【ライブ】ライブエンタメの意義 | ゼンジン未到とヴェルトラウム 銘銘編
帰りたくない。本当に帰りたくない。帰りのバスの中で半べそをかきながらこのレポを書いている。初の生ミセス。チケットが全く当たらなくて苦戦していたのに、2週間前の機材解放で奇跡的に当選。弾丸で関東から神戸まで追いかけてきた。本noteは、2024年7月7日にノエビスタジアム神戸で行われたMrs. GREEN APPLE ゼンジン未到とヴェルトラウム 銘銘編の記録である。以下ネタバレを含みます。
概要
セットリスト
大森元貴、実在してた。
大森大先生として慕うあまり偶像に近い感覚だったんだけど、ちゃんと、ちゃんと神戸にいました。ステージ上でのパフォーマンス能力さすがだった。アクセントの所在がしっかり分かる歌い方、広い会場でも力任せにならずに強弱があって表現が細かい。これをスタジアムの音響で、遠い席の観客にも分かるレベルでやってのけるって相当バケモノだ。この人アリーナ公演だったらどうなってしまうのか。音の取り方もたまらなく好きだ。歌詞に合わせたジェスチャー、ギター持たない時のフリーダンス、全ての音取りの解釈が一致してて本当に気持ちがいい。“華がある”って大森元貴のための言葉だ。
K-POP戦略?アイドル売り?
ミセス、やっぱりメンバーのバランスが天才的だ。というかそう感じさせるブランディングがうまい。大森元貴っていう最強すぎるプレイヤーを抱えるミセスだけど、彼をフロントマンとして目立たせつつも孤立させないプロモーションが上手い。メンバー全員のことを改めて好きになってしまった。
グループ内での役割を明確にすることは、組織においてだけでなく、エンタメのプロモーションにおいても大事なことだと強く感じた。フェーズ2のミセスのプロモーションは、いつもどこかK-POPアイドルを彷彿とさせる。元々K-POPの畑にいた期間が長い自分としては、常にどこか既視感があった。K-POPアイドルでは、ほとんどのグループでリーダーや年上年下が明確で、ボーカルラインとかラップライン、メインダンサー、リードダンサーといった役割も公式的に与えられている。さらにメンバーの性格に似せたマスコットキャラクターもいて、「やんちゃ」とか「ドジ」「真面目」「大人しい」「大食い」といったメンバーのキャラクターが分かりやすくなっており、その像を元にファンが拡散しコンテンツを再生産している。ミセスもメンバー一人ひとりの色が強く、それぞれのキャラクターが分かりやすくなっている。そのキャラクターの色の強さや分かりやすさというものは、K-POPの事例をもとに考えると、運営側が意図的に作ることができることが分かる。そして、その“分かりやすさ”は人々にウケるのである(と思う)実際のキャラクターと違う部分は多々あると思うが、「大森元貴ってこういう考え方だよね」とか「藤沢涼架ぽい!」みたいな“分かりやすさ”は大事だ。ミセスのその“分かりやすさ”は、個人的にはK-POPの畑と同じ匂いがした。
最近のミセスのこういった売り方を、よく“アイドルのようだ”とSNSで叩いてる様を見る。彼らは一応バンドだが、メンバーカラーを設けてみたり、ペンライトを販売してみたり、bubbleを始めてみたり。大森元貴自身は、彼らをバンドと解釈しようが、アイドルと解釈しようが好きでいてくれる分には構わないと公言していたことがあったが、個人的にも型やジャンルに縛られずに、売れることに貪欲なその姿勢はかなり好きだ。商業的な音楽をやることに何の躊躇いもなく、ちゃんと音楽で生きていくっていう覚悟が垣間見えるところが好きなんだ。それに、彼らはたぶん今のこの時期が彼らのアーティスト人生において大切な時期だということもきっと理解している上でのプロモーションだとも思っている。ウケそうなものは取り入れて、この20代の波に乗れる時期にMrs. GREEN APPLEとしての揺るぎない地位を獲得する感じ。それにそういうプロモーションの甲斐もあってか、今やミセスは日本で1番聞かれるアーティストとして圧倒的なポジションを確立している。このプロモーションの先で、これからどんな道を辿っていくのかもかなり楽しみだ。
楽曲の感想。生演奏の良さ。
今回のライブは大森元貴に歌わされることが多かった。青と夏の合唱すごかったな〜。ライブでアーティストが観客に歌わせるの、円盤見てる側からしたら萎える時があって、青と夏のCメロだって大森元貴の声で聴きたいんだよ!と思うこともある。まぁそんな感じでどこか観客に歌わせる行為へのプチアンチだったんだけど(笑)、今回歌わされてその価値観が変わった。自ら歌うからこそ得られるエネルギーありますわ。ダンスホールで「大丈夫!」って合唱した時は本当に人生大丈夫な気がして鳥肌止まらんかった。
