人生観や自身の思想を完全に変えた「介護」という選択、一度死にましたと思ってます
死んで見えてくることもあります
私は一度死にました
父や親友の死からしばらく、落ち着く間もなく、
今度は「父の亡くなった心労」「高齢による身体の負担」で祖父が倒れます。
祖父は元気でしたが90歳を過ぎた超高齢者、
祖母も居たのですが認知症で年々出来ることが少なくなっておりました。
その環境で懸命に2人で助け合い生活していたのですが限界が来たようです。
真夏に祖父は肺炎で倒れます。
一時危ない状態となりますが体調は持ち直します。
ですが体力の消耗や入院によるストレスから酷い
「せん妄」
状態となってしまいます。
この時の行動はすごく、動けない状態の人がベッドの柵を乗り越えたり
色々と見えない物が見えていたようで昼夜を問わず動いておりました。
病院でも見きれずに
「孫である私」と「父の姉妹である叔母達」
へ一挙に負担がかかりました。
叔母たちは遠方より通い家庭もあります。
ですが私は家庭は有ったのですがその中では自由だったので
専念し祖父の面倒を見ました。
このあたりから
「同居して面倒を見たほうが安心できるのでは?」
と思い始めます。
当時は私は神奈川県横浜市に住んでおりました。
祖父は東京です。
通うのもなかなか大変です。
同居への決意(のちの大変な苦労の始まり)
本当に本当に悩みました…
妻と相談をし祖父母の介護生活を決めました。
いくつか理由は有ったのですが
まずは「お年寄りを騙す詐欺行為」がとても多く祖父母も例外ではなく
認知症の祖母と頭ははっきりとしていますが
あまり動けない祖父は何件か被害にあっておりました。
そして「食事」です。
冷蔵庫を見ると賞味期限の切れた物や
いつから有るのかわからない冷凍食品など、、、
父の生前には一緒に整理や買い替えなどをしていたのですが
それもしばらく出来ておらず大変な事になっていました。
あとはやはり「薬の管理」です。
大量の睡眠薬(ハルシオン)を持っていたり、
普段の持病の薬もどのように飲んでいるかもわからない状態です。
今回の入院も伴い体力の落ちた祖父と祖母をこのままにしておくのは
「駄目だな」
と本気で感じたのを覚えております。
ここからは即行動しました。
当時は軽バンを所有していたので家族とともに荷物を横浜から運び
約80往復で荷物を運び終えました。
3DKのアパートからの荷物を運び切るのはとても大変でした、、、
引っ越しが終わる頃には私は介護の疲れと引っ越しの疲れから
高熱を出し倒れてしまいます。
でも横浜から東京への引っ越しも
「軽バン」で自力でこなした経験が「やろうと思えば出来る」
と言う考えをもたせます(笑)
地獄への入り口
大袈裟ではなく今でもそう感じています。
そして引っ越しも終わり改めて本格的な介護生活へと移行します。
当初は「介護」をしていれば良い!と思っていたのですが
想像よりは負担が大きかったのです。
やはり祖父母の長く住んでいる場所で「ご近所」付き合い、
「親戚」への気配り、「祖父」の代理にやる事、
慣れるには労力がかかりました。
前回記載した「周囲へ気を配りすぎる」と言う私の過剰でもあった配慮が
裏目に出ます。
同居をはじめて3ヶ月目くらいに私の体調に変化が出始めます。
「寝られない」
「動けない」
「記憶が出来ない」
と言う状態です。
「介護鬱」の1回目の発症です。
介護鬱との長い付き合いの始まり
「寝られない」
のは字のごとく祖父母の動きが気になり寝れなくなってしまいます。
「動けない」
は何事にも気力がわかなくなり本当に動けない状態でした。
「記憶が出来ない」
は少し前に何があったか分からない、
覚えようとしたことが覚えられなくなったのです。
私はこの時は自分が「壊れた」のかと思いました、、、
この時は妻が許してくれ母のところに1泊だけ休みにいったら
気にならない程度まで回復したのです。
ですがこの時はまだ自分の「過ち」に気づいていないのです。
祖父母の身体のことに気を使い失礼のないように、
3食の食事も気をつけ運動も適度に、
薬の管理もしっかりと身体も清潔に、
起きる前に起きて寝るまで寝ないで夜中も見張る、
近所へ気を使い、
親戚にも気を使う、
祖父の代わりに家の管理と申告を含めたお金の管理、、、
本当に自分の時間は睡眠を含め皆無でした。
自分の判断に負い目を感じる
またこのような環境に妻と家族を連れてきてしまった事に
負い目を感じておりすべてを自分ひとりでこなしていたのです。
もちろん妻も手伝おうとしてくれましたが私が拒否しておりました。
また並行して祖母の認知症が悪化しており、
暴力やヒステリーなどの周辺症状に悩まされます。
祖父も認知症を発症ししっかりしている時間と
認知症である時と二面性を持つようになりました。
祖母は私の子供に暴力的なことをしたり、
台所で鍋の空焚きなどをする、
祖父を殴るなど困った行動が多く全く目が離せなくなります。
(元来穏やかでとても上品な人でしたのでこの辺かもショックでした)
そのような生活を4年間ほど続けました。
私はストレスから極端な食生活と飲酒、運動不足から太り、
髪の毛はいつの間にかに殆どが白髪になっていました。
今も髪の毛は年齢から見ると白い状態ですが勲章と思ってます!
