見出し画像

『交差点の天使』全作解説+目次

【ごあいさつ】

 これまでの全作解説にも書いてますが、この【百字劇場】というシリーズには、各刊にテーマみたいなものがあります。
 それに沿って、【ほぼ百字小説】の中から二百篇を選んで配列していて、SF、狸、猫、亀。そして今回は、天使です。

 天使? と思われるかもしれません。私も思います。
 書きながら、自分でもよくわからない。まあ仮に「天使」とでも呼んでおくか、そんな感じの天使です。とか言うとますますわからなくなりますね。でもまあ正直なところ、そうです。

 そもそも、ずっと書き続けている【ほぼ百字小説】のいちばん最初が、この「天使」の話なんですね。なんだかよくわからない天使の話。それを百字くらいで説明なしで書きたい、というのが最初。説明なしなのは、私にも説明ができないからだろうと思います。説明できないものを説明せず説明しないまま書くのに、そういう形式がいちばんいいのではないか、と思って、百字小説という形ならそれができそうな気がした。
 で、試しにそれをひとつ置いたら次も何か置きたくなって、という具合に続いて、今も書いているのが【ほぼ百字小説】で、だからすべては天使の作用によるものなのかもしれません。これまたなんだかよくわからない話ですが、まあなんだかよくわからないまま読んでみてください。
 なんだかよくわからないけどなんかおもしろい、とでも思ってもらえたら嬉しいのですが、こればっかりはわかりませんね。


P5 娘とプールに行った帰り道

 娘とプールに行った帰り道、巨大な天使が更地に落ちていた。家に着くなり妻に娘を渡し、カメラを掴んでまた自転車に飛び乗った。どうしたの、と叫ぶ妻に、天使っ、とだけ答えて自転車を漕ぎながら見上げる空は、赤。

 ひとつ目にこれを置きました。これ、じつは【ほぼ百字小説】のひとつ目、【ほぼ百字小説】(1)でもあります。つまり、これが最初の欠片。これを書いて先頭に置いたことがきっかけで、この後が続くようになって、そして今まで続いています。
 それまでこんなことしようとは思わなかったし、百字小説なんてものをそんなにたくさん書くことになるとも思ってませんでした。
 これ、実話なんですよ。娘がまだ小学生だった頃、こういうことがあった。娘を連れて大阪の新世界にある世界の大温泉・スパワールドに行った。その隣には昔、フェスティバルゲートという建物があって、ジェットコースターとカフェとかライブハウスとかありました。そこが取り壊されて更地になって、それがスパワールドの前の大きな階段から見えた。そこに大きな天使の石像が落ちてた。更地に転がってたんですね。かなりでかい、象くらいのやつ。そんなものが、なんにもなくなった土色の更地に転がってた。
 その頃はスマホなんか持ってなくて、そしてカメラも持ってなくて、自転車で家へ帰ってから、あれは絶対写真に撮っとかないと後悔する、と慌ててカメラを持って自転車で引き返した。それをそのまんま、なんの説明もなく、極端に短く書いたらおもしろいんではないか、と思って書いたのがこれです。夢の中の世界の終わりみたいな風景だと思った。
 うちから新世界までは上町台地を越えて行かないといけないんですが、自転車を漕いで坂を上りながら前方の西の空が焼けてたのをよく憶えてます。
 まあそんなわけで、【ほぼ百字小説】そしてそれをまとめた【百字劇場】は、落ちていた天使が書かせてくれたものなのかも、とか、けっこう本気でそう思ってます。まあこれに限らず、小説なんて全部、そういういろんな天使が書かせてくれるものなのかもしれませんが。

 というわけで、そんなのを並べた本です。
 こんなのが、あと199個入ってます。

 P5の朗読版。


P6 天使の通り道を知っている。

 毎日ほぼ同時刻、ひと駅分くらいを歩いてマクドナルドへ行って、そこで書いてます。うちの近所には昔ながら、というか昭和風の路地がたくさん残ってて、そのなかをぐねぐねと抜けて行く。その途中に、こういう路地があります。細い路地なんですが、まっすぐ長く続いている。なぜここだけこんなにまっすぐなんだろう、とか、頭のすぐ上くらいの高さでこういうことが起きるところをよく思い浮かべてて、それをそのまんま。

P7 皆さん、はぐれずしっかりついて来てくださいね。

 私は方向音痴で、初めてのところに行くときにはよく道に迷います。初めてじゃなくても迷う。引っ越して来て何年目かに、家の近所で方向がわからなくなって、たよりない気分でぐるぐる彷徨ったこともある。もうさすがにそんなことはありませんが。困ったもんですが、でも待ち合わせとかじゃなければ、「道に迷う」ということ自体はけっこう好きです。なんかものすごく不思議で頼りなくてちょっと怖い。そういうのは、迷う人じゃないと体験できない感覚なんじゃないかと思う。

P8 天使が群れで飛行しているとき、

 雨雲レーダー、いいですよね。天気予報もかなり制度があがりましたが、雨雲レーダーがいちばん信頼できるし、なんといってもおもしろい。レーダーですからね。子供の頃は、そんなのSF映画か戦争映画の中のものでした。ところが今は自宅で自分の家の上空の雨雲をレーダーで見ることができる。未来だ、と思います。そして、天使の群れがレーダーに映ると、というところから。ひとつはすべてで、すべてはひとつ。そして全体と部分が同じ。そういうのって天使っぽいと思うんですが。

P9 たまに目の前に糸が下りてくる。

 もちろん『蜘蛛の糸』です。しかし糸ですからねえ。あんなものを登っていける気がしない。まあ、地獄にいたらそれでもやっぱり登ってしまうんでしょうけど。それにしても、かなり意地悪な話です。で、そんなことを言ってるここが地獄だとしたら、という話。

P10 指輪が抜けなくなってしまう恐怖で

『指輪物語』じゃないですが、まあ魔法には指輪がつきもの。そして、指輪に関して昔からよく思う、というか心配がこれでした。失くしてしまいそうで、気になってしかたがない。そう言えば、今回のオリンピックでも指輪をセーヌ川に落とした選手がいましたね。やっぱりあるあるですね。一種の呪いではあるまいか。

P11 青空に、ぽんっ、と蓮の花が

 SFですね。戦争SFのつもりで書いたのかな。物干しで、そんな蓮の花がたくさん並んでるみたいな雲を見て、パラシュートみたいだなと思って、そこからの連想。パラシュートというのは花みたいに綺麗ですが、実際にそれが下りてくるのは怖い情景ですね。そんなパラシュートでヒトなのかどうかわからないヒトの形の兵士が降下してくるところ。

