僕が発達障害だったら、社会でどう生きていくだろうか。
どうも、OKUです。
今回は、「もしも僕が発達障害だったら…どうやって生きていくだろう…?」と、ふと疑問に思ったので、ちょっと考えてみようと思います。
(発達障害と言ってもいろいろあるので、今回は知的障害のないASDとします)
★はじめに
どうしてこの話をしようと思ったかというと、知的障害のないASDの方や軽度知的障害者など、いわゆるグレーに近い人こそ社会で居場所が見つからず生きづらそうにしていると感じるからです。
外見で障害がわからない上に、会話がある程度スムーズにやり取りできるゆえ、配慮が受けられないことが多いですよね。その類の相談が多いし、実際に僕の周りにも困っている障害者がたくさんいます。
なので、今の知識と経験を前提に、「仮にASDを抱えた僕が目の前にいたら、どういう風に行動させるか」を想像して書こうと思います。
それと、僕自身も実はもともと社会不適合者寄りの人間で、福祉の仕事に就くまではどんな仕事をやっても続かなかくて、非正規を含めると大学卒業からの5~6年間におそらく10回以上職を変えています。
どこに行ってもまったく馴染めなくて、仕事も周りの人より全然できなくて、とにかく夢も希望も居場所もない20代を過ごしました。なので、ほんの少しだけ社会に適応できない人に共感できる部分があります。
要点としては2点かな。
➀使えるものは、できる限り堂々と使い倒す
➁自分で決めないと納得できない
参考になれば幸いです。
★➀使えるものは使い倒す
まず、どういう生活をしたいか、どうしたら生きやすいかを考えて、それに沿った利用できる制度や社会資源を探すと思います。そして、目いっぱい使い倒します。僕の場合、
・一人暮らし
・福祉の仕事がしたい
この2つは絶対に譲れません。人によっては、目安の収入があったり、体調面を考慮して働く形を選択したりすると思います。
いずれにせよ、自分にとって社会で生きやすい形を作っていく上で、送りたい生活と現実をすり合わせる作業が必須なので、まずは自分の希望を明確にしないといけません。いっぱい思い浮かんだ場合は優先順位をはっきりさせます。
で、僕は福祉に携わりながら一人暮らしができればOKなので、最低限の生活ができればそれ以上の収入は求めません。
じゃあ、最低限の生活費はどうするかというと、生活保護又は生活保護+障害年金で月に十数万円の収入を確保。そこに福祉に関わる中で収入があれば、それも合わせて十数万円でOKとするかなと思います。とにかく生活保護は必須ですね。そのために、まずは障害の認定を受けると思います。
生活保護受給者や就労継続支援を利用されてる方で、「働いた収入分は生活保護費や障害年金が減るから、それなら働かなくても一緒」という考え方の人がよくいます。僕はこの考え方に大賛成です。生活の為に嫌な労働をするぐらいなら、どっぷり社会保障の恩恵を受けて遊んでた方がマシ。
ただ僕の場合は、とにかく福祉に携わりたいので、実際トータルの収入が変わらないとしても、収入の高低や有無は考えずに自分にできる形で働きたいです。とはいえ、現実的には今やってる訪問介護は厳しいと思うので、まずは収入にはならないのを受け入れてピア・カウンセラーをやると思います。
やっぱり「やりたいことを見つける」というのがとても大切なのかもしれませんね。(仕事じゃなくて趣味とかでもいいと思います)
で、その後、安定的に生活保護を受け続けられることがわかれば、その金額の範囲内で満足できる状態でいられるよう、生活水準を上げずに暮らしながら、ピアカウンセラーよりもさらに人に喜んでもらえるような仕事を、時間をかけて探すようになると思います。
その際は、ハローワークの障害者委託訓練事業や求職者支援訓練、就労移行支援、就労継続支援など、とにかくネットでで調べまくって片っ端から話を聞いて興味があればやってみます。
ここまで読んでいただいた方は、僕に対して、けっこう無責任であまり現実的じゃないことを言うヤツだなと思ったかもしれません。が、こういう考え方の基になっているのは、やっぱり経験則だと思います。
★ところで障害者就労の現状は?