ケセラセラの「ひとりぼっちだと気づいても繋がりが消えるわけじゃない」のところで、隣のお姉さんが泣き崩れていたのが印象深かった。きっと独りだと感じる瞬間があったのかなと、それでも今日という日を楽しみに乗り越えてきたことがあるのかなと思って、感動の伝染で自分もうるっときた。音楽が誰かの心に届いた瞬間を見たというか、音楽のこういう側面が大好きでたまらないんだ。
1番感動したのは『Dear』。「貴方」っていう歌詞が出てくるたびに大森元貴は必ずカメラ目線で、本当に彼に励まされるみたいで涙止まらん。AメロBメロはバラード調で優しくて、でもサビは力強いドラムが鳴り響いて。1曲の中に、静かに寄り添ってくれる大森元貴と背中を強く押してくれる大森元貴の2人いる感じ。バンドサウンドでよりその曲の雰囲気が感じられて、この曲がもっともっと大好きになった。楽曲のイメージ深くなるからやっぱり生演奏はたまらない。ラスサビの爆音ドラムが最高なので聴いてください…。
それとコロンブスめっちゃ良かった。あの騒動があったから正直セトリ入りしてるとは思ってなくて、イントロから歓声すごくて鳥肌。観客のほとんどがFC会員だしやっても良いだろうと判断してくれたんだろうか、アツい。全員でクラップ、メンバーもすっごく楽しそうに歌っていて、そうそうコロンブスってこういうポジティブなエネルギーを持ったパーティーみたいな楽曲なんだよなと再確認(号泣)あのままトラウマソングにならなくて本当に良かった。冒頭のコロンブスやるの!?!?の驚きの歓声が最高なので聴いてください…。
それと気になったんだけど、なぜバンドのライブはレスポンスを表拍で取るんだ?アイドルのライブって裏拍で取ること多いと思うんだけど、この差はペンライトの有無なのか?その曲は裏やろ〜!の曲も絶対表で取るから慣れるまで気持ちが悪い。自分の好きなノリ方でいいんだろうけど、ペンライトとの相性は悪いような。公式がペンライトとバンドタイプのライトどちらも売る理由が分かったような。
やっぱりエンタメが好きだ〜。
バンドのライブ、しかもスタジアム公演は人生初めてで、また新しい視点を貰えた気がする。“今日の”観客が何を求めてるのか、それを演出に反映させる必要がある。その点ではコンセプトによってライブタイトルを設けているミセスは本当に賢い。何のために人々はライブに行くのか、なんかそんなことを公演中考えていた。どうやったら観客にとって最高のエンタメを創れるんだろうか。生歌を聴きたい、同じ時を共有したい、単に日常の楽しみが欲しい。ライブに行く目的はいろいろあるはずだ。自分はエンタメが好きだからこそ、ライブに行くことは当たり前の選択肢で、機会があるなら勉強がてら行きたいと思ってきた。エンタメ業界で仕事をしたいと思っているからこそ、自分がライブに行くのは今でもどこか勉強的側面がある。でもそれが無くなった時、自分はなんのためにライブに行くんだろうか。ライブのこと、エンタメのこと大好きなのに、なんかほんと初歩的なところを見失っていたような気がしたというか。エンタメをエンタメが好きな人たちだけのものにはしたくないのに。ディズニーランドと一緒だ。オタクでないと楽しめない、そんな限定的なものにしたくない。会場が大きくなればなるほど、観客の満足度の平均をあげることは難しくなっていく。そんな中で私なら何をするだろうか、そんなことを考えるのがやっぱり楽しくてたまらない。はあ〜、どうしてもエンタメが好きだ。この世界で生きていきたい。そんなことを改めて感じたライブだった。
ライブエンタメの意義
ライブに行く意味とはやっぱり“人と人”だからだ。エンタメも就活もこの世の全て結局人と人の繋がりでできている、と思う。音楽はその先に受け取ってくれる人がいなかったら作り続けることはできない。バンドも活動していくことができない。確かにそれは個人のやりたいことかもしれない。でも、どうしても、それは自己と他者を繋げてしまうし、その繋がりの上でしか成り立たないところがある。ライブという環境で、アーティストとファン、ファンとファンを繋げること、同じ時を共有して繋がりを実感すること、これこそがまさにライブの意味だと現時点では思う。コロナ禍でオンラインライブとか授業が発達したけど、それではきっとダメなんだ。オンライン授業は効率がいいし、内容もオフラインと変わらない。でも学校での学びの意味ってたぶんそこにはなくて。同じ教室で同じ授業を受けること、たぶんそれが何かを学ぶことよりも大切なことなんだと思う。ライブも、就活も、研究も、誰かと繋がるためにあって。自分は人との繋がりをめんどくさく感じて効率ばかり追い求めてしまうことがあるけど、それではきっと成長に限界がある。人との繋がり、大森元貴が言うところの不純物だけど、そこを大切にしようと改めて思ったし、そんな繋がりの場を創れる人間でありた~いとも思った。また!ミセスに会えますように!
⚫︎表紙出典