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線維筋痛症と懸賞生活と私

#あの会話をきっかけに

#1 レディー・ガガを苦しめる病気とは

「線維筋痛症」という言葉を聞いたことがあるだろうか。

レディー・ガガさんが闘病を告白したことでも最近広く知られるようになってきた病気だ。

それは、乱暴な言い方をしてしまえば全身の酷い筋肉痛のようなものだ。とにかく身体中のあちこちが痛む。そして、酷い場合は寝たきり生活になってしまう。

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残念ながら、今のところ原因は解明されていない。一説には、脳の誤作動が関係していると言われている。

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通常、身体が損傷を受けると「痛い!」という痛みの電気信号が脳に送られ、人は痛みを感じる。そして、損傷部分が治ると痛みの電気信号も止まるので、痛みが収まる。

しかし、長期間(3ヶ月以上)、痛みの電気信号が脳に送り続けられてしまうと、パソコンと同じで脳がバグ(誤作動)を起こしてしまうことがある。すると損傷部分が治っても、脳が痛みを感じ続けてしまうのだ。

なんとも厄介な病気だ。

#2 線維筋痛症と交通事故

私の場合は交通事故(の頚椎損傷)を機に発症した。

乗っていた軽自動車はフロントがグッシャリ潰れ自走が出来ないほど衝撃を受けていた。

事故写真

残念ながらMRIなどには写らないから、普通の整形外科では原因が分からないらしい。

もし、興味があったら、下記のブログを見て頂きたい。痛みの治療を専門で行っている医師 加茂先生の「痛み」のブログだ。加茂先生曰く、「痛みの原因の殆どは筋痛」ということだ。

線維筋痛症と交通事故について〜加茂整形外科ブログ
URL:https://junk2004.exblog.jp/i25/

痛みで笑いが減り、仕事も続けられなくなり、次第に自分の存在価値も失われていく。痛みで外を出歩かなくなると、人と接することも少なくなり、次第に社会との接点も減っていく。

負のスパイラルに陥ってしまう前に注意が必要だ。それを救ってくれたのが、後に登場するS君との会話だった。

#3 友との別れ

私は学生時代にラグビーをやっていた。元は体育会系の筋肉バカだった。だから、昔は病気の人の気持ちは、多分、あまり理解して上げられなかったと思う。

もう20年以上前になるが、線維筋痛症を患った友人を失った(病死)事がある。自分にSOSを出してくれた彼の気持ちを、今になり漸く理解出来るようになった。

それでも、なんとか元気になって欲しくて、「会おうよ」と呼び出したが、彼はなかなか外に出たがらなかった。

電話やメールでは何とかやりとり出来るが、直接会うことには気が引けている様子だった。人は、弱っている自分の姿など、あまり人には見せたくないものだ。そんな単純なことすら、あの時は分かって上げられなかった。

彼は、一流企業で働くバリバリのトップセールスマンだった。しかし、症状が重かったので、長期休業の末、会社に残ることが出来なくなってしまった。

学生時代からエリートと呼ばれていただけに、変わり果てた自分の姿をあまり他人には見られたくなかったのかもしれない。動けなくなり、太ってしまった自分の姿をすごく気にしていた。

#4 仕事

人は生きて行く為、働いて収入を得る必要がある。

しかし、慢性的に身体が痛む人にとって、普通の職場で仕事を続けることはなかなかの困難だ。

彼は、苦肉の策でアフェリエイトで稼ごうとしていた。当時は、まだ、線維筋痛症のことは一般的には知られておらず、公的な支援も受けられない時代だった。

(今は、障害年金の申請が通れば、幾ばくかの公的支援を受けられるようになっている。勿論、認定される級が低ければ、それだけで生活をするのは難しいのだが。)

私もなかなか回復の兆しが望めない。長いこと仕事からも離れており、家族に支えられ何とか暮らしている。

「ああ、あの時の友人は、こういう状態だったんだなあ」・・・寄り添ってあげられなかったことを思い出し、反省する。

まだ、自分には支えてくれる家族がいるが、友人は独身だった。それは、どんなに寂しく、辛く、そして恐ろしかったことだろう。

私も何か自分の体調に合わせて稼ぐことが出来ないかと思案した。線維筋痛症の人は、みんなどうやって生活しているのだろうかと思い、Googleで「線維筋痛症」「仕事」のワードで検索を掛けてみた。

参考になったのは線維筋痛症のeスポーツチャンピオンの方の記事くらいだけだった。自分には勿論そんな才能はある訳もなかった。

しかし、世の中には、星野富弘さん(口に筆をくわえて絵を描く詩人・画家) みたいな方もいらっしゃる。重度の障害を跳ね飛ばして堂々と生きている

自分なぞ、痛みさえ我慢すれば、身体も動くのだ。

#5 カッコよく輝け!