P12 青空に、ぽんっ、と蓮の花が咲くように

 そしてこれはそのもうひとつのバージョン。こんな書きかたをよくやりますが、これがその最初かな。ヒトの形だけど、に対して、ヒトの形ではないが、を同じパラシュートにぶら下げてみました。

P13 稲刈りが終わると、田んぼは

 二毛作ですね。田んぼが休んでるあいだに何を植えるか。そのひとつの答えとして。遊ばせてるのもあれだから、ちょっと貸してるんでしょうね。そして相手は、契約を結べるような存在。怪物みたいに見えるけど、神様というか邪神というか、そういう存在。だから契約を結んでるんだから侵略とかではなく、もちろん商売です。いちおう、ウインウイン、ということになってるはず。本当にそうかどうかはともかく。

P14 押し入れからアイロンが出てきた。

「記憶を失った殺し屋」が、自分の過去を忘れて穏やかに暮らしているところに昔の仲間が、みたいな展開、わりとありますよね。ちょっと捻ったサスペンス+アクション。まあそんな感じのを書こうと思ったんですが、そうなってるかどうかはわからない。アイロンが出てきたのは本当。いや、見覚えはありますけどね。

P15 ここはホウキの墓場。

 ハードボイルドっぽいモノローグを書きたかったのかな。町の掃き溜めにいる壊れたホウキ、みたいな感じですか。もちろんパートナーは、チリトリでしょうね。

P16 狭き門から入っていくために

『ウルトラQ』のエピソードに「8分の1計画」というのがあって、それは人間を小さくして人口爆発とか食料危機を乗り切ろう、みたいな話で、タイトルも含めて大好きなんですが、そのあたりからかな。もちろん、「狭き門」という言葉からの連想。狭い門をいかにしてくぐるか、の解決策としての縮小。まあそういう一見うまい話は、まず詐欺を疑うほうがいいですけどね。

P17 与えられた仕事は門番。

 門つながり。何のための門番なのか、というのがわからない。門と言えば、カフカの『掟の門』ですが、それも意識してこんな感じになったのかも。

P18 充分に発達したドローンと天使とは

 冒頭のフレーズの元ネタは、アーサー・C・クラークの、「充分に発達した科学は魔法と見分けがつかない」というやつ。いろんな応用が利く言葉で、まあ名言というのはそういうものでしょう。使い勝手もいいですね。私もよく使ってます。たとえ見分けがつかなくても、それに対してとる態度が同じならべつにいいんじゃないの、というのもあるあるですね

P19 悪の組織に捕まって、カレンダーに

 これは天使の話じゃないですが、カレンダーというのはどこか天使的な気がする。いや、私がそう思うだけか。悪の組織に捕まって、というのは、仮面ライダーだし。あんまり天使関係ないな。いや、知らないところで行われている正義と悪の戦い、というのは天使っぽいのかも。そういえば、石ノ森キャラクターはどこか天使っぽいところがありますね。

P20 あの地底怪人の正体、これまでは

 これも仮面ライダーつながりかな。モグラとか、いかにも怪人にいそうですが、どうだったかな。モグラ怪獣はいますね。モグラロボもいる。イタチ怪人というのはいなかったかな。わりと狂暴だし、最後っ屁とか、怪人の必殺技にしやすそうですけどね。あ、怪人じゃなくてイタチそのものですが、ノロイという最恐悪役がいるか。だからなんだ? という話ですが。

P21 たとえば、長靴ね。

 長靴を見ていて考えたこと。そしてちょっと変な理屈、というか屁理屈。なんで食うものと食われるものの話に持っていったのかは自分でもよくわかりませんが、水は飲むものだからかな? まあ食うものと食われるもの、というのは、天使的というか神様の話ではあるか、とは思う。

P22 空き地に電柱が一本立っている。

 自分では、風景もの、と呼んでいるタイプ。花札に描いてあるような小さい風景。もともと【ほぼ百字小説】は、そういうのをそれだけで書くのにちょうどよくてやってるところはあります。ショートショートくらいの長さでもそれだけ、というわけにはいかない。百字なら、ほんとにそれだけで書ける。こんな風景画が見たいんですね。だから自分で書いてる。空き地、というのも大きいかな。この本の最初に置いたのも「空き地もの」ですからね。

P23 天使も進化するのだろうか。

 メカなんとか、というのはいいですよね。最初に見たのは、キングコングのメカ版のメカニコング。名前もデザインもかっこいい。『キングコングの逆襲』という映画に出てくるんですが、これ、邦画です。東宝特撮映画。これが、メカゴジラまでつながるんでしょうね。いや、天使とは関係ないけど。

P24 風鈴が鳴っている。こんなに寒いのに

 冬の怪談ですね。怪談と言えば夏、みたいなことになってますが、実際は夏よりも寒さで身体が弱ってる冬のほうが怪異には似合いそうな気がする。おかしなものを見てしまうのは、そういうときですからね。『シャイニング』とか。そして、音だけの怪談、というのもけっこう好き。冬に強風の中で鳴り続けてる風鈴、というのはけっこう神経に来そうな気がします。だからまあ、サイコホラーでもあるかな。

P25 天使の死骸は落ち葉によく似ていて、

 自然界の循環、みたいな話。自然界における天使のサイクルですね。私が子供の頃は、そこらの家の庭で焚き火をしてたりしたし、小学校の焼却場でいろんなものを燃やしてたりしてました。ダイオキシンとかが問題になって、そういう風景がなくなってしまったのはちょっと残念だなと思います。焚き火って楽しかったですからね。

P26 風の噂では今夜あたり妻が

 妻はよく長い旅行に出てました。前ほどじゃないにしても、今もたまに二週間くらいふらっとどっかに行ってしまったりします。まあそんなときはこんな感じ。

P27 たまに銀の天使を見る

 これ、私の世代にはお馴染みだと思います。森永のチョコボール。キョロちゃんのやつですね。そのチョコボールの取り出し口が嘴の形になってて、当たりだとそこに金のエンジェルか銀のエンジェルがついてる。金は一枚、銀は五枚で、おもちゃの缶詰がもらえるのです。おもちゃの缶詰! あれほど魅惑的な響きはちょっとなかったなあ。金のエンジェルは見たことない。

