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『人と月に蓋をして』



「“よる”や」
____強く強く願っている。私達は、永遠だと。



世界が眠りについた27時、未だギラギラと陽射しがやまない。私は急いで自転車で十字路への坂道を勢い良く駆け下りた。
「邑!」
「あ、那津」
邑は私を見るなり嬉しそうに自転車のカゴから黒い布を出して旗のように振る。準備は万全みたいだ。私達にとって睡眠すら削った秘密の時間は、普通を忘れてしまったこの世界に唯一相反していて特別だった。
「暑いなぁ」
「スーパーでドライアイスもらうか?」
「あほや、開いてへんやろ」
「そや!そやった!」
笑う。邑は意外にもよく笑う。
「はぁ…あぢ〜」
「まじでや」
沈まない太陽、ジリジリと私達を焦がす。
ただ、少し街は静かだ。
「じゃあやるか」
「なんかめちゃめちゃドキドキするわ」
私達は大きな黒い布と小さなライトをもって年中解放されているほぼ空き家みたいになってしまった旧公民館へ向かった。
この秘密の人間非活動時間(社会生活で人が一般的に寝ているとされている時間、6時から24時を指す)での計画は邑のとある呟きから始まった。


「オカルトじみてるのは分かってるんけどさ、“よる”に憧れあるんよな」
なんやそれ、と以前答えたところ文献やら御伽噺の図鑑を見せられ結構めんどくさかったので言うだけ大層なことを言ってみる。
「そんな好きなら作ったらええ」
鷹京と呼ばれた都市に関するかなり古い書物の「日がいる間は“ひる”。暗くなり月に代わる“よる”」という記述以降、に太陽が沈むという記録は残されていない、らしい。熱弁する邑は初めて見たから面白かった。
存在したかも危うい“よる”に邑は恋い焦がれている。
「………天才か」
「ふは!そうやで天才や」
邑が想像以上に楽しそうに大きな挙動で喜ぶから私は正直なところ“よる”ではなく“面白い邑”のために協力することにした。
私達は“よる”について文献から想像で“よる”の輪郭を探った。2人で“よる”を形にしていくのはなにか不思議な感覚だった。
「あんたの誕生日、来週の水曜?やっけ火曜か。その12の日の非活動時間に“よる”パーティしよや」
「うん!たのしみや」
私はふと家のタンスの謎スペースに小物と一緒にクラッカーが入っていたことを思い出した。持ち物がまたひとつ決まった。


という訳で、私達は“よる”を再現する遊びを始めたわけだったがこれがどうにも楽しくて仕方がなかった。真っ暗にした部屋で2人して懐中電灯を持ってクラッカーを鳴らしてみる。視覚が奪われた空間で鳴る音、私達の声は一段と変で近くて曖昧で怖かった。段々ほんとにただのパーティになっていた気もする。そんなありふれた遊びの最中それは起こった。
「あれ…那津、外が」
「ん〜?もう今週全然寝てないから無理だ〜目が開かん」
「黒幕剥がすで」
「嫌や!いつも目が痛なる!眩しさで目が取れ……え」
「真っ暗や」
「まっくらや」
「うん」
私達は本当に“よる”に居るみたいだった。いや居たんだと思う。
その日から“よる”は私達にとって現実世界全てを否定する天国になってしまった。
旧公民館、なんの部屋かも分からない小さな四角、暗幕、よる。
「ずっとここにいたいや」
「あ、あれ月ちゃうん」
「えほんまやん」
「すご!!!すごいで!」
「待ってな……ほら、これ三日月やって」
リュックから即座に取りだした分厚い本のある一行をなぞって邑が嬉しそうにしている。楽しいね、ずっとここにいたい。でも本当に今私たちって“ほんとうはどこにいるんだろう”ね。そう言おうとしてなんだか不気味だからやめた。
学校で服従と繁栄の思想を唱えさせられても、周りが17にも満たぬまま結婚して子供を作っても、制服の丈にミリ単位で怒られても、学校の帰り道に罵られても、両親が帰ってこなくても、私達は2人だったから無敵だった。それが、真っ黒い世界に取り残されるとどうにも怖かった。きっと邑は怖くないんだろうけど、私は怖かった。
こうして現実から逃げられる瞬間は人生で二度と来ないかもしれないのに恐くて恐くて堪らなかった。


少量の鮮血が片頬から流れている。ガラスかハサミか何かで掠ったような跡。
「…もう、なんにも、やりたくない。めんどくさい、いきるの、いやだ」
泣きじゃくる邑を私は強く抱きしめた。何か安心させる言葉を探したけれど出てこない。私にあるのはその寂しさを分かってあげられることくらいだ。それから2人して泣きながら、馬鹿みたいに強い言葉で世界を罵って、全部笑った。邑の身体の傷を手当しながら零れるように言葉が口をついで出た。もうひとつ見つけた、邑が居られる空っぽを私はあげられるかもしれない、と思ったんだと思う。
「…ここにきいや。この家なんもないから何もやらんくてええよ。いるだけでええ。…もうあっち帰らんくていいからな」
「うん…うん。う…うう…」
その日私の部屋で黒い布で部屋を包んでも“よる”にはならんかった。もしかしたらあの場所じゃなきゃいけなくて、踊って楽しいって笑い合わなきゃ“よる”は来ないのかもしれん。じゃあ、邑が明日は笑えますように。私達は寂しくて消えたくて真っ暗を求めているのに、部屋で2人眩しい太陽に照らされ続けたまま眠りについた。