そう言えば、今回の2020東京パラリンピックを結構しっかりと見ていた。こんなに真剣に応援したのは初めてだった。

勿論、迫力だけを切り取れば、健常者の大会には劣るかもしれない。しかし、障害を跳ね除けて挑む彼らの精神力とプレーには痛く感動した。

水泳の山田美幸選手、車椅子バスケの鳥海連志選手、皆かっこ良く輝いていた。

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<画像:日テレNEWS24さんより引用させて頂きました>

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<画像:毎日新聞さん2021/8/19より引用させて頂きました>

#6 言葉で何か出来ないか?

今は、言葉を使って何か仕事が出来ないかと考えている。

実家の母が断捨離でもしたのか、私の中学校時代の作文集を持ってきた。市の作文大会の入賞作が掲載されていたが、最初のページには私の作文が載っていた。

特に作文が得意だった訳ではない。

いや、むしろ苦手意識があった。その時も宿題の作文をやって来なかったため、放課後に居残りで書かされていたのだった。

しかし、その作文集がきっかけとなったのか、何かが動き始めた。

#7 線維筋痛症的 懸賞生活

はじめは、痛みを紛らわさんがために、遊びで懸賞サイトに応募していた。「当たればラッキー」ぐらいの気持ちだった。

しかし、これが恐ろしく何も当たらない。「当たればラッキー」のつもりが、「何故、当たらないのだろうか!?」に変わった。

可笑しな話しだが、何にでものめり込んでしまう性格なのだ。

ある日、テレビを見ていると「懸賞の達人」と呼ばれる主婦が紹介されていた。「ウソやろ!?」というくらい、次々と配達業者がチャイムを鳴らした。

だが、それ以上に驚いたことは、懸賞に取り組むその姿勢だった。それは、もう、職業は「懸賞稼ぎ」です、と言っていいくらい徹底した時間と労力の割き様だった。

・・・なるほど。

ある日、見ていた懸賞サイトに俳句・川柳部門があることに気づいた。これなら他人任せの「運」ではなく、自力本願だ。

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俳句は敷居が高かったので、川柳に絞って投稿してみた。

すると、何十句かのうち、3句、自分の作った川柳が入選した。景品と一緒に賞状なぞ送ってくれた。「おぉ〜っ。」賞状をもらうなんて、いつ以来かだろうか?縁起ものなので、玄関に飾ったりなんかしてみた。

子供のようにはしゃぐ自分が我ながら可笑しかった。調子づいて、ネーミング部門にも投稿した。すると、ビギナーズラックなのか、公共施設に自分の考えた愛称が採用された。電話を下さった担当者が「488通の応募から選ばれました」と教えてくれた。

その愛称をネットで検索すると、複数のニュース動画がヒットした。「おぉ〜っ!自分の考えた愛称がニュースで読み上げられている!」素直に嬉しかった。

この喜びは、承認欲求が満たされたということなのだろうか?思春期の娘から「働かないパパ」として白い目を向けられていたが、少しだけ面目躍如を果たした。

「賞金が届いたら、久しぶりに肉を焼きに行こう!!」

「イェ〜っい!!」

#8 川柳 千本 ノック

「公募ガイド」やら「公募ストック」というサイトをご存知だろうか?数多の公募情報が一覧で掲載されている。

さて、いよいよ調子付いた私は、それらのサイトで川柳部門を開くと、掲載されている一番上から順に投句していった

まさに川柳の千本ノックだ。

自分で経験のあるお題の時は比較的思いつくのだが、経験のないもの、例えば「グレイヘア(白髪を染めず、白髪交じりの髪色や髪質を活かしたヘアスタイル)」などはなかなか思いつかず悩んでしまった。