P28 進路にハードルを置いていく仕事

 ハードルはいろんな喩えに使われますね。高くしたり低くしたり。喩えに便利なんでしょうね。これは、そんな喩えとしてのハードルではなく、実際のハードルでそれをやる仕事。そしてそんな仕事の内容をハードルに喩える話。

P29 ついにジグソーパズルの達人が

 子供の頃はわりと好きだったんですが、もう大人になると単なる仕事みたいで、ジグソーパズルなんかやる気がしない。私はそうなんですが、みんなそんなこともないのかな。欠片を集めて何かを、というのはあいかわらず好きだし、実際こうやって百字を並べているのもそういうことだという気がするんですが、でもこれは完成形がどうなるかわからない、というのが全然違いますよね。あ、そういうジグソーパズルがあったらやるかもしれないなあ、というか、やってるのか。

P30 夕方になって急速に冷えてきたせいか、

 夏の入道雲も好きなんですが、秋の空はまた格別です。かなり複雑ないろんなパターンが現れる。対流とか流れとか凝固とか。それがけっこう生き物の部位の形状を思わせる。それを見て、よくこんなことを思います。

P31 崖っぷちに飛び込み台があって、次々に

 バンジージャンプをやるとして、下が見えてるほうが怖いか、見えないほうが怖いか。まあテレビなんかで見てて、よくそんなことを考えるわけです。いや、私はどっちも嫌なんですけどね。いつからか、そういう絶叫系の娯楽みたいなものが全部ダメになった。だからこれは見たくない悪夢みたいなやつですね。

P32 ここは海の上に作られた街のはずなのに、

 ちょっとおとぎ話っぽい世界とその風景みたいなのを書きたくなって書いたやつ。たまにそういうものが書きたくなる。舞台装置みたいにいろんなものが配置されている町とか。グリム童話なんかにありそうですが、あれは森の話が多いですね。それならこっちは路地と海の話、とか思ったのかな。埋立地っていうのは、なんか魔法っぽい。

P33  春の雨だ。いろんなものが流れてくる。

 うちの近所には上町台地と呼ばれるちょっとした丘があって、てっぺんには夕陽丘、なんて住所もあったりする。私が住んでるのはその坂の下で、だからゆるい坂の途中にいる、ということが雨の日なんかには意識される。流れの途中にいる、というのはなんかいいじゃないですか。春雨だし。

P34 飛んでるみたいやないか。

 タップダンスを習ってました。演劇でちょっとやることになって、そのついで習うようになって、まあ自分がそんなことするなんて思わなかったから、それがおもしろくてけっこう続けたんですが、いやー、できなかったなあ。もちろんそれはわかってた。もともとそんなことできるほうじゃないですからね。でも、できないなりにダンスというものが楽しいものだ、というのがわかったのはすごく大きな収穫でした。これは、そのキッズクラスの子供たちを見たときに思ったこと。上達が中年過ぎて始めた私なんかとは比べ物にならない上達の速さで、あ、この先いくらがんばっても、自分はこんなふうには踊れないんだ、とそんな当たり前のことを実感した瞬間。

P35 遠くに見えるビルの上層は雲の中だ。

 うちの近所からは、あべのハルカスが見えます。今住んでいるところに越してきてしばらくしてからその建設が始まったので、それがだんだん高くなっていくところからずっと見てました。あのくらいの高さになると、上半分だけが雲に隠れてる、というのがよくある。人間サイズであんなことになったら、おもしろいだろうな、とかそんな妄想。

P36 また妻がどこかへ行ってしまった。

 ふらっと旅行に出かけていくんですよ。いや、さすがに今はちゃんと言ってから行きますけどね。でもいったいどこで何をしているのかわからないことは多くて。まあこんな感じです。

P37 妖精だろうと思うのだが、

 昆虫なんかの名前で、なんとかモドキ、というのはおもしろいですよね。あ、昆虫じゃないけど、『マグマ大使』に「人間モドキ」というのが出てきました。秀逸なネーミングだと思う。

P38 水色の夕空には鳥の羽毛のような薄雲が

 実際に見た風景そのまんま。雲の動きの速さが違ってたり飛行機が飛んでたりして、いろんな高度にいろんなものがあって、空がたくさんの層になってる感じがわかるときってありますよね。ああいう景色が好きなんです。ちょっとミニチュア世界っぽいからかな。月、雲、飛行機、その下にまた雲、とかね。

P39 今年も水路沿いの小道で花見。

 花筏はいいですね。花筏、という言葉もいい。関係ないですが、落語にも『花筏』というのがあって、これは相撲取りの名前。かっこいい。花弁がびっしり水面を覆っているのを見ると、本当にああいう色の地面のように見えることがある。そう信じさえすれば普通に歩けるんじゃないか、と思うくらい。まあ忘れてしまっただけで、そういう頃もあったのかも。

P40 まず粘土を捏ね、捻ったり回したり

 あるある、というか、ドラマなんかのお決まりの型として、陶芸家が自分の作品をばーんと叩きつけて割る、というのがありますよね。まあそんな感じで、自分自身を自分で作って自分で更新する生き物がいて、そこにも頑固な陶芸家みたいなのもいるんじゃないか、とか。

P41 毎年この時期になると幽霊たちが

 もちろんあれです、『桜の森の満開の下』。満開の桜の下に死体が埋まっている、というイメージは強烈ですね。まあそこから連想した小噺みたいなもんかな。死体があるなら幽霊も、とか。

P42 すっかり春だと思っていたのに、

「寒の戻り」というやつでしょうね。昔の人は、うまいこと言ったもんだ。でも気候じゃなくて、時間の流れの方が乱れているのかも、とかそんな妄想。もちろんその時間の流れの中にいたら、それが乱れてても気がつかないでしょうけど、まあそれも含めて乱れてる、ということで。

P43 夜の台所でたまに聞くあの奇妙な声は、

 冷蔵庫の声。たぶん、あるあるですよね。いつもは、ぶうんっ、くらいなんですが、たまにものすごく複雑なことをつぶやいたりする。

P44 動物たちがヒトの真似を始めた

 知り合いの「超人予備校」という劇団が、動物園で子供向けの芝居をやっていて、それに出演したことがあります、狸役で。これはそのときに書いたんだったかな。動物園にいると、人間というのはヘンテコな動物だなあ、とつくづく思います。

