すけ

横浜の某大学大学院M2 日々のまとめです。

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横浜の某大学大学院M2 日々のまとめです。

最近の記事

エアポケット

日常でふと、深い深い刹那的な孤独を感じるときがある。 取り付く島もないような、大海原にぽっかりと 寄る辺もないような、宇宙空間に放り出されたような 満ち足りている自分でありながら ふと、底のない孤独に飲まれる感覚がある もがき苦しむことなく溺れ息絶えるような そんな、瞬きよりも、ほんのわずかな、深い深い孤独

    • 就職活動を振り返って思うこと pt2

      ぼくは僅か5年ほどで学んだなかで、やりたくないこと、忌み嫌っていることには関わりたくないという思いで就職活動をしていた。 唯一、インターンに参加した第一希望といえる、狭い視野の中で四葉のクローバーのごとく見つけ出した、「ぼくのりそうの」企業から内定を得た。が、結局インターンなんて良い面しか見せてくれないだろう。やりたくないこと、信念(微かな)に関わらずに済むであろう場を射止めることができたが、入社後、僕を待ち受けているのは、今思い描く理想なのか。あるいは、いわゆる「入社後の

      • 就職活動を振り返って思うこと pt1

        雑感。まずは12~3月のことを。 留学を諦め、就職活動をすることになったが待ち受けていたのはコロナと不採用という大きな出来事。 当初リクルーターがついてくれるくらいまで希望が見えていた企業はコロナによって採用活動打ち切り。大体ここら辺がきつい時期の第一波。不安になって所かまわずエントリー。今思うと仕方ないとは言え愚かであった。これは三月下旬かな。 前後するが、二月の弊社(晴れて御社から弊社となったのだ、まだ内々定という宙ぶらりんな立場であるが)4daysインターン。悪く

        • 水深1900㎜

          言葉がなくとも構わない。 誰かを傷つけるくらいなら 余計な事を口にするなら 自己嫌悪に陥るなら 後悔するなら 二度と口を開くことがないのなら、ぼくは居なくても構わない。 些細なことかもしれない、気にするほどでもないかもしれない、 帰って嫌悪感にさいなまれ、空虚さにさいなまれ、 底が見えても、足がつかない。足がつかない。

        エアポケット

          犬と猫

          時雨も氷雨も土砂降りもいずれは止むものです 永久に止むことがないとさえ、二度と青空を見ることができぬと思おうとも、いずれは止むものなのです。 待っているだけでは、時間をやり過ごせば、いずれ止むころには外に出れましょう ただ、雨が止み、雲が切れ、青空が顔を見せた、あの刹那性にも似た感動をを目にするためには、時勢をよみ、タイミングを見計らって外に出なければなりません。 時間が解決してくれることが世のほとんどなのかもしれません。 ただ、それは雨の時間、苦難の時をどう生きる

          犬と猫

          前夜エピソード1

          残り一社であり、第一希望である企業の選考前夜 二次で、次最終。 泣いても笑っても最後になることでしょう。 一番準備万端といっても過言ではありません。 感覚的に、高校時代の選手権の感覚。 有終の美を飾って、完全燃焼して、目標をクリアして、一区切りつけたい。 絶対に負けられない戦いがそこにはある、のです。 まずは、残り二戦のうち、確実に明日の勝利を目指して がんばります

          前夜エピソード1

          晴れ間に

          月水にいつもゼミをMTがあるので、火曜は作業日(ほぼ毎日作業日ではあるが)ではあるものの、火曜日というものは心穏やかに過ごせる一日なのです。 おひるに裏のスーパーに行くために一寸外出したけれど爽やかな暑さで、いい気持ちだった。暑すぎず、カラッとした、気持ちが良かった。 麻婆茄子を作り、カレーの実験をし、という食事 コーヒーを飲み、お茶をいつも通り飲む。 こんな感じの一日が増えればいいな、七日のうちで。 なんだか、一日何もしない日、まったくないなあ、、とかちょっと思っ

          晴れ間に

          背の糸

          義務度高い:修論、PJ 義務度中:読書 義務度小:ネット、携帯、昼寝 注目してもらいたいのは読書だ。 いつも好きで読んでいるはずなのに、どこか義務のような、労力が要るような活動なのだ。 主体的であるはずの、単純な読書が、どこかパワーが要る これは昔からだ。これがもしかしたら活字を追うだけになっている原因なのかもしれません。

