見出し画像

#6 洞泉寺・岡町遊廓 最期の日は3月15日と決定

 「赤線最後の日」というと、昭和49年(1974)に公開された映画「赤線最後の日」の影響が大きいのか、どうしても昭和33年3月31日と考える人が多いようだ。しかし実際はそうではなかったようで、最後の日は都道府県や市町村によってまちまちだった。ほとんどの赤線がギリギリ最後まで営業してたわけではなく、比較的早い段階で廃業していたことが当時の新聞からも読み取れる。奈良県では紆余曲折あったが最終的に昭和33年3月15日に一斉廃業することになった。その決定までの記事を紹介しながら、行政と赤線業者の攻防、業者の悲痛な声を見ていきたい。
まずは、大和タイムス昭和33年1月17日の記事から。
※紙面の保存状態が悪く読めない文字は◼️であらわす。

赤線業社の転業計画を見る
大半が料理旅館に 業者は水商売に希望を持つ
 売春防止法の全面施行を2ヶ月後に控えて、県下3地域の消えゆく赤線地帯はいよいよはなやかな最後の灯火をひときわ美しく輝かせ、おしろいとキョウ声の不夜城を現出している。しかし、一方ではお正月も無事に終わって業者、県売春防止対策本部ともいよいよ転業への真剣な協議を連日にわたって行なっている。業者の組合では3地域とも転業実施計画費をこのほど県に提出した。これによると、料理旅館への転業が圧倒的に多く、16日午前10時から開いた転業対策委員会でも、中央の方針に基づいた健全な転業をはかるため、偽装店業と思われるものにはさらに業者を招いて徹底するよう強調した。こうした慌ただしさの中から県下の赤線地帯(奈良市木辻、大和郡山市岡町、洞泉寺)64業社の転業計画をのぞいてみよう。
 このほど県がまとめた希望業種によると旅館26、料理旅館26、料理屋9、芸者置屋7、下宿屋3、喫茶店1、アパート1、カフェー1となっていて、県下の赤線地帯三地域とも“歓楽街”として大半が、水商売を続けていく希望を持っていることがわかった。地域別に見ると、

【木辻】
3月末まで営業(予定)。4月1日には完全転業する見通しで、転業の方針を①売春から離脱する②現女給は正業につけるように指導する③同地域を国際文化観光都市に相応しい健全な歓楽地帯にする④現家屋を◼️高度に活用して転業、逐次改修・改築する。としており、転業後は組合倫理委員会を設けて指導することにしている。現在の転業希望業種は旅館8、料理旅館の13、芸者置屋7、下宿業1、喫茶店1。

【岡町】
3月末までに完全転廃業するためその方針を①買春は断然やめる②接待婦は業者店廃業後自由職業を選択させる③健全な利用施設歓楽地帯にする、として偽装転業をなくすため、組合に倫理規定を設け、違反行為などは除名することにしている。転業希望業種は、旅館12、料理旅館旅館9、料理屋2、アパート1。

【洞泉寺】
ここも3月末に完全転業するが、転業後の店舗の改造は3年間の猶予期間を要求している。方針は①現在の施設を利用して健全な歓楽地帯にする②接待婦は自由な職業を選択させるなど、希望職種は旅館6、料理旅館4、下宿2、カフェー1。

 このようにいずれも完全転業後は“歓楽地帯”として料理旅館などに転業する希望を持っているが、県の対策本部では「料理旅館への転業は風俗取締法に触れ、また偽装転業とも見られるところから業者に再興を促す」ことにしており16日に奈良市長、郡山市長、転業後は対策推進委員五氏らが集まって協議した転業対策部会でもこの点をさらに業者に徹底させるよう決め、28日に再度部会を開くことに決めた。各地域とも法の精神を遵守して買春を絶対に廃止し、偽装転業者に対しては組合が倫理規約とその委員会を作って自主的に解決してゆこうとしているのが注目される。(昭和33年1月17日 大和タイムス)

 上記の記事から、1月17日の段階では、どの赤線地帯も3月末日ギリギリまで営業することを望んでいたことがわかる。早く転廃業をさせたいと考える県対策推進委員や市長などの行政側と、1日でも長く営業を続けたい業者の攻防戦がすでに始まっていたと考えられる。また、ここに書かれている県下赤線地帯の業者数は64となっている。