P45 四つ葉を探しに出たのだが、

 四つ葉を発見する能力、ってありますよね。たまにそういうことができる子供がいて、テレビで能力を披露したりしてる。まあ超能力とかじゃなく、四つ葉ができやすい場所に共通するあるパターンを見つける回路みたいなものが脳の中にできてるんじゃないかと思う。普段からよく四つ葉を探してたりする子供には。で、それなら別のものを見つける能力もたぶんあるだろう、と。

P46 赤い星を探すため、

 火星はわかりやすい。というか、火星とあと二つ三つくらいしか星はわからない。でも、火星はわかります。火星が接近していて明るいときなんかは、もう赤いし明るいしで見間違えようがないですよね。金星と木星とかだと、どっちかなあ、とか思いますが。

P47 行列のできる店という評判の通り、

 あるあるじゃないでしょうか。振り向いたら、いつのまにか自分の後ろに列ができてしまってたりして。よくわからないのにリーダーみたいになってしまう、というのは怖い。そんな夢を見たことがあるような気がする。

P48  自分が流されていくところを


 ドッペルゲンガーというのは怪談の定番ですよね。誰かの分身みたいなものを見る話。生霊とかそういう解釈がされてることが多い。そして、自分自身を見てしまうと死期が近い、とか。まあそれのバリエーション。もうすでに流されてるから、どうなることやら、ですね。

P49 高架下の店のいつもの席にいると


 これを書いてた頃は、高架下にある店でよく書いてました。そのときに書いたやつ。慣れると気にならないどころか、ないとものたりないくらいです。そして、だんだん馴染みになると聞こえかたも違ってくる。人間の脳は、ノイズの中からありもしない情報を取り出したりする(妄想、とも言いますが)特徴があるので、それもまた小説を書く助けになってるのかも。

P50 ハンバーガー店の隅のテーブルで

 これもその店。マクドナルドです。横で中学生とかが大騒ぎしてたりする。慣れると気にならないどころか、ないとものたりないくらい。以下同文、です。

P51 動物園で動物たちが演劇のようなことを


 動物園での演劇の続き。まあやるんなら人間以外の役がやりたいかなあ、と私は思いますが、動物にとってもそうらしい、というのがサゲ。あんまりいい役じゃないんでしょうね。いや、いい役とか悪い役なんてない。いい役者とそうじゃない役者がいるだけだ、というのは誰の言葉だったかな。 

P52 風船に似た風船ではないものに

 擬態、というのが好きでこの百字劇場にもよく出てきます。不思議ですよね。何がどうなって形を真似られるてるのか。いちおう進化論的な説明はありますが、いやそれにしても、という感じ。関係ないけど、風船に似た怪獣に、バルンガというのがいました。ウルトラQに出てくる。

P53 青空にヒトの形が浮かんでいる


 超常現象、というか、怪異というか、まあそんな謎の飛行物体の話ですが、昔はそこにもいちおう、何がどうなってどういう理屈で飛んでいる、という言い訳みたいな理屈がついてたりしました。ヒトの形のものなら、ヒトの形でどうやって飛んでるか、とかね。と言っても、マント程度だったりしますが。

P54 空き地に天使が落ちていた


「鶴の恩返し」の天使版みたいなやつ。たまたまこの主人公はそういう技術があるのでしょう。ちょっといい話、ですね。

P55 かごめではなくカモメだと

 本当のことそのまんま。あの歌はなかなか変ですよね。夜明けの晩、とか、鶴と亀がすべった、とか。そしてメロディーもなんだかおどろおどろしい。後ろの正面だあれ、って普通に怖いしね。子供の頃にあれを聞いて、頭の中に勝手に描いた映像は今も鮮明にあります。夜明けの晩の空の色とか。

P56 最近の夜空が透き通ったコーヒー色を

 ミルキーウエイという見立ては、日本人の発想からはかなりかけ離れている感じがします。世界観みたいなものの根本的な違いとか。でも、今の日本人の感覚ならそんなに違和感はないかも。生活様式とか食生活の移り変わりでそんなものまで変わる、というのはなかなかおもしろい。

P57  西瓜が椅子に座っている


 西瓜というのは、なんか妙に存在感がありますね。こっちが勝手に向こうの考えを類推してしまうようなところがある。そんなことないですか。
籐椅子なんかに無言で座ってる感じがするんです。

P58 メロンが箪笥の上から


 まあ存在観、というか、なんかちょっと偉そうな果物、としてのメロン。いや、今ではそうでもないのかな。私が子供の頃は、高価な果物の代表だったんですが。

P59 発達した雷雲が迫ってくる

 あの雷様、というやつは、雷の擬人化としてかなりおもしろいですね。身体に太鼓をたくさん装着しているところは、ちょっとストリートミュージシャンとか大道芸人っぽい。臍を狙う、という設定もなかなかのもんだと思う。「高度に発達した」というフレーズは、他でも使ってますね。アーサー・C・クラークです。

P60  地上からは雲のように見えるが


 天使の群れの話。ひとつひとつの天使の大きさもいろいろで、こういう小さい天使の群れもある。そして、部分が全体でもある、というのがたぶん天使性、ということで。雨雲レーダーを見たら、天使を探してみてください。

P61 細長い空き地の入口に

 うちの近所は昔、海だったらしい。というか、大阪はほとんど海だったんですね。淀川が運んで来た砂でできた三角州ですから。そして、上町台地が岬だった。そういうことを考えて近所の路地を歩いていると、なんかいつ海に戻ってもおかしくないような気がします。『ソラリス』というSF小説があって、これには知性のある海を持つ惑星が出て来て、その海は変形して陸地みたいになったりして、いろんなものや場所を作りだしたりする。もしかしたらここもそういうものなのかも、とか。

P62 大昔というほどでもない

 これも同じ発想、というか同じ妄想ですね。海の家の主は、当然ながら海の生き物でしょう。

P63 鳩や烏や雀、他にも

 空き地もの。フェンスに囲まれた空き地にはいろんなものがいます。人間が入れないせいか猫ものびのびしているし、鳥もたくさん来る。あんなに鳥が歩いているところは他にはあんまりない。

P64 網戸がすぐ壊れるのは

 網戸というのは、なかなかすごい発明だと思います。ただ、ちょっ寸法が合ってなかったりして、何かのはずみで外れて困る、というのはあるあるですよね。閉めようとして、外れて、あわててはめようとしているところに、蚊が寄って来て。そんなときに思いついた話かな。網目より蚊が大きいから入れないわけですが、もっともっと大きかったら、とか。