朝起きると邑は居なかった。家を飛び出した。家を教えず集合場所にこだわる邑に踏み込むこと、邑についてもっと深く知ろうとしてこなかったことを後悔した。
「あっつ…」
汗が、肌が、夏を嫌悪する。
夏は嫌いだ。夏が好きで私に那津と着けた両親も嫌いだ。
コンクリートに庭用のサンダルがギュイ、と削られる音がする。
「那津、どないしたんパジャマやん」
驚いたと同時に呼吸が苦しくて咳き込む。振り返ると背後にでっかいリュックを背負った邑が立っていた。やけに堂々としている。
「ゆう……探して、たんや」
「服とか教科書とか取りに行ってたんや」
「そうなんか…置き手紙してや」
あはは、と髪を掻きながらいたずらっぽく笑う邑はちょっと変だ。
「ごめんて」
なにか…。カラッとした邑はなにか吹っ切れたように見えた。弱気な面影は消えて、私よりもずっと大人になった気がする。
「…あの、な…。私も…家出たいんや」
ずるい。自分でもそう思いながら言った。
私が邑に弱さを見せるタイミングをうかがってたみたいじゃないか。私が差し出せるものを差し出しておいてそれを全部ドブに捨てるようなことを言っている。私は心底おかしかった。
「じゃあ、那津も家出よや。でっかいリュックあるか?」
そう言いながら邑は顔色ひとつ変えずに私の家の方向へ歩き出した。
「ええん?」
「ええよ、なんでもええよもう。世界全部どうにでもなーれ!ってな」
「……うん」
世界全部どうにでもなれという言葉の意図が掴めない。分からんけどちょっと邑らしくない気がする。それが諦めなら、私が諦めない。
「…私は邑を変な世界の都合でどうにもさせんよ」
「ふは、それヒーローのセリフや」


自分が何者なのか、どうしてこんなにも不条理で分かり合えなくて寂しい世界なのか、思い通りとか、平和とか、当たり前とか、理想とか、愛とか、正しさとか、全部が分からない。これが思春期の全てで片付けられるなら私は青春なんてクソ喰らえだと思う。
自販機の下を覗いて、何にもなくて、大人に追いかけられて、街から出られそうにもなくて、知らない人の財布をすった。
そこから私達は生きることに必死だった。
でも案外どうでもいいことに笑えた。
映画の回想シーンさながら毎日を思い返す。
私の髪は腰くらいまで伸びて幼稚園以来の記録を更新。邑の髪は物心ついてから初めて結べる長さになった。
邑の無造作で寝癖を気にしないふわふわの髪が好きだったから、ゴムで纏めている邑は別人みたいに思えてちょっと嫌だった。
アイスを食べながらそんなことを考えていたら後れ毛が目にかかった邑が鬱陶しそうに頭を振りながらもうひとつアイスを持って戻ってきた。
面白くて、愛おしくて、妬ける。最近邑を見ていると言葉が溢れてくるから楽しい。
「ことばって不思議やなぁ邑」
「そうなん?よ、っと」
「うん。“よる”に漢字があったらどう書く?」
「代わるの代る(よる)ちゃうん」
「1文字で“よる”って読ませるんよ。作らん?」
「ん〜。むずい」
「月が、私達と一緒に閉じ込められてさ」
「よるの世界に閉じ込められるん?」
「そう、蓋したらええんちゃうん」
「なべぶた?」
「てか私達って入らんな、人にしよ」
「人なん?私達酷いことして生きてるけど」
「子供をぶん殴るやつも人なんやからまぁ人やろ」
「あっそう」
「どうやこれ!!」
「それ必要なプリントの裏じゃないよね?」
「うん大丈夫やで」
「これ…月歪みすぎやろはみ出てるし」
「バランスやバランス」
「夜…」
「夜!」
案外綺麗だ。夜の冒険、秘密の夜、真昼から真夜、色んな言葉が駆け巡る。
「ことばはすごいなぁ」
「那津、私達ってなんで夜に行けたんやろう」
「ん〜。私達だけに訪れたってことは私達のためだけに神様がなんか…こう…したんやろ」
「もう1回行きたいなぁ」
「私はもう真っ暗怖いから嫌やで」
「え〜那津〜!」
「でも夜のおかげで私達たぶん生き永らえたな」
「そうやな、夜に行けんかったら多分どうにかなって死んでた」
「いつか夜への扉って小説でも書こうかな」
「無理だよ。その漢字存在しないから出版できません〜」
「じゃあ分解して『人と月に蓋をして夜』や!」
「あはは、夜無いねんて!」
「んははは!なぁ、いつかさぁ」
「はは、え〜?急やなぁ」
「夜がもう1回来たら」
「来んと思うけど」
「もしもや」
「うん」
「死ぬと思う私ら」
「…那津」
「え、なに」
「空が」
「…………まじか」
「迎え?」
「どうやろか」
「アイス当たりやったのに〜」
「手繋いでええ?暗いの嫌やから」
「怖がりめ」
「なんとでも言え」
「…那津は私のヒーローやった」
「…そういうの泣くって」
「来世はとびきり幸せな人間に生まれたいな」
「私は邑と会えたらいいな」
「あはは、なにそれ」

風が全身を逆撫でする。

「夜や」

地が、空が、近づいている。
私達は永遠だ。







夜に身を任せた2人に夜はやって来ませんでした。
真昼の中で2人は信じました。
2人だけが赦される、2人の楽園を。
きっと2人にとって夜とは全てを暗闇で覆いつくし否定も肯定もしない空間、ただの天国だったのです。
地獄という現実から逃避した先にあった夜が、最期まで2人の希望となりました。
神様、私を邑と来世でも親友にしてください。邑、出会ってくれてありがとう。
遺書、高瀬那津。

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