          背の糸

          もうひとり

          就活も終盤に差し掛かってきており、ようやく半年強に及んだ自己との対話がひと段落するのであります。 今思えば、三月ごろまでは行きたいと思って企業に迎合していた自分がいたのかもしれません。 今思えば、内定欲しさに自分ではない自分を描いていたのかもしれません。 ただ、今思うのはやはりその過程もあったうえで、明日があるのかもしれません。 プロセスに過ぎないともいえますし、それ自体がある意味自己を自己たらしめる、一部であったのかもしれません。 最後に、自分が一番長く思い描いて

          もうひとり

          木偶のぼく

          ぼくは壁さ 立ち向かうことさえできぬ 壁さ (壁 サカナクションより) 今日のMTで、うっかりしてやらなきゃいけない部分を未着手にしていた。 当然怒られ、時間が徒に過ぎる。 迷惑かけたな、と思い、反省もした。 怒りはより深い部分から、そして放射状に。 怒りはより自己内で完結させ、そして折り合いをつける。 情けなさは糧にしたい。誠実でありたい。 壁であろうと。せめてもの。

          木偶のぼく

          みちびき

          怒ってくれるひと、叱ってくれるひと、指摘してくれるひと 期待ゆえで、ぼくを思ってがゆえで、心配ゆえで そんな人を大切にしなきゃいけない、その思いにこたえなきゃいけない 襟元緩めばきちんと正すべし。 自覚があるならば軌道を修正すべし。 弱い自分には、強くありたい。 弱い自己には、負けてはならない。

          みちびき

          ふと、刹那

          詩、歌詞、って即興なのだろうか、このノートみたいに 多分、何度も推敲が重ねられてるのもあれば、即興で不可逆的なものもあるのだろう 良いものを作るには、時間も労力も不可欠だろう。今に知ったことではない。 一方で、即興で不可逆的なものは何を持つのだろう。 だから良さっていうのは何だろう。結局ぼくの琴線を揺らすかどうかなのだろう。

          ふと、刹那

          平行する視線

          小中高を共に過ごした親友が、見覚えのない、というか軽く別人格が現れた、ともいうべき変貌を遂げた親友あるいは幼馴染がいる 見た目が、ではない。スタンスというか、人格が変わったと感じてしまう。これは、ぼくの独占欲というか、それに近いものなのかもしれない。ただ一番むず痒いと感じてしまうことのひとつは、彼の関西弁である。 その友人は大学が近畿圏の大学に通っており、滋賀在住である。どうも、大学一年生くらいの時は、ぼくが知っている小中高の彼であった。 ただ、何かを境に、言動が「起業

          平行する視線

          せいかつを思案する

          学部二年の設計演習のTAをやっている。今、集合住宅の設計をしているが、多くは片廊下歩いた中廊下の様な構成のもの、機能一辺倒のもの。僕はこの課題にどう考えを持っていたかは忘れてしまったけど、やはり、知らないもの、未知の存在のものは決して作れないし、想像もできなければ、自分の生活にありふれたものしかできないのだな。ということは毎回思うことであるが。 カレーライスを知らない人がカレーライスを作ることができないように、自分がどんな空間でこれまで生活をしてきたかを考えたりしなければ、

          せいかつを思案する

          怪物

          隣人は朝四時までぼくを困らせました。 壁こんこんしたら、あっちからドンドンで帰ってきた。もうその時点で気持ち悪くて我慢した。 集合住宅に住んでて周囲への騒音を気にしない神経がよくわからない。日中すこし賑やかにしても夜は自制する。周りへの想像力だとか思いやりだろうが、こんなの基礎中の基礎ではあるまいか。 ましてや、うるさいです、と意思表示したにも関わらず逆上ともとれるリアクション。気味悪いし、想像力だとか思いやりの欠如が目に見えてわかる。 気味悪い。気持ち悪いし、関わり

          継続は力なり

          最後に書いて何日過ぎたでしょう。 日々の日課、ある意味課題化された日記も、緊急事態宣言発令から50日ほどたちおなざりになっていました。そして、今日、名ばかりともいうべき実のない宣言が解かれました。 最後の投稿から徐々に生活に対する姿勢がおろそかというか、中途半端になっていきました。そして、やはり、どこかで毎日実のある時間を過ごすべきであり、地に足付けた毎日を送るべきだと、ここ数日を振り返るとそのように思います。 身の程というか、ぼくらしい毎日ではなかったと思います。

          継続は力なり