失くしてた大きな原因だけど。)そして、何よりも声が小さいだけで、聞いてもらえなくなると… その後何度も何度も授業の中で繰り返しで、少しずつ慣れていったんだと思う。それでもどうしても苦手意識は消えなかったな。
今では、学生たちとの会話を楽しむことができているし、スピーチの例を即興で作ることもある。それだけで、克服できたんじゃないかな。この仕事で成長した、学んだことは、色々あるけれど、何よりも人前に立つことを臆さなくなったことだと思っている。苦手なことだけれど、続けてきてよかった。それが好きに変われば、それほどうれしいことはない。
そんなことを、花開く梅の枝を見て思いました。続けていれば、いつか花は咲くと。