P65 夜中に目が覚めて

 なんというか、悪夢の現実化、みたいな話かな。嫌な予感、とか。そしてそれが夢でも予感でもない、というのが悪夢のいちばん悪夢的な展開でしょうね。

P66 死者を迎えるために今年も


 お盆もの。町内会の盆踊りの準備をしているときに書いたやつかな。小学校の校庭に櫓を立てるんです。娘が通ってたその小学校も、今は少子化で統合されてなくなってしまいました。生者のほうが減ってしまってますね。

P67 今年の櫓はちょっと構造が変わっていて


 その盆踊りの続き。晩踊りというのは不思議ですね。提灯をたくさん吊った櫓の周りをみんなで輪になって踊りながらぐるぐる回ってる。なんだか呪術っぽい。狐狸に化かされてる感もあります。そして、輪と言えばメビウスの輪。踊ってるうちにいつのまにか裏側に、とかそんな妄想。

P68 日光が照りつける地上を歩きながら


 いや、暑いですねえ。今年はこれまでにも増して暑い。これからずっとこうなるんでしょうか。これでは天使もどっかにいっちゃうんじゃないか、という気にもなりますよ。そして、蝉と天使はよく似ている、と私は思う。ちょっと非現実感があるところとか。

P69 夏祭りが終わり、提灯を畳んで仕舞う


 で、盆踊りの後かたずけ。翌日に集まって、櫓をばらしたりテントを片づけたり。そしてあの吊ってあった提灯を畳んで箱に入れる。これ、また来年使うんだな。それまでこの提灯がどこか他のところで他のことをしていてもわからないだろうな、とか思いながら。

P70  金魚ということになっていて


 この本の解説を書いてくれてるサリng ROCKさんの主宰する劇団が「突劇金魚」で、私は何度かそこに出演させてもらってます。これはその稽古に行く途中、夕焼けの中に金魚みたいな雲を見て、それで書いたんだったと思う。まあ俳句で言う挨拶句、みたいな感じでしょうか。そういうことができる、というのは、マイクロノベルのいいところだと思う。ちょっとした自分の思いとか気持ちを小説の形で切り取れる。まあそういうやりかたで毎日書いてる、というのもあります。そういう点も、普通の小説にはないマイクロノベルのおもしろさだし利点だと思う。

P71  飛行機雲だと思っていたが、


 これは実際にそういう雲を見た。たぶん飛行機雲が風で流れてそんな形になってたんだろうと思う。そこから、飛行機がもう飛んでない世界、という設定にして。こういう書きかたはよくやります。というか、私の小説ってほとんどそんな感じです。

P72 地上にも天使の通路があって


 これが表題作ですね。これはタイトルが決まってから、それをお題にして書いた。お題をいただいて書く、というのは大喜利みたいで楽しいですね。交差点、信号、サイン、みたいな連想からかな。関係ないものを勝手にサインとして受け取る、というのは人間あるあるなのかも。

P73 夕暮れになると次々に穴から出て


 蝉の幼虫の羽化、というのは、身近にあって誰にでも目撃できる奇跡のひとつだと思います。そして、もし天使がいるとすれば、あれに似たところもたくさんあるのだろう、と。

P74 路地の奥に手動ポンプのついた井戸が

近所の路地には昔の井戸がけっこう残ってて、あのポンプもあります。動かしても水が出なかったりしますが。すこ、すこ、すこ、と動かしてると、水は出てないけど、何かが出て来てたりして、とかそんなことを思う。長い長い何か。

P75 夕立らしい夕立である


 夕立の降り出しはいいですよね。一瞬でいろんなものが変わる。そして人間もいっせいに走り出す。黒澤明の映画のワンシーンっぽい。晴れ上がるのも早くて、見る見る雲が吹き飛んで、そういうときは、空が宇宙にまで繋がってることが実感できる。実際に見たそんな景色のスケッチ。

P76 雨上がりのこんな夕暮れどきには


 P75の夕立のあとかな。濡れたアスファルトが空の光を反射するのは、とてもいい。ちょっと水面みたいに見える。そこからの妄想。ちょっと角度が変わると、その水面の下が見える。そこに棲むものも。

P77 足音を聞いて飛び出してくる


 子供の頃、家で飼ってた犬が、こんな感じでした。うわっ、とびっくりする。わかってるのにびっくりする。その感じを書いてみたのかな。死んでしまったあとも、飛び出してくるのを警戒する感覚は身体に残っていて、ああもう死んだんだった、とか思い出すのは寂しかった。

P78  娘がビンゴで当てた牛肉が


 実際、娘が商店街のお祭で当てた。ビンゴで牛肉が来る、というのがなんだかおもしろくて、こういう光景が頭に浮かんで、それをそのまんま。向こうから来た言葉をそのまま打ち返す、みたいに書く感じ。

P79 やることなすこと薄くなって


 もう終わり近くになっている歯磨きのチューブとか見ると、なんか他人事とは思えなくて、なんとか復活させてやれないかな、とか考える。まあ無理なのはわかってるんですけどね。

P80 管の中を這い進む


 こういう悪夢、というか、イメージが浮かんできて、怖かったりする。映画なんかでも怖いです。脱獄ものとかね。あんなこととてもできないなあ。這い進んでいるときに、きっとこんなことを考える。なぜこれを天使的と感じるのかは、よくわからない。不条理な罰みたいな感じだからかな。

P81 少しずつ作ってきた断片が


 これです。ずっと書き続けている百字小説のこと。こうやって並べているうちに、いつのまにやらそれらに関係性みたいなものが見えてきて、そうなると、その関係性を強調したり、それを使ってなにか別の効果を出せるような百字がその位置に欲しくなって、そしてそれに合わせて作ってみたり。意志というのはそれ単独で存在するのではなく、周囲の環境に埋め込まれている。アフォーダンスというのは、つまりそういうことではないかと思うんですが、こういう百字もたくさん集まるとひとつの環境みたいになって、個々の百字はその環境の中で暮らす生き物のようにふるまうのではないか、とかそんなことをよく思う。こんな妄想をいだかせてくれることも含めて。小説というのはおもしろい。