今まで、俳句や川柳など年寄りの遊びとばかり思っていたのだが、これがなかなかどうして。頭は使うし、殊の外面白いのだ。

私は何事ものめり込んでしまう性格なのだ。

家族で夕食を囲んでいる時、すっとアイディアが浮かび、5・7・5のリズムで娘のことをからかってみる。そして、ますます娘に白い目を向けられてしまうのだった・・・。

#9 S君との再会

ある日、建築学のスクールで一緒だった仲良しのS君から連絡があった。歳は一回り以上も離れていたが、不思議と彼とはウマがあった。

今、S君は家具の会社でデザイナーとして働いている。と、同時に地域おこし活動にも精力的に取り組んでいた。

「最近、どうしてるんですか?」

「いやあ、また、体調が悪くなっちゃって。長いこと、仕事ば休んどるとよ。」

「実は、今、NPO法人の仕事のお手伝いをしているんですよっ!なんか、一緒にやれたらいいっスね!」

「うん、けど、まだ身体があんまり動かんし、頭も働かんけんねぇ〜。何かお手伝い出来ることあるやろうか!?」

「じゃあ、今度、遊びに行っていいっスか!?」

「あ〜っ、ごめんね。まだ、招待出来てなかったね。」

最近、彼と同じ街に引っ越していたので、落ち着いたら招待する約束だった。しかし、身体が痛いのに加え、頭がなかなか働かない。

首の神経を後ろから鷲掴みで引っ張られているような感覚に陥るのだ。そして、顔面が歪んで右目が落ちてしまう(ような感覚に襲われる)。

早く招待してあげたかったが、のびのびになってしまっていた。

#10 S君との会話をきっかけに

後日、我が家で久しぶりの再会を果たした。お洒落なS君は、相変わらずカッコ良く、お喋りも軽快だった。

「いや〜、お久しぶりですね!会えて嬉しいっス!どうですか、最近は?」

「今ね、言葉を使って仕事が出来んかって考えとるとよ。腕試しに懸賞サイトに投稿したら、表彰されたと。」

「うわ〜っ、凄いじゃないっスか!!それ、もう、プロっすよ。作家じゃないっスか。」

「そぉ!?しかし、相変わらず煽てるのが上手やねぇ〜。もう、S君の掌でコロコロ転がされとるもんねぇ。」

「そんなことないですよっ!マジで凄いっス!そうだ。NPO法人のホームページをリニューアルするお手伝いをするんっスけど、その記事を書くの手伝ってくれませんか?」

「えっ!?別にいいけど・・・。何でオレ!?」

「いやぁ、Yさんがいいんですよっ!」

「ふ〜ん。じゃあ、ちょっと、俺がどんなもんば書いとるか、この間書いたエッセイば読んで聞かせよてみようか。」

そして、煽て上手な彼にすっかりその気にさせられて、記事を書く手伝いをすることになった。

本当に人転がしなS君だ。

記事は、川柳やエッセイと違い、他人のストーリーを組み立てる作業だ。今までの作業と大きく異なることに気づいた。

自分の体験ベースで描く時は、思いついたことを文字に起こすだけだが、他人のストーリーを描くとなると、その背景を一から調べる必要があった。大変、骨の折れる作業になった。

身体が痛んだ。

しかし、S君が私のことを慕ってくれ、巻き込んでくれたお陰で、私は久しぶりに家族以外の人と、久しぶりに仕事の打ち合わせまでする事が出来た。

再会したS君が私をおだて上げてくれなかったら、私は危うく負のスパイラルにどっぷりとハマりきってしまうところだった。

ありがとう!S君。

そして、ゴメン、S君。

期待していた文章が書けなかったこと。提出した後の反応から、きっと、そうであると分かってしまいました(笑)ホームページの原稿を仕上げる際、何を打ち合わせで確認するべきか分かってきました。次回は、乞うご期待っス!!

*線維筋痛症の方へ

もし、何かのきっかけで、これを読んで下さった方がいらっしゃったら、とにかく、自分が楽しいと思うことを見つけて、笑えたらいいですね、とお伝えしたいです。私もたくさん歯を食いしばってきたせいか、ある日、顔の筋肉がこちんこちんに固まっていることに気づきました。心身同一。好きなお笑い番組で笑って、顔のコリからでもとっていけたらいいですね!お大事に。








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