140字では語りつくせぬ映画愛 第11回『ランボー』ベトナム帰還兵の苦悩
1.ベトナム戦争とアメリカ映画
アメリカにおいては「ベトナム戦争」あるいは「ベトナム帰還兵」が映画のテーマとして選ばれることが少なくありません。大量の死者、現地人への殺戮、買春、理想と大義の揺らぎ、敗戦ー。アメリカ国民にとって忘れがたきこの負の歴史はこれを経験した者はもちろん見聞きした者にもなにかを主張させたり語らせたりするのに十分すぎるほど衝撃的なのでしょう。
ベトナム戦争及び帰還兵を描いた映画は沖津が今思いつくだけで今回扱う『ランボー』の他にも
『プラトーン』『地獄の黙示録』『タクシードライバー』『フルメタルジャケット』『ディアハンター』『フォレストガンプ』とまあ多いです。どれも名作ですね。
2.『ランボー』概要
『ランボー』はジョン・ランボーというベトナム帰還兵を描いたアクション映画です。ランボーがベトナム戦争を経て身に着けた戦闘センスとサバイバル術で敵をバッタバッタと倒していく、という非常に単純なお話。この映画の興味深いところは戦う相手です。
映画の舞台である80年代初頭、アメリカにおいてベトナム帰還兵に対する蔑視は根強く残っていました。帰還兵への扱いは日本人でもなんとなく知っているところです。戦争の現実を知ったアメリカ国民はいわゆる「愛と平和」に目覚め、反戦運動の矛先を帰還兵に向けたのです。
ランボーが相手取るのは言ってしまえば「アメリカ国民」。祖国のために戦ったランボーが国に帰ってきて一般国民と戦う、という展開がなんとも切ない。
3.『ランボー』あらすじ
81年の冬、ランボーはベトナム戦争時代の戦友を訪ねてワシントン州の田舎町に訪れますがすでにその戦友はベトナム戦争の化学兵器の後遺症で死亡していました。戦友宅を後にし、街へ出たランボーが保安官に因縁をつけらたことから本題はスタートします。
偏見から逮捕され連行されたランボーは保安官たちから拷問まがいの嫌がらせを受けベトナム時代のトラウマがフラッシュバック、その場にいた保安官全員を素手でノックアウト、山へ逃走。
保安官どもは山狩りを開始、ヘリまで出動させ戦闘の停止を呼びかける無抵抗のランボーに対し発砲し射殺を図ります。この辺を契機に反撃に転ずるランボー。そこら辺に落ちていた石をヘリに向かって投擲、ヘリ隊員1名を殺害しさらに山奥と姿を消し、仇打ちとばかりに加熱する保安官たちとの孤独な「戦争」を開始するのです。
森に入ったランボーはもう、とにかく強い。ベトナム戦争、つまり数多のジャングルでの戦闘を潜り抜け、ゲリラ戦において右に出る者がいない彼は保安官を一人また一人と無力化しいきます。そして最後に残った保安官のリーダーを樹に押し付けのど元にナイフを突きつけたランボーは耳元でこう呟くのです。「この山では俺が法律だ」
4.ラストシーン、ランボーの独白
この作品の一番の見どころであり、沖津がそもそもこの記事で書きたい部分、終盤で保安官事務所に立てこもるシーン。「対ランボー専門家」として召集されたベトナム時代のランボーの上官トラウトマン大佐が単身保安官事務所に乗り込み、州兵や州警察に完全に包囲されたランボーに「投降しろ。戦いは終わった。」と告げます。この後のランボーの台詞が刺さります。
まだ何も終わってない
言葉だけじゃ何も終わらない
ベトナム戦争終結から7年。いまだ止まない批判の声、いまだ続くトラウマ。彼の中では戦争は終わっていない。寡黙で冷静だったランボーはせきを切ったようにかつての上官にして唯一の理解者でもあるトラウトマン大佐に戦後の苦悩を語ります。
俺たちを赤ん坊殺しだなんだと言いたい放題だった。
奴らに何が言えるんだ。
奴らはなんだ。
あそこにいたのか。
俺らと同じことを経験して喚いてるのか。
ヘリにも乗った、戦車にも乗った、100万ドルの武器も自由に使った。しかし国に帰ってみれば駐車場の警備員という職にも就けない。戦場には友達がいて、助け合っていたけれど国では誰も助けてくれない。ランボーは泣き、喚き、叫びます。
みんなどこへ行ったんだ。
向こうじゃ友達がごまんといた。
ここには何もない。
ベガスで遊ぼう、シボレーをタイヤが擦り切れるまで乗り回そう。そんな帰国後の夢を語り合った大勢の友人は、もういない。そして沖津が一番好きなシーンはこの独白のラスト。ランボーの頭から離れない彼の悪夢、最悪の記憶。
子供がやってきて「靴を磨かせて」と言うんだ。
ジョーイは承知した。
けどその子供の持つ箱に仕掛けがあった。
箱は爆発し、あいつの血や肉が俺の体に…
すごい悲鳴だった。
どうにもできなかった!
あいつ言うんだ。
「ウチに帰りてぇ、ウチに帰りてぇ」
そればっかりだ。
あいつの脚が見つからねえんだ。
脚が…
あれが頭にこびりついてる。
毎日思い出すんだ。
号泣しながら語るランボーの姿は圧巻です。結構長い時間ランボーが語るだけのシーンなのですが迫力は戦闘シーン並みです。映画なので当たり前なのですが、目の前で泣き叫ぶランボーに「かける言葉がない」状態になります。彼の叫び声が頭の中で反響するような感覚になるんですよね。
続編である『ランボー 怒りの脱出』でも帰還兵の想いは語られています。2作目もいいんですよねぇ。1作目よりも単純なアクション映画に仕上がっているものの、これまたラストのランボーの台詞がいいんです。
ベトナムに残された捕虜を救う任務に就いたランボーですが、軍としては「捕虜を探しに行った」という事実を世論にアピールしたかっただけで実際に成功させる気はありませんでした。しかしそこは最強の男ランボー。敵の基地でマジで捕虜を見つけてしまいます。司令部は余計な情報を持って帰ってこないようランボーを見捨てる決定を下します。しかしそこは最強の男ランボー。独力で敵の基地を制圧しヘリを奪い捕虜と共に帰ってくるのです。
任務帰還後のランボーとトラウトマン大佐の会話がよい。1作目が帰還兵の怒りであったのに対し2作目はより率直な願い。
大佐「確かにあれ(ベトナム戦争)は間違った戦争だったが国を憎んではいかん」
憎む?
命を捧げます
大佐「では何が望みだ」
彼ら(帰還した捕虜)と同じことです。
この土地へやってきて、戦いに身を投じ、地獄の苦しみに耐えながら望んだこと。
彼らが国を愛したように…
国も彼らを、愛してほしい。
これがなんとも。響くんですよね。今でこそ『エクスペンダブルズ』などで享楽でアクション映画をつくるおっさんみたいな感じになっているシルベスター・スタローンですがランボーの時は「悲しき英雄」を非常に哀愁ただよう雰囲気で演じきっていると思います。表情が切ねぇんだ。
以上、『ランボー』シリーズから沖津が大好きな2シーンでした。