P82 虹を見つけるのが得意。


 これは本当。昔、フォークリフトで荷物の積み下ろしをやってました。倉庫の前の屋根のあるスペースは限られてるので、天気が悪いときは大変で、空模様ばっかり気にしてました。降ったら降ったなりに、止んだら止んだで、積み込みの段取りをしないといけない。そして、雨が上がるといろんな心配が一気に消えるので、その高揚感というか多幸感はなかなかすごくて、それで虹が出たときなんかは、ほんとにハイになったりしました。年に何度も虹を見てたから、その感じというのがわかってくるんですよ。これは出るぞ、あのへんに、とかよく当ててました。

P83 夜に走っていると年に何度か


 走るのは好きで、大抵は夜に走ってます。大阪ハーフマラソンとか毎年出てたんですが、いつからか倍率がすごく高くなって参加費も高くなっておまけに抽選、とかになってからは、もう勝手に走るわ、という感じ。で、夜に走ってると、こんな感じになることがある。ランナーズハイ、というほどのものじゃないんでしょうけど、とにかくすごい万能感みたいなものに包まれることがある。啓示とか神秘体験って、そういう類のものなんじゃないか、とか。

P84 夏の終わりの夕空がもっとも条件に


 季節の変わり目の空は、熱の流れが激しくなるのか、いろんなパターンが現れる。羽毛とか羽根とかそんな形が多くて、それを天使率が高い、と呼んだりしてます。空で天使が組み立てられてるみたいに見えるんですね。

P85 路地の奥のどこにも通じていない


 これはなんなのかなあ。こういう風景が浮かんだんですね。ヒヨコがたくさん鳴いているのか、子供の頃に見た夜店かな。よくヒヨコが売ってたりした。白熱電球の下で、あのひよひよひよひよ、という声とヒヨコの色で、そこだけがスポットライトが当たってるみたいに明るく見えた。頭の中に今も残っている。

P86 夕暮れどきにゆっくり走る。


 これもランナーズハイみたいな話ですね。そういう状態になると、とにかく高揚感がすごい。大抵のことはどうでもよくなる。だから、少々嫌な風景でも、気持ちのいい風景だと思えるんじゃないか、とか。

P87 いっつも原チャリで夜の海まで行って


 関西弁もの。これ、大学の落研で漫才やってた頃の話。コンビを組んでた先輩の家の近所に海岸があって、よくこういうことをやってました。ああ青春。夜の波打ち際で漫才をやってると、何かがざわざわ集まってきそうな感じがして怖かった。それを思い出して。いや、べつにそういうお願いはしなかったし、しなかったから落語家にも漫才師にもなれなかったですけどね。たとえば、あのでかい賞を取った後の楽屋で、こんな会話が交わされてたら、みたいな話。『ローズマリーの赤ちゃん』要素もちょっと入ってるかな。

P88 なんとなくお百度参りを始めてしまう


 これのこと。【ほぼ百字小説】を始めて、百篇とか二百篇くらいになった頃は、そんなこと思ってた。これを始めて、まだ続いてるのはいいけど、どのくらい続けたらいいのか、というか、どのくらいまでやったら終わったことになるのかなあ、とか。もう今はそんなこと思わないですけどね。できるうちは続けるだろうから。

P89 空の決着はあらかたついたらしい。


「天使率が高い」と私は呼んでますが、そういう天使の部品というか、翼とか羽毛っぽい形状の雲が、夏の終わりから秋にかけて多くなるような気がする。なぜそんなものが作られてるのか、ということにも理由はあるだろうし。

P90 倒れたはずのあのビルが、


 あべのハルカスもの。隣町にあるから毎日のように見える。だからよくネタに使わせてもらってます。人間だけじゃなく動物にも幽霊があるんだから、ビルみたいな建物にも幽霊があるかも、そして、という話。

P91 夕日がきれいな丘からは、


 天王寺のあべのハルカスからの眺め。夕日が海に沈むのが見える。そして、昔はハルカスのある上町台地のすぐ下まで海があったんですね。大昔というほどでもない。四天王寺が出来た頃にはそうだった。その頃の古地図なんかには坂の下の海が描いてある。海が遠ざかっていく、というのは不思議ですね。ちょっと『ソラリス』とかを思う。

P92 信号があるのに気がついたのは、


 空き地にはいろんなものがいて、その前を歩いていると、小さな動物(たぶんイタチ)が道を横切っていくのが見えたりして、これが小さい人影だったら、みたいな妄想。そんな小さい人がいるんなら、それが道を横切るための信号もあるのでは、とか。

P93 烏を集めて作った闇と


「闇夜の烏」というフレーズというか、真黒の絵の判じ物、みたいなのありますね。真っ黒の塗りつぶされたスペースには、無限の情報が内包されている。ただそれを取り出せないだけ。情報論SFなんかにあるアイデアですが、まあそんなところからかな。いくら考えても答えが出る問いではないですが。「明烏」は、落語のタイトル。小松左京の短編にもある。

P94 異種格闘技なるものを


 まあ小噺ですね。こんな異種格闘技は嫌だ、みたいな。クマとクジラ、どっちが強い、とか、子供の頃にはよくそういうありえない夢の対決の特集みたいなのが漫画雑誌にあったりしましたけどね。ちなみに、猪木・アリ戦は中学生の頃。

P95 雨が粘度を増して水飴に


 リンゴ飴って、見た目はいいんですが、実際に食べてみると、かなり食べにくい。子供の頃からずっと思っていて、そしてちょっとスノーボールに似ている。世界を飴の中に閉じ込めたスノーボール、その入れ子、みたいな話。

P96 調子が悪くなったところが


 これは実感、というか、あるあるでしょうね。怪我するとそのうち治るものだと思ってたんですが、治らない。あいてててて、となってから、何ヶ月もずっと、あいてててて、のままだったりする。あれ? これってもう直らないのかな、とか。まあ直るほうが不思議なんですね。

P97 式典の最後で空に風船を飛ばすと


 娘がまだ幼い頃、けっこう子供向けのイベントみたいなのにいっしょに行くことがあって、そこではよく大量の風船を飛ばしてました。丸い粒が大量に飛んでいくのがおもしろくてその動画を撮ったりもした。そのときの妄想。

P98 昔からジャンボという言葉に


 これはもう実感ですね。ほんと、そうなんですよ。今も失敗する。でもその言葉にときめいた記憶は身体に残ってるから、理屈じゃ抑えられないんですね。もう還暦を過ぎているのになあ。

