共同親権について考える
3月8日。
国際女性デーということもあり、方々で女性の権利が訴えられる中
日本の国会にて、離婚後の共同親権の導入に向けた民法改正案が提出された。
恥ずかしながら、このニュースを見るまでこの問題について考えた事がなかった、というのが正直なところ。
このニュースに対し、反対・賛成さまざまに意見を述べている人をみて、考えなしの自分が恥ずかしくなった。
けれども見過ごせないニュースだと思い、自分はどう思うか。
じっくり考えてみた。
結論として、わたしは現在の日本で共同親権を導入することには、反対。
というか、制度自体には賛同できるけれど、日本でやるには時期尚早にもほどがある、という感じ。
その前にやるべきことが山ほどあるのでは。
一般的に言われているさまざまなメリットはそうだよね。そりゃその通りだと思うよ。
親権争いしてる親を見るのもつらいよね。とか。
全部理解できる。
でも、それを解決するのは今じゃない、背負うリスクが、いまの日本社会では、大きすぎると感じる。
世界的に、共同親権をとっている国の方が多いこと、そっちが、スタンダードになっていく所以も、わかる。
国際カップルの離婚後の子どもの連れ去りとか、問題になっているもんね。それも、わかるよ。
けれども、こと日本においては。
ジェンダー・ギャップ指数125位/146か国(2023)の日本においては。
共同親権が導入されることにより、救われる親子の方が少ないのではないだろうか。
この改正によって救われる人の数より、救われない、むしろ最悪の状況になる人の数の方が多いのではないだろうか。
今回の改正案、どうやら離婚したら、ベーシックプランが共同親権、ってことになるらしい。
単独親権を得るには、裁判所でDVがあったことを証明するっていうオプションをつけなきゃなんない。
それは単純に考えて、DV/モラハラが原因でパートナーと離婚を考えている人の立場に立ってみたら、絶望に拍車をかけると思った。
離婚に加え、裁判所でのDVの証明という壁まで立ちはだかるのだ。
想像しただけで、絶望的。
そもそも、このDV/モラハラ人間を生み出しているのは、日本における男らしさ・女らしさという根強いしがらみのせいではないか?
強くあるべき、金を稼ぐべき、男は泣いてはいけない、そうしたレールに乗ることのできないプレッシャーから、自分を受け容れられずに妻を縛りつけてしまう夫。
つつましくあるべき、夫を支えるべき、家事をなんでもこなすべき、そうした日本的女らしさから逃れられず、そこから逸脱する自分を受け容れられず、夫へ矛先を向ける妻。
この日本的な男らしさ・女らしさというしがらみの矛先が互いのパートナーに向けられ、モラハラやDVが発生しうるのだと思う。
そうして、ようやくしがらみから解放されるべく離婚を決断したパートナーに待っている「共同親権」という壁。
離婚してもなお共に子育てをと?
それは、離婚をつきつける側にも、つきつけられる側にとっても優しくないと思った。
このしがらみをほぐすための法整備・社会風土の醸成のほうが、圧倒的に先なのでは、と思ったのだ。
それをせずして共同親権なんて掲げられても、救われない親子とパートナーの未来しか見えない。
正直わたしは、いい意味で、女性の底力や発信力みたいなものを信じている。
だから、これから女性が権利を獲得していくことは当然のように思い描ける。
あまり心配していない。
それよりも、男性らしさに縛られている男性の方が、見過ごされている気がしている。
夫から妻へのDV/モラハラの多さは、その結果ではないか?
ここの改善を飛び越えて「共同親権」を獲得することに、メリットはあるんだろうか。
国際女性デーならぬ、国際男性デーはあまりフィーチャーされていない事実が、現実を物語っている。
声を上げられない、上げようとも感じないまま大人になってしまった男性たちの声ではなかろうか。
話を戻すと、男らしさ・女らしさを手放すことのできた先にあるのが「共同親権」という制度だと思う。
それを手放す前に、制度が先行するのは時期尚早、と考えている。
身近な男性が、女性が、どんな考えを持っているか。
これまで当たり前に植え付けられてきた、お互いの生きづらさを想像し、歩み寄ること。
この果てしなくジェンダー指数の低い国のパートナーシップをよくする方法は、それしかないんじゃなかろうかと思う。
yukie
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