すでに十軒が転廃業 売春業者の転業計画を再検討
 売春防止法の完全実施を2ヶ月あまりに控え、県売春対策委員では23日午前十時から奈良市興福院町、県婦人相談所で第3回委員を開き、他府県の実情調査の結果を参考に県下特殊飲食街業者の転廃業について協議した結果、全業者に呼びかけて、すでに提出された転業計画を再検討することにした。昨年4月73軒あった県下の業者のうち現在までに奈良市木辻で一軒,郡山市岡町で5軒、同洞泉寺町で4軒が転廃業し,また木辻で2軒が程なく廃業することになっていて,営業を続けているのは61軒となっている。

 先程の記事から一週間後の1月24日、営業を続けている業者の数が61に減っている。

全業者ともかく廃業へ 郡山の赤線地帯
岡町は今月限りで 洞泉寺は来月末に 転業問題はその後に
【郡山発】
 売春防止法の施行を間近に控えて郡山市の赤線地帯がどのように転廃業するか注目されていたが、結局郡山市内の業者は,この際全業者が揃って一応廃業し、転業はその後考えるということになるようだ。業者の話によると洞泉寺は三月末日をもって,また岡町は二月末日をもって廃業することに方針が決まったようで,封建社会の遺物,赤線地帯もついに何百年間にわたり灯し続けた紅灯の灯火を自らの手で消すことになった。
 県下の赤線地帯でも最大、最古と言われる郡山市での業者は洞泉寺で16軒、岡町で28軒,接客婦も約140名を数えて,その存在を知られていたが、洞泉寺のは業者は期限いっぱいの3月末日で転業は行わず一斉に廃業することを2日に決めた。洞泉寺の場合は岡町より歴史が古く業者の大半が2代あるいは3代目といったようにそのノレンを護っていただけに,3月末の廃業決定は郡山市史の1ページに記録される。
 一方岡町の場合は洞泉寺と違って一斉に転業を望んでおり、そのため次の営業開始との間に時間を置くことは望まないとの方針を取っているため,2月いっぱいでの廃業がほぼ決定的となったもの。一部業者間では3月15日までの間に廃業すべきとの主張が強く,今日4日に県で開かれる売春歓楽部会で決定的な線を出すことにしている。
 これは,近畿2府6県の業者で組織する関西連合は3月15日廃業の線を打ち出しているため。これに歩調を合わせようという意見もあり,奈良市木辻の業者もこの三月十五日の線を主張しているとのことだが,岡町の場合は2月いっぱいでの転廃業は◼️◼️と見られている。
 転廃業については洞泉寺の場合,はっきり廃業を打ち出したのは歴史が古いだけに同所に巣食うダニとの縁を切る必要があり,これを無視してさらに水商売に転業したところで商売はできず、結局一時的にでも廃業し、ダニとの縁を切ろうと考えてのことらしい。
 岡町の場合は、全業者で転業を望み、一時洞泉寺側が立案した源九郎稲荷中心の歓楽センター建設計画(約4千万円で地下1階、地上3階の歓楽センターを建て、地下は食料品売場、地上1階はトルコブロ、同2階はアルサロなどの料理屋、三階を◼️◼️◼️にしようという案)も出たが、郡山市にこれだけの建設資金を投入するならいっそ大阪に進出した方が有効だとの意見で立ち消えとなった。(昭和33年2月4日)

 2月に入ってから事態は大きく動き出す。関西連合では3月15日一斉廃業を謳っており、これに歩調を合わせる形となる。岡町の業者の多くは転業を望んでいたが、洞泉寺の業者が一斉廃業を決めたのもこの段階だ。
 それにしても源九郎稲荷を中心とした歓楽センター計画があったことは初めて知った。万一にもこれが進んでいたら、洞泉寺町のイメージはかなり異なったものになって居ただろう。そして「洞泉寺に巣食うダニ」が何のことを指しているのか今の段階ではまるでわからないが、これも今後の課題である。

3月15日限り 県下の赤線地帯 転廃業へ踏切る
 買春防止法の完全実施を四月に控え、業者の転廃業はいよいよ大詰めにきたが、県下3赤線地帯の63業者(木辻27、岡町24、洞泉寺12)は3月15日で転廃業に踏切ることになった。15日午前10時から県庁第一会議室で開かれた県売春対策本部転業対策部会の席上、赤線業者と会って転廃業問題を話し合ってきた委員から明らかにされたもの。この結果、どう転業対策部会では旅館、料理、バー、下宿など酒認可のいる業種に転業する業者には、いま20日までに◼️◼️を提出するように求めているが、この調査を3月15日までに行い、同16日から新しい業種につけるようにするとの方針に決めた。(昭和33年2月18日)

