140字では語りつくせぬ映画愛 第3回「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」
第3回は世界で高い評価を得た日本映画です。
では質問。世界で評価される邦画ってどんなジャンルでしょうか。そうです、黒沢映画かアニメ映画です。
今回取り上げます映画は押井守氏が監督を務めた1995年公開の長編アニメーション作品『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』。(以下GITS)
アメリカなどで高い評価を受けまして、ビルボード誌の週刊ビデオランキング1位を取りました。一説ではかの『マトリックス』に強い影響をもたらしたと言われています。
そして先日、とうとうハリウッドによる実写映画「ゴーストインザシェル」が公開されました。
スカーレット・ヨハンソン主演のアクションガンガンエンターテインメント作品でした。ビートたけしに桃井かおりも出てまあまあ楽しめましたね。
しかしオリジナル版にはもう…遠く及びません。というかオリジナル版レベルの面白さ出すとか全く期待していなかったので、、、
そのおかげで楽しめた感じ。それくらい95’年の「GITS」は名作なんです。
あらすじ
” 企業のネットが星を覆い
電子や光が世界を駆け巡っても
国家や民族が消えてなくなるほど
情報化されていない近未来 “
(『GHOST IN THE SHELL』オープニングより)
↑ただの香港じゃね?と思ったアナタ。未来の日本です
人々の多くは体の一部またはすべてを人工器官にする”義体化”を施し、脳を直接ネットに接続できる”電脳化”を行っています。
ほかにも光学迷彩(透明マント)とか他人の脳へのハッキングとか魅力たっぷりの近未来世界が舞台です。
主人公は脳のほんの一部以外の全身を義体化した公安9課の捜査官草薙素子(クサナギ モトコ)、通称”少佐”。
↑少佐。綺麗な人だが義体化によりゴリラより怪力
公安9課とは内務省直属の少数精鋭の捜査機関。少佐は公安9課の課長である荒巻や相棒のバトーといった仲間とともに日夜テロなどの組織犯罪やサイバー犯罪を追っています。
映画本編では世界的ハッカーである「人形遣い」の追跡がメインの事件ですが、なかなか正体はつかめません。
↑公安9課の捜査官バトー(右)とトグサ(左)
また、全身のほとんどが人工物である少佐は自分が人間なのかあるいはロボットなのか、そもそも草薙素子という人間は存在したのか、国に作られた記憶と体なんじゃないか、という疑問を抱えています。
少佐は自分が自分であることを何を以て認識できるのかわかりません。
↑悩む少佐
そんな中「メガテク・ボディ社」の生産ラインに不明のプログラムが侵入、一体の女性型義体を製造します。9課に鹵獲されたその義体は脳が入っていないにもかかわらず喋りだし、「人形遣い」を名乗ります。
しかもどうやらその義体には「ゴースト」が宿っているらしいことが判明。
ゴーストというのは「魂」とか「意識」「自我」の様なもの。とにかく本来人間にしか備わっていないはずのものです。
あげくにそのプログラム”人形遣い”は「自分は生命体である」と言い出すのです・・・。
↑人形遣いが操る義体
はい、難しい。しかも説明省いてますが、近未来SFのくせにやれ亡命事件だのやれ国際政治だの小難しい事件が事の発端ときてる。まあ、その辺のリアルさも魅力の一つ。
ダークナイトがまさにそうなんですが、アメコミやアニメであえて「マフィアの資金洗浄の阻止」とか「プログラマーの国外亡命」とかリアルなテーマ扱われると興奮する傾向にあります。沖津が。
ただ難解ではあるものの、その世界観や設定のすごさ、押井監督の哲学は画面を通してこれでもかくらい味わうことになります。
しかしこの映画の最大の魅力は登場人物のセリフたち・・・
この映画には絶え間なく心や脳髄に突き刺さる至極のセリフたちが登場します。