P99 今宵も有翼の何かが


 天使の定義は、なんだかわからない有翼のもの、でいいんじゃないかと思います。そして、航空力学的にはとてもあんな翼で飛べるとは思えない。まあ物理法則に従う存在ではないのでしょう。でもそれならなんで翼をつけてんだろう、まあそんな話。

P100 足裏のツボを刺激する


 足ツボを刺激する板、とかありますよね。銭湯とかに置いてあったりして、ちょっとやってみて、めちゃめちゃ痛い。こんなもんに乗れるかっ、とか言いながら、でもまたトライしてみたり。あの痛さがあるからよけいに挑戦したくなるのでしょうか。そして、身体にいいとはとても思えない。

P101 ある曲が頭から


 あるあるですよね。ずっと頭の中をループしてる。呪いっぽい。こういうのは大抵の場合、もう聴くのも嫌になるもんですが、これは好きになる場合の話。なぜ好きになるのかは、自分で自分好みに改竄してしまうのかも、とか。

P102 窓口で指示されるまま


 いわゆる「たらい回し」というやつ。いちばん見事なのは黒澤明の『生きる』の最初のところで、これくらいうまくお役所のたらい回しを描いたものはないんじゃないかと思う。まあそのスケールを大きくした話。

P103 暴風警報が出たので小学校は


 大阪は暴風警報が出たらお休みになるんですが、大雨警報だとお休みにならなかった。今は変わってるのかもしれませんが、娘が小学生の頃はそうでした。理由はよくわからない。ということで、いろんな警報の話。そしてこれはあるあるだと思いますが、波浪警報って、子供の頃はずっと、ハロー警報だと思ってて、そして道で突然、外人に英語で話しかけられる、というシーンを頭に描いていた。

P104  存在しないバスが


 大阪に台風が直撃することはほとんどないんですが、何年か前に関空の滑走路が高波で水没したりタンカーが橋にぶつかって通行ができなくなったりして、空港にいた人が出られなくなる、というなかなかすごいことがありました。うちの物干しの屋根も風で吹き飛んだ。そのとき、そういうバスのデマが流れた。あれは何なんでしょうね。じつは私の妻もそのとき台湾へ旅行しようと関空にいて、もちろん出発できず、閉じ込められて、これはまだ何日か帰って来れないぞ、とかテレビを観て思ってたら、翌朝早くにはもう帰ってきた。テレビではまだ閉じ込められたままってニュースでやってるのに。なんでも、助け出すために来た船にたまたまうまく乗れて、神戸経由で大阪へ帰ってきたのでした。なぜたまたま速く乗れたのかと聞けば、トイレに行こうとして空港の事務所みたいなところに迷い込んで、そこでもうすぐ神戸からの船が着く、という話を立ち聞きしてすぐに船着き場に向かい、早く並ぶことができたから、だとか。お前は椿三十郎かっ。

P105 ひさしぶりに前を通ると、


 P5の続き、というか、実際にそうでした。だいぶたってからおなじところを通りかかると、なんとまだあった。なんだ、そんなにあわてて写真を撮りに行くことはなかったなあ、とか思って、もしかしたらこれ、ずっとこのまんまなのでは、とか。もちろん今はもうありませんが。

P106 大仏を拾う。


 私が子供の頃、漫画雑誌の後ろにはよく通信販売のカタログみたいなのがついていて、そこにはいろんな不思議な商品が並んでました。ペンライトとか手品のタネとか顕微鏡とか。その中にヒヨコのオスとメスを見分ける大仏のキーホルダーというのがあって、あれはどういうものだったのか、今も謎のままです。まあたぶんその記憶がずっと引っかかったまま自分の中にあって、それがこういう形で出てきたのだろうと思います。誰か、真相を知らないかなあ。

P107 こんにちはこんにちは、


 もちろんあれですね。私は1962年生まれで、いわゆる万博世代。よく憶えています。これは今回の万博の誘致が決まったときに書いたやつ。まあ碌なことにならんだろうな、と思ってましたが、ここまで滅茶苦茶になるとは思ってませんでした。現実はすごい。

P108 夏が終わってもまだ蚊が


 もし痒くならなければ、すこしくらい吸ってもいいのに、とかよく思いますね。それならけっこう共存というか、無視されてたんじゃないかな。吸血鬼も、もし吸われても吸血鬼にならないんなら、すこしくらいは、とか。まあすこしじゃ済まないか。

P109 広げた世界をきれいに畳み、


「どくんご」というテント芝居の劇団があって、これはそれを観に行って、翌日の撤収も手伝いに行って、それで書いたやつ。きれいさっぱりなくなる。昨夜、あんなにすごいことをやってたのに、夢みたいになくなってしまうんですね。ちょっとだけ落ちてるものを最後に拾って終わり。あれはすごいなあ。

P110 道の向こうから黄色い波が


 CMなんかで、道の向うからレモンとかオレンジとかがたくさん転がってくる、というわりと定番の絵がありますよね。あれが、ヒヨコだったら。ついでに、ヒヨコじゃない別の鳥だったら、とか。

P111 坂の上からオレンジ色の波が


 そして、これはもとの果物に戻して。オレンジ色はわりと好きな色なんですが、でも蜜柑色という言葉も好きです。オレンジ色と言うのと蜜柑色と言うのでは、だいぶ印象が違いますよね。蜜柑色の光、とかのほうがなんとなくぼわんと温かい感じがして、わりとそっちを使ったりする。

P112 なんだ、またヒトではない


 たまに芝居に出るんですが、なんかそういうことが多いんですね。そしてそのときのことそのまんま。これは川に棲んでる物の怪みたいな役。娘とやったのも本当。このときは小六だったかな。まあおもしろい体験でした。あんまりそんな体験できないですからね。娘はどう思ってたのか知りませんが。

P113 電車の窓から外を眺めていたら


 これは見たまんま。田毎の月、なんて俳句はありますが、これはビルの窓毎の夕焼け、ですね。

P114 親子のようで親子でない


 P103の続き。あったこと、そのまんま。

P115 昨日まで何度も遊んだ、


 これも親子で出た芝居の話の続き。本番を終えてのその翌日。娘はなかなかがんばったと思う。初めての舞台で、堂々としたもんだった。ま、親馬鹿ですが。しかしこのときはまだ娘は小学生だったんだなあ、書いといてよかったなあ、とか思いますね。こういう感じはもうすっかり忘れてしまってますから。小説にしておいたからちゃんと記憶ごと保存されてる。