 この段階になって、ようやく木辻、岡町、洞泉寺の3赤線地帯は歩調を合わせ、3月15日に一斉廃業に踏切ることが決まった。まだどう転業するか決めかねている業種も多かったところからも、行政側の強い要望で話がどんどん進んでいっていることが伝わってくる。

 それでは売春防止法によって今後の人生を翻弄される業者の痛切な声を最後に紹介したい。昭和33年2月28日大和タイムスの記事より抜粋して掲載する。

いかに迎える 生涯最悪の日
買春問題座談会(下)補償もなく切捨御免 だが何とか明るい娯楽街に
【中岡木辻組合長】
 まず今まで続けられていた営業が売春を強制し、人権を無視した昔の公娼制度そのままだったという考えを取り消して欲しい。戦後は客の選択権は本人が持っているし、嫌な客なら拒否でき、外出も自由にできた。昔のような自由束縛はなかったと言うことを強調したい。しかし法治国家の一員として、法ができた以上、潔くこれに従う覚悟はできている。だが政府のやり方にどうも矛盾が多い。この売春防止法は確かに進歩であり、革命であると思っている。この点には全然文句はない。ただこのやり方だ。納税についても従業婦の人数からきっちりと取上げ取り立てられた。私たちは大いに協力したと思っている。進駐軍が来た当時は一般女性のタテということで売春婦を供出せよと言われた。散々利用しておきながら何の補償もなく切捨御免で禁止する。正業に就くというのは業者も望むところだ。しかし補償もなく懐は乏しい。何をやるにも現在の家屋を最大限利用して最小の補修でやるより手はない。将来の見通しは全くなく、五里霧中というわけだ。しかし私たちは何とかして300有余年続いた木辻の伝統を明るい娯楽街として生かしていきたいと思っている。この心情を知ってもらいたい。
【豊田洞泉寺組合長】
 赤線を返上した一個の社会人として申したい。政府の業界に対する切捨御免は目に余るものがある。中岡さんと全く同感だ。私は転業について旅館をやる。ところでどこまでが売春行為かわからない。アベックにいちいち尋ねるわけにはいかないし。宿を提供したら罰せられる。いちいちアベックに確かめていたら旅館商売はお手上げになるだろう。また風紀が乱れるという懸念をどうするか。米国の若い青年男女の無軌道ぶりのようになっても良いというのか。これだけならいいが、自由に愛人を求められない人が性のハケ口をどう求めるのか、性的犯罪が増えるだけだろう。赤線の女が青線、白線地帯へ流れて法を無視する人の手に落ちたら現在以上の悲運に見舞われるだろう。それこそ社会は混乱して濁流の世になるだろう。
【松田岡町組合員】
 岡町の転業は旅館、料理屋、カフェーと別れるがこれも進んでやるわけではなく前途の不安に胸の内は暗い。行政に携わる人は暖かい気持ちで見てほしい。働いていた女の子には力を入れる(支援する)が、業者は切捨御免では困る。転業のために家を改造しようとしても金はなし、今後儲かるかどうかもわからない。仮に旅館をはじめても、この“よろめき時代“だ。使っている女がよろめいたらどうなるか。必ず前が赤線だったからとイロ目で見られるだろう。

 上記のように、売春防止法安は多くの問題を抱えていたことがわかる。業者自身の転業についての補償がないことや、「散々利用しておきながら切捨て御免なのか」と例えられるほど、赤線業者は一方的に「悪者」に仕立て上げられていたことも浮かび上がってくる。
 豊田組合長の問うた「性のハケ口」はどうするのか?松田が問うた「女性がよろめいたらどうするのか」という問題に、当時の県婦人児童課長は「男も女も結婚すればいい」と一刀両断した。今回の主題からその内容は外れるため詳しくは記載しないが、国をはじめとする行政側の強力で一方的な封じ込め策で、赤線は消滅したのだということがわかった。

次回は同時期の大阪、京都、名古屋の様子を奈良の新聞から読み解いてみたい。

画像1

参考文献 「大和タイムス」昭和33年1月〜2月号
ヘッダ部の写真は大和タイムスの記事から 木辻の町並みと郡山特飲街の女性

※この記事は昭和30年代のものであり、現在では不適切な表現が含まれることがあるが、当時の記者が伝えたかったことを尊重し、改変せずそのまま掲載する。
※数字は、原本は縦書きであるため漢数字になっているが読みやすさを優先し、アラビア数字に変換した。

いいなと思ったら応援しよう!