” 人間が人間である為の部品はけして少なくない様に、自分が自分である為には、驚くほど多くのものが必要なのよ。
他人を隔てる為の顔、それと意識しない声、目覚めの時に見つめる手、幼かった時の記憶、未来の予感、それだけじゃないわ。
私の電脳がアクセス出来る膨大な情報やネットの広がり、それら全てが私の一部であり、私という意識そのものを生み出し、そして同時に私をある限界に制約し続ける ”
(草薙素子『GHOST IN THE SHELL』より)
↑語る少佐
つまり「今」という瞬間を切り取って考えても個人は個人たり得ない。たえずその個人が生きてきた、またはこれから生きていくコンテクストのうえでしか語りえず、規定できない。脳や体に刻まれた経験や記憶など少佐が言っている多数の要素が個人を規定します。
そして、少佐には、それがない。に等しい。
体も、脳も、人工物である彼女にとって記憶も経験も幻である可能性が否定しきれない。故にその存在を疑わざるを得ないのです。
我々はどうなんでしょうか。現実の世界も攻殻機動隊の世界に近づいています。ネットの急速な普及は空間を超えて、時間の壁を越えて世界中の人間をつなげます。
いいねやリツイートによってどれが誰の経験なのか、誰の意思なのか、自分の思考か他者の思考か、何に共感し何に反発しているのか曖昧になっていってるんじゃないか、と指摘されているようです。
” それを言うならあなたたちのDNAもまた、自己保存のためのプログラムに過ぎない。
生命とは情報の流れの中に生まれた結節点のようなものだ。
種としての生命は遺伝子という記憶システムを用い、人はただ記憶によって個人たり得る。たとえ記憶が幻の同義語であったとしても、人は記憶によって生きるものだ。
コンピューターの普及が記憶の外部化を可能にした時、あなたたちはその意味をもっと真剣に考えるべきだった。 ”
(人形遣い『GHOST IN THE SHELL』より)
↑語る人形遣い
お前は生命体じゃなくてプログラムだろうが!とツッコまれた人形遣いの返しのセリフ。む、難しい・・・
我々のDNAもまたプログラムである。特定の遺伝情報がこの地球上に残り続ける際に必要な運び手こそが生命体である、と人形遣いは述べているようです。
そして自分もその定義にならえば生命体であり、日本への亡命を要求する権利を有している・・・?と主張している・・・?
先ほどのセリフの考察も自分の勝手な解釈なので自信はないのですが、このセリフの解釈はより一層不安。
自分に娘がいると思い込んでいた孤独な清掃員、生命体であることを主張するプログラム、ヒトならざる力・・・
記憶の存在を疑わなければならない、すなわち自分が自分であることを疑わなければならない事件の連続。さらにはヒトと機械との境界も溶け出していく。
そんな状況の中、素子は葛藤と疑惑を強めていき、最後には非常に衝撃的な決断を下すことになります。
人形遣いの事件は素子にどんな決心をさせたのか、それはぜひ本編を観てほしいと思いますが。。。結末も予想外です。
最後にもう一人!
沖津には非常にお気に入りのキャラクターがこの作品にいます。
そう、この方。バトーさん。
少佐の頼れる相棒です。少佐に惚れているのは明らかですが、それが報われない思いであることも分かっていて、どちらかというと尊敬に近い感情を抱いています。
その辺の機微も色んな場面で描かれていてたまらん、と。
本作の続編である『イノセンス』ではこの方が主人公です。こっちも面白いのでいずれ書きたいと思います。
そんなバトーさんのセリフで今回は締めましょう。
” 疑似体験も夢も存在する情報は、全て現実でありそして幻なんだ。
どっちにせよ一人の人間が一生のうちに触れる情報なんて僅かなもんさ ”
高度なテクノロジーが人間存在に与える影響を問いかけてくる本作。本格的なネット社会になった今こそ観るべき作品ではないでしょうか。
次回投稿は5月4日を目標にしています。そう、5月4日といえば・・・