あの子が笑う物語
リハビリの長期実習で子ども療育センターに行くことになった。この実習が終われば、卒論を書いて、国家試験。最後の実習だ。
県外だったので、初めての一人暮らしをしながらの実習。
子どものリハビリを経験するのは初めて。
指導者との相性が合うかも不安だった。
まあ、不安はあっという間に払拭された。他の学校の実習生たちとも仲良くなり、楽しい長期実習生活を送っていた。勉強もしこたました。
俺はいつも、1人の女の子が一生懸命歩く練習をしている姿をみていた。リハビリの先生に介助してもらいながら、一生懸命歩く練習をしている。俺はその姿に勇気をもらっていた。
指導者から「あの子は君が実習でいる間に、少し自分で歩けるようになるんじゃないかな」という言葉を聞いていた。
あの子が歩けるようになることを心から願った。その当時の俺にはまだまだ知識も技術も、人格も経験も足りていなかった。
なにひとつ力になれることなんてなかった。
俺は初めてその子のリハビリの見学にはいった。いつも遠くで見ていただけで、きちんと近くで見学に入ったのは初めてだった。
小児麻痺で、専用の杖と短下肢装具をつけて歩く練習をしている。
いつの間にか仲良くなった。運動会に自分もでたいこと、みんなと一緒に歩いて遊びたいこと、たくさんの夢を語ってくれた。まだ幼いはずなのに、なぜか俺よりも年上な気がした。
それと同時に、普通の子が普通にできることに対して、これほどの努力をしないといけないことに、世の中の不平等さを感じた。自分の無力感でいっぱいだった。
その子はコンビニのジュースにおまけで付いているワンピースのキャラクターがクッキーになったキーホルダーを集めているとのことだった。
まだ2つしか持っていないけどね、と笑顔で俺に話した。
俺はその日から、そのキーホルダーがついているジュースしか買わなくなり、キーホルダーを全部その子にあげた。渡すといつも満面の笑顔で嬉しそうにしてくれた。少しでもリハビリの励みになればいいなと思っていた。
その子は本当に自分で歩けるまでになった。
両杖をついて、100mくらい歩けるようになった。俺はすごく嬉しかった。その子は誇らしげに俺を見て、笑っていた。
ある日、その子が泣いていた。
担当のリハビリの先生(ベテランの女の先生)が胸に抱き寄せていた。それでも声が漏れるくらい泣いていた。
その日はキーホルダーを渡せなかった。
俺の指導者があとから教えてくれた。
友達から歩き方をバカにされたこと、一緒に遊びに連れていってもらえなかったこと、友達から負けるから運動会にでるなと言われたこと。
大人びていても、まだ子どもだ。
みんなと遊びたくて、運動会に出たくて、あんなに頑張っていたのに。
すっごくすっごく努力してやっと歩けるようになったのに。歩けるようになって、あんなに嬉しそうにしていたのに。
一人になったとき、俺は涙がとまらなかった。
なぜか悔しくて悔しくて仕方なかった。
その日からその子を見なくなった。
それでも俺はキーホルダーがついたジュースを買い続けた。
でもそれから1つも渡すことはできなかった。
あれから、何年の月日が経ったのだろう。
あの日の、あの子の悔しさを今でも思い出す。
ふとしたことから友達と旅行で、あのときの実習先がある県に遊びに来た。懐かしい香りと共に、何かが胸に刺さった。
夜はみんなで飲み明かした。
そして、そのままホテルで倒れるようにして眠りについた。
朝起きた。思ったよりはやく起きることができた。みんなはまだ爆睡している。
ホテルの前は綺麗な海だ。
実習生の頃、他の大学の学生たちと遊びにきた海だ。
俺は一人で散歩することにした。
海沿いの道を歩いていると、懐かしい香りがする。
青い空と太陽が眩しい。
俺は下を向き、歩きながら最後の長期実習を思い出していた。
声が聞こえ、顔をあげると前からカップルが歩いてきた。
色黒で、がたいが良く、でも優しさが滲みでている男性。
その隣には両杖をついた綺麗な女性。
女性は一生懸命に話をしている。それを男は優しくうなずきながら聞いていた。
その女性のバックには、ボロボロになったあの日のキーホルダーがいくつもつけてあった。
まるでお守りのように。
横をすれ違った。
どこまでも続く青い青い空の下、
俺も、あの子も、笑っていた。