この時に男の子が更に産まれておりますが
「この子の成長の記憶」が私には有りません。
私の記憶に空白が生まれているのです。
限界を迎えた時の人はどうなるか?身をもって思い知る
そしてその反動がいっぺんに来ました。
とうとう声も出せなくなったのです。
祖父が体調を崩し病院へ連れて行くと
「入院したほうが良いのは貴方です」
とお医者様から言われるくらいでした。
そして私の身体を案じて頂き祖父を入院の手続きをしてくれました。
(結果は肺炎でしたので入院は妥当)
「おじいさんが入院している間にしっかり休んでくださいね、
そしてできれば心療内科で診てもらってください」
と暖かいお言葉もいただきます。
私自身は自覚も無かったので「ん?なにがそんなに駄目なのかな?」
とのんきに思っておりました。
ですが帰宅後、数日間寝込んでいたようで妻にも促され
心療内科へ行きました。(寝ていた記憶もないのです…)
すぐに「介護鬱」と診断され
「突発的に自殺してしまう可能性がある」
「突発的に暴力を振るったり、最悪人を殺したりしてもおかしくない」
ほど追い詰められていると言われました。
「そんなだったんだ、、、」とこの時もまだのんきに考えていたのです。
これは誰だ?
ですが少し休んでふと鏡を見た時に「これは誰だ?」
と言うくらい変わっていた自分を見て驚きました。
実は周囲は私に必死に色々と語りかけてくれていたのですが
私が「認識」していなかったのです。
そしてこのままでは自分が終わってしまう!と
一念発起して考えを色々と改めます。
「気を使いすぎない」
「言いたいことを言う」
「誰かを頼る」
という事です。
介護というのはとても孤独なのです。
なぜかと言うと介護に打ち込む人は真面目な人が多いのです。
私はこの経験から自身がお金に困らなくなった時に
「同じような境遇の人の助けになりたい」
と思うようになります。
自分を見つめ直す時間
私が上記の事に気づいてからすぐに行動した
「健康な体を取り戻す」
事と
「稼ぐ力を身につける」
ことでした。
まずは「現在」を生き抜かねばなりません。
「身体」
ジムに通い20kg減量しました。
筋肉質で有った20代中盤以上に絞ることが出来ました。
「稼ぐ」
手段ですがこちらはリサイクルとその後の自営の経験から
とある物販である程度の成功を後にします。
祖父母の介護、家族の面倒を見ている合間で必死でしたね、、、
必ずくる終わりと次にやる事への始まり
祖父はその後、膵臓に腫瘍が見つから急速に弱り亡くなってしまいます。
またその直前に祖母は転倒から大腿骨を骨折して施設のお世話となります。
この記事を執筆している現在もまだ祖母は健在のため
「介護生活」は継続中です。
ですがそれでも「自分の時間」を持てる!それだけで幸せなのです。
「一度死にましたと思ってます」
と言う一見過激とも言える題名の通り私は介護生活で1度死んだのです。
そして今は1度死んで2度目の人生を生きております。
私は
「専念する」
「継続する」
「勉強する」
を続けることは苦でも何でもありません。
全て死ぬほど頑張った介護の経験があるので楽しいのです。
自分のために時間が使えるって素晴らしくないですか?
この事に気づいていない人が多すぎるのです。
「自分の人生」
を生きているという自覚を持ち恵まれている環境を活かしてほしいですね。
そしてその後
「物販」をこなしながら
「学習塾」の開業を経て今に至ります。
長くなりましたが私のこの経験は今にも活きております。
これからどれだけの年月を動いていけるかわかりませんが
全力で取り組みます。
そして次回からは何か皆さんの
「役に立つこと」を執筆していきたいと思います。