ゆうき
スリランカの満月の日、ポヤデーについてのマガジンです
主にここでは、Vasant Lad氏のTextbook of Ayurveda Volume1からVolume3までを読んでまとめています
今回のポヤデーはアビィヴァップポヤデーです。 特徴は2つあります。 ①お釈迦様が再び地上界に降りてこられたときです。 お釈迦様を生んだマヤ夫人は、その7日後にこの世を去りました。そして忉利天(トウリテン・天界)に転生したとされています。お釈迦様はかつてこの天に昇り、実母のマヤ夫人のために7月から3ヶ月間説法され(※アビダルマ)、10月に再び地上界に降下されたそうです。 地上界に降下された地を三道宝階(サンカシャ)といいます。3つの階段が天上界から築かれ、中央の黄金の階段
友達とはなしていて、最近忘れていた言葉をひとつ思い出しました。それは「努力」です。 改めて振り返ってみると、自分が努力なしでできるようになったことはひとつも無いことに、気づきました。 それで、これはすごくいいことに気が付いたと思いました。 というのも努力は、自分がしようと思えばいくらでもできるからです。 ここ数年は努力自体はもちろんしていましたが、 いくら努力してもいいということには気づいていませんでした。 同じように理解もそうです。 興味がある
いろいろ記事書いて、どれも似たり寄ったりな内容だったから、結論だけぎゅぎゅっとまとめてみた! 1:「理解すること」が自己目的化して、いつの間にか自分が実行者ではなく、批評家的思考になってしまうことを避けたい。テレビから聞こえてきた言葉を思い出す。「計算のできない人はただの批評家だ」「腕が折れるまで計算しろ」 理解だけでなく「やる」人でいたい。 2:「自分が本当にできること」と「できる気になっていること」の差を見分ける必要がある。そうでないと自己イメージが悪い意味で肥
今月のポヤデーはビナラポーヤといいます。 女性のお坊さん「比丘尼(びくに)」が認められた日です。 初の比丘尼は仏教の開祖であるお釈迦様の育ての母親です。 このポヤデーではマヒヤンガナというスリランカの地域でペラヘラ(行列)が行われます。 ちなみにこのマヒヤンガナという地域にはマヒヤンガナラジャマハビハーラという古代の仏教寺院があります。 お釈迦様が初めて国を訪れた場所と考えられています。 以上、9月のポヤデーの紹介でした! ブドゥサーラナイ
今回のポヤデーは、2つの特徴があります ①第1回結集 ②初転法輪 ①第1回結集 お釈迦様の教えを仏教徒たちが合議のうえで仏典を編集した出来事、その集まりのことを 結集といいます。 スリランカでは"Dhamma Sangayana"といいます。 この出来事をお祝いする日です! ②初転法輪 お釈迦様が初めて教え(法輪)をサルナート(鹿野苑・ろくやおん)という所 で5人の修行仲間(五比丘)に初めて教えを説いた出来事を指します。 この最初の説法を初転法輪といいます。そして
スリランカでは満月の日を「ポヤ・デー」といい、聖なる日とされています。 不浄な行い(経済活動、食肉、飲酒)を控えて清らかな心でお祝いするのが習わしです。 祝日となり、お店や、学校、会社はお休みです。 アルコールやお肉の販売及び提供が禁止になります。 ポヤデーには、仏教徒は白い服を着て寺院に行き、祈りを捧げて、お花をお供えします。 それぞれの満月の日には名前があり、 仏教のイベントがあります。 これから、毎月それぞれ満月の日の特徴について紹介していきます! ブドゥサ
オトナミューズという雑誌にモデルの梨花さんの連載記事があります。 2018年9月号の記事がすごく印象に残っているので、そこから考えた事を書きます。 その記事で梨花さんは、雑誌の表紙の写真について話していました。 日本のファッション誌は年齢とジャンルで細かくカテゴライズされていて、表紙は求められるものに合わせていくものと考えていた彼女。しかし、ある日そのことにふと疑問を抱いたそうです。 オトナミューズの表紙としてはちょっと違うのかもね、という理由で表紙候補から外したある写真
イーシャアッラー ムスリムの友達から教えてもらったアラビア語です。 この言葉はわたしのお気に入りの言葉です。 イーシャアッラーとは、 「アッラーのお望みならば」「アッラーのご意志ならば」「アッラーのみぞ知る」と言った意味です。 人生で起こることすべてはアッラーの意思で決まるという考えから、未来で起こる(であろう)ことあるいは未来でやることへのはっきりとした断定を避けるために使うようです。 この言葉はとにかく色んな場面で使われています。ムスリムの友達との会話では頻出しま
誰かと一緒に生きるとは逆説的に自分の人生の主語を自分にすることだと思います。 わたしが「自分の人生の主語を自分」にできたのは就活の時です。 彼氏の勤務地が東京だから 親が大企業での就職を望んでいるから 周りの人はわたしに何を望んでいるのか。どういう決断をしたら喜んでくれるのか。そういうことをだらだら考えて、悩みました。 でも結局、この決断の先の人生を他でもない、自分が生きていかなければいけない。そう思った瞬間、主語は自分だ。という言葉が出てきました。 人生の決断など