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死の文化とお盆で感じたこと


死について色々文化背景を忘れちゃならんなーてことを仕事でもプライベートでも感じだから書き残しておこうかと🧐

とある海外の地方の方と関わることがあってね。
日本だと私達看護師は亡くなった方にエンゼルケアするじゃない👀
その国の一部地方では、亡くなった時点でご遺体には鬼やこの世のものではない物が周囲につくと言われていて🧐エンゼルケアって概念自体がないらしいのね🧐
でもその反面で、例えばもう死が近いってなった段階で、まだご存命している状態で死装束を着たり、すごい体を綺麗にしたりするんだと。
だから場合によっては、病院にれば承諾書を書いて病院で体を綺麗にして死装束を着て、家に搬送して、家に着いてから薬剤を止めたり必要な管を抜いたりするのも割とあるんだと。

だから、私達日本の看護師がエンゼルケアすることに驚いてたし、死が近い状態で物理的な死の準備をしない•死が分かってるのに家に帰れないってことにも、すんんんごく驚いてた🧐

生きることや、死ぬことだとか、人間てどこから人間なのかな?みたいな話って👀これまでも看護師だし考えてないわけではなかったけど、大学院で生命倫理の勉強してから、すごく考えたり調べるようになったよねー🧐

んで、私は昨年近しい身内が他界したんで、納骨したりお盆でお墓参りしたり、今年は日本のお盆らしいお盆をしてるんですよね😌

それにもいろーーーんな価値観があって。
親戚にも色々いるからね。
1人は日本のお盆の行事を全てちゃんとやることが故人のためだと考えてるし、1人は生前の故人を思い描き、そんなお盆らしいこと望まないからやめようと考えてるし、さらに言えば生前使っていた物や場所も残しておくのか全て処分するのかすらも、親戚一人一人の生死の価値観と生前の故人の捉え方によって全然違うのよねー🧐🧐🧐

かといって、親戚が故にアサーティブになれない様子とかもあったりなかったりで😇
なかなか人が生まれる•亡くなるってことに関して、同じ国内で同じ地域でも価値観違う訳だから。
違う都道府県や違う国とかの患者さんやご家族のと関わる時になんかなおさら、文化的な背景から個人の価値観まで考えてかなきゃなーと。そこに固定概念持って関わるのは危険だなーと、色々考えちゃったなぁ🧐

ってゆー話😌


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