自閉症者はなぜ視線を合わせるのが苦手なのか
こんにちはこんばんわ、OKUです。
今回は“自閉症者の視線”をテーマに簡潔にお話します。
自閉症者の中で、わざと視線を合わせようとせず明後日の方向を見ながら相手の話を聞いたり、相手から目を合わせられるのを極度に嫌う方がいます。
一体なぜ視線を嫌うのでしょうか?
理由は、大きくは2つあると思っています。
ひとつは、“相手の話をしっかり聞くため”です。
目を見て人の話を聞くのが常識だと考えている多くの人には、矛盾しているように思うかもしれません。
自閉症の障害の特性の一つとして、注意が点に集中しすぎてしまうというのがあります。木を見て森を見ずどころか、一枚の葉っぱに全集中してしまいます。なので、目線を合わせると、目に注意が全部行ってしまい、話が全く入ってこなくなってしまうのです。
ある意味では、断捨離というか、話を聞くために余計な情報を入れないようにするための、理に適った行動なんですね。
あと、もうひとつ。“目線が怖い”というのもあります。
これは割と健常者にも共通していますよね。僕たちでいうと、どういう感覚が近いでしょうか。
例えば、子供の頃、学校の授業で先生に目を合わせるのって嫌じゃなかったですか?僕は、先生と目が合うと自分が当てられそうな気がして怖かったです。そわそわして授業に集中できないから、とにかく先生の方をできるだけ見ずにメモしたり、板書したりしていました。目が合うと、ドキッとしてすぐに視線をそらしていました。
(そういう感じが近いのかなあ…)
そもそも人と目が合うと緊張しますからね。
なので、気を付けてもらいたいのは、「目を見て人の話を聞きなさい!」とか、「なんで人の話が聞けないないの?」という風に、叱ったり注意して矯正しようとしている方は、それはピントが外れた対応だと気付いていただきたいです。
そういう時は、そっと空間に言葉を投げると、本人にとって拾いやすいと思います。
ついでに。
一方、これとは逆で、やたら目を合わせに行く人もいます。
これは、相手に注意が向いているのが、そのまま行動に出ていることを意味しています。
健常者の場合は、スマホをいじりながらでも相手の話を聞くことができたり、又は、あまり注意が向いている事がバレると気まずい場面では気づかれないように横目で見たりします。
例えば、電車の中で、近くの人の会話を聞いているとき、自分の視線は窓の外や下を向いたり、寝たふりをしながら聞くと思います。でも、自閉症者の場合は、聞こうと意識が向いたら、もう無意識に視線も他のエネルギーも全部その会話に向いてしまいます。
目を合わせない方も、やたら合わせる方も、本人なりに話し手に向き合おうとしている場合が多いので、親や学校の先生など、周りの理解がもう少し進んだらいいなあと思います。
集中して聞こうとするための準備の形が、自閉症者と健常者とでは異なるだけですからね。
参考になれば幸いです。