見出し画像

留置所日記②7.23


7月23日
朝6時半起床。
目が覚めるといつのまにか朝になっていて、俺は恐ろしい籠の中にまだいた。
1番さんは自分の布団をたたんでその上に座って静かに佇んでいた。
飛び起きて真似をして布団をたたみ終わった時、鉄格子の扉が開けられそれぞれ自分の布団を別の部屋へしまいに行った。
そこから戻ると部屋の入り口に掃除機と、雑巾とブラシが入れられたバケツが置かれていた。
1番さんは掃除機を取ると僕にはバケツを持たせた。トイレ掃除のやり方を口頭で一通り教えてもらいやってみたが、裸眼のままだったので手が行き届いているか定かではなかった。
掃除を終えると夜と同じように部屋ごとに洗面が始まりこの時にやっとコンタクトレンズを装着することができて、世界の輪郭を捉えることができた。
外で暮らしていた時には部屋の中くらいは裸眼で平気に過ごしていた物だが、ここに来て安心できる場所がどれだけ尊い物だったか思い知らされた。
俺はあらゆる場面で守られていた。

部屋に戻るとすぐに朝食になった。
白米と、ピンポン玉ほどの大きさの練り物、ミートボール、漬物、レトルトの味噌汁、そして白湯が配られた。
昨夜と同様に1番さんとゴザを挟んで食事を開始する。
静かに白湯を飲み込むとお寺に修行に来ている気分になった。常に泣きたい頭でお寺で修行など俺にはとても無理だ。と思った。

朝食が終わると勾留初日の俺は東京地検に行く事になっていた。
前日の夜に1番さんに聞かされてはいたが、話以上にその日はとても辛い1日になった。
皆が部屋で待機する中一人呼び出され手錠をかけられると護送車に乗せられた。
近隣の警察署を3箇所ほど周りその日霞ヶ関にある東京地検に召喚される勾留者達を拾って向かった。
10人ほどが一列にロープと手錠で繋がれて護送車を降りるとそのまま壁に沿ってゆっくりとエレベーターまで進んで行く。犯罪者達の電車ごっこだ。と思った。
エレベーターから降りると床に貼られた赤いテープをまたぎながら歩かされた。
その際執拗に下を向いて歩くように言われた。誰かが頭を上げると『下を向けー!!』
と怒号が飛んできた。
ここには東京都内のあらゆる犯罪者が一同に集められる。共犯やその他の者との目線の合図や喧嘩を防ぐためだと説明された。
待機所となる牢屋が壁沿いにずらりと並んだ 
広い部屋に通されると手錠の検査、身体検査をした後、同じ護送車で来た者たちはバラバラの檻の中に振り分けられた。
檻の中は両サイドから木製のベンチがせり出しており間は人が一人通れるだけの狭さだった。
乗客が向かい合って座る小さい電車のような作りだった。
ベンチの頭の方には番号が振られており、言い渡された番号の席に座るように言われた。
奥に腰までの仕切りがあり洋式のトイレがあった。
飲み水はトイレの正面に設置されている洗面から直接手酌で飲めと言われた。

午前9時ごろに到着し収容され帰りの護送車に乗れたのが16時頃。
検察官の取り調べがあった30分ほどを除いてずっとこの木製のベンチの決められた箇所に黙ってため息さえも禁止された上、じっと座っていなければならなかった。
幸い日曜日は人が少ないらしく目の前の席は空席だった。
隣は自分を含めて4人。6人がけの席だったので少しずつ間を開けながら座ることができた。
全員が檻の中に入れられると一人の刑務官が大声で施設の空調は微調整ができない事、冬はあつく夏は逆に寒いという説明をした。
俺の隣、入り口側にいたメガネの大人しそうな奴は半袖で、さらに入り口側の金網越しからたいして必要もないのに扇風機の風が一定間隔で吹き込んで来ていた。
メガネくんは僕の風除けのような位置になっており気の毒だった。
この建物は昭和に出来た物でとても古くベンチの木目は人の座る位置で禿げていて、頭が当たる部分の壁は薄く黄ばんでいた。
何十年と幾千の犯罪者達がここで息を呑み頭をもたげ調べを待っていたのだ。
足を組むのは自由だが間のスペースが狭い為手前の人間が奥のトイレに行く時に躓く恐れがあるので気が抜けなかった。
何時間も無言のまま壁を見つめて固いベンチに座り続ける。
自分のした事を否が応でも考えさせられ、検察になんと言われるのか、何と言うべきか繰り返し考えた。
その間も隙間を埋めるようにあの女の笑った顔や悲しませた顔が入れ替わり立ち替わり浮かんできては犯罪者達の視線の先の焼けた黄ばみになっていった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?