一応押さえておきたいのですが、まず、一般就労への移行者数は年々増えていて、これは障害者の数自体が増えているというのが一因だと思います。ちゃんと認定される数が増えているのはいいことですよね。
じゃあ、移行する割合はどうなのかというと、就労移行支援は順調に増えています(一昔前は40%台でしたが、現在は50%以上で徐々に上昇)が、就労継続支援A型・B型は横ばい(A型約20%・B型約10%)です。
なので、できるだけ早く一般就労を叶えたいというのであれば、就労移行支援を即利用するとおもいますが、長いスパンで自分にもできそうな適性に合う仕事を探していくのであれば、就労AまたはBかなと思います。ただし、就労Bの場合は、ほぼ生活介護に近い施設も多数あるので、慎重に選ばないといけないと思います。
固いのは、就労B→就労A→就労移行→一般就労と一つずつステップを踏むのが無難でしょうね。
★②自分で決めないと納得できない
これは経験則ですが、自分で決めることはとても大事です。
僕は現在とても生きやすいし、仕事は楽しいし、まあそれなりに幸せなんだと思います。
でも28歳の時に福祉の仕事に就き、そこで出会った人たちがいなければ、まったく違う人生になっていたと思います。
28歳までを振り返ると、まあ…ひどいものでした。
まず新卒で入った会社は1年で辞めました。
しかも、その時はわざとうつ病のフリをして心療内科に通って診断書を書いてもらい、さらに自分から辞めると言う勇気もなかったので、会社から退職を薦めてもらえるよう元気のないフリをしながら最後の数か月は過ごしました。
そして辞めた後は、アルバイトをしながら心機一転で再就職を目指しましたが、自分が何に向いているのか、何をしたいのかもわからず、業種も決めずに新しい生活を始めました。
アルバイトだって、当然やる気まんまんでできるわけもなかったので、数日で辞めたり、逆に続けていると居心地が良くなってダラダラ続けたり、ほんとにただ生きていただけという感じ。
せっかく再就職した事務職では、研修中にあった飲み会が体育会系のノリで吐き気がして、次の日にブッチして研修先から逃げ帰ってそのまま辞めてしまうということもありました。
なんだかんだで数年間で10回以上は転職したと思います。
客観的に見て、ただだらしない人間だと思うだろうし、実際に僕が何か人より努力したとか、がんばって行動したとか、そういうこともまったくありません。(それなりに悩んではいましたけどね)
でも強いて言うなら、「いつも自分で決めた」というのは言えることだし、それゆえ全てが今に繋がってると思います。
正直なところ、仕事とか環境とか人との出会いとか、ひとつひとつを見ると、どう考えても運の要素が強いだけで、僕が今もこの仕事ができているのも、たまたまヘルパーの資格を取ったタイミングと、近所に求人が出ていたタイミングと、そこで出会った人とそのタイミングが上手くハマっただけなんですね。
変わらないのは、自分で決めたことだけ。自分の意志で決めないと、起こったことに対して納得がいかないんです。
僕自身が、人から何かを強要されたり、やらされてる感の中で生きるのが耐えられない人間なので、自分の意志で決めることによってのみ、少なからず納得できることがあるのではないでしょうか。
僕はたまたま、28歳でやりたいことが見つかったけど、38歳でも48歳でも遅くないです。これからの人生をより幸せに生きるために、自分が納得できる選択をして欲しいと思います。
★最後に
周りで関わっている親御さんや支援者としてできることは、本人の意思を見つけてあげること、気づいてあげることだと思います。
障害を持つ本人は、自分で自分の意志を言語化できなかったり、それ故、そもそも自分がどうしたいのか自分でわかっていないことがあります。でも、日々の行動の中に必ずヒントがあります。人の意志や考えは必ず行動に出ます。
なので、そういう部分をサポートできる存在になって、一人でも多くの方が生きやすい方向へ導けるような支援者が増えるといいなと思います。
僕もそうなりたいですね。