P116 本当にあったことを


 これはいつも思うこと。そういう意味で、私は本当にあったことを書いてるだけですね。そう思ってる。というのも、嘘かもしれませんけど。

P117 池の真ん中の島にいる


 スッポンを見たときに書いたのかな。四天王寺の亀の池には、スッポンもいるんですよ。そして、スッポンというのは、首を伸ばしたところは、鳥に似ている。一瞬、水鳥みたいに見えたりする。まあ爬虫類と鳥は似てますからね。そしてたぶん、亀と天使も似ている。

P118 砂嵐が通り過ぎたので


 砂丘は動く。あんな大きなものが動いていく、というのはなかなかおもしろい。でも、動かない砂丘があったら、とか。そして、丘というのはお墓に似ている。土饅頭のお墓。まあそんなところ。だから、あの大きな砂丘は巨人のお墓かも、とか。

P119 引き出しが多い。


 引き出しが多い、というフレーズはおもしろいですね。身体に引き出しがついてる人、というのはダリの絵にありましったけ。そして、私の引き出しは、こんな感じ。がちゃがちゃで開かなくなってしまったり。それをそのまんま。

P120 影響されやすい質なのだろう。

「憑依型俳優」なんて言葉がありますが、まあそんな大層なものじゃなくても、芝居でやってる役にはある程度引きずられる。まあ何ヶ月もずっと稽古してそのキャラクターの台詞を喋って、そのキャラクターとして反応するわけですからね。それでまあこういうことも。


P121 近所にも歩いたことのない路地は

 これは本当の話。長いこと住んでて、その近くをよく歩いてるのに入ったことのない路地を見つけたりするとちょっと感動する。あそこから入るとここに抜けるのかあ、とか騙し絵みたいな驚き、というか、おもしろいSF短編を読んだときみたいな感覚があったりして。

P122 色褪せた背景に紛れてしまうくらい


 あ、これは古い看板を見て。森永の天使のやつ。日光で褪せて薄くなっていて、本当に気がつかなかった。今まで気づいてなかった天使に気がつくときって、あんな感じじゃないかと思う。

P123 たまたまそうなっているのではなく


 飛行機雲が好きなことはここまで読んでもうお分かりかと思いますが、飛行機雲の交差も好きです。十字に交わるのはめったに見られないので、見たときは感激します。

P124 会場の外に出るときは、

 イベントでありますよね。会場の外にいったん出るのに、掌にスタンプを押してもらうやつ。それと、生まれたときから掌に何か文字みたいなものが書かれていた、なんて話との合成。どっちが会場でどっちが外なのかわかりませんが。


P125 もう何度も繰り返している。


 演劇もの。稽古場が変わるだけでこんな感じになるし、いよいよ劇場入りとなると、ほんとに別世界です。まあそのおかげで、また新鮮に感じることができたりもするんですけどね。ちょっと勝手が違って、あたふたするけど。

P126 舞台袖の暗闇で出番を


 演劇ものが続きます。同じころに書いたやつですね。演劇って、三ケ月くらい稽古するから、どうしてもその機関は頭の中がほとんどそれ一色になります。そして、暗い舞台袖から明るい舞台を見ると、いつもこんなことを思う。

P127 こんなふうに空が低い日には


 最初のところは、ユーミンの「ベルベット・イースター」。私のベスト天使ソング。かっこいいなあ。そして空が低い、という言葉から、舞台の空を連想して。

P128 ラジオを育てている。

 組み立て式のラジオのキットを貰って作ってたときに書いたのかな。何かの景品でもらった。毎日ちょっとずつ作ってて、それが植物を育ててるみたいな感じだった。あと、子育てあるある、とかも。

P129 埋まってたんだよ。

 アイデアとか文章の話。あれこれひねって作るより、頭の中に埋まってたものをそのまま出せたように感じるときのほうが出来がいい感じが。まあ出来がいいからそのまま取り出して使えたわけですから、当たり前と言えば当たり前か。あれこれひねくり回しながら、またどっかに埋まってないかなあ、とかよく思う。

P130 瓶を育てている。


 ラジオを育てる話のペアとして出てきたやつ。まあ瓶の中にいろいろ入ってるやつ、ありますよね。帆船とか洋梨とか。そして、なんと言っても、瓶の中の手紙。

P131 この近くにずいぶん長く住んで

 上町台地の西側にちょっと崖みたいになってるところがあって、そこに行ったとき。自転車を手前に止めたのも本当。西日が当たって、ちょっと赤っぽいのがなんか肉っぽくて。

P132 潮が引くと砂の道が

 遠浅の砂浜はいいですね。潮干狩りも好きです。宝探しというか、小銭拾いみたいで。食べ物が落ちてたり埋まってたりするんだから、こんなにときめくことはない。夢の中みたいだ。それと『ソラリス』との合成かな。海と言えばやっぱり「ソラリスの海」が出てきてしまう、というのもこれと同じ現象のような。

P133 飛行機雲のように見えるが、

 飛行機雲もの。やっぱりあの直線とか、現実感がないというか、ちょっと現実がぐらぐらする感じがある。伸びていくところもいいですね。私の中でのベスト飛行機雲映画は、『ライトスタッフ』です。飛行機雲が伸びていくところを見ると、いつもあのテーマを口ずさむ。

P134 けものがたくさん集まって、

 前にも出てきた動物園での演劇が頭にあったのかな。それと、「けもの」という言葉のおもしろさですね。『けものフレンズ』なんてのもありましたね。いいタイトルだ。

P135 のけものがたくさん集まって、

「けもの」で書いたので、次は「のけもの」でやってみるとか、とあんまり考えずに書いたやつ。こういうちょっとした遊びをやれるのもマイクロノベルの楽しさですね。

P136 また妻がどこかへ行く

 娘が小学生の高学年になった頃、よく二人で山に行ったりしてました。その頃のこと。あと、すぐに物を拾って来るのも本当。そのせいで、うちにはヘンテコなものがたくさんある。誰の足の型をとったものだかわからないコンクリートの足とか。

P137 妻と娘がリュックを背負って

 その続きですね。山に行く妻と娘を見送る、というのは、なんだかそういう民話みたいで、すごく変な気持ちになる。まあそれはそれで悪くはないですけどね。

P138 細くなるのが目的では

 あるあるですよね。そもそも何の目的だったのかよくわからなくなって、そして本来の目的ではない部分が好きになったりして。

P139 誰が生きていて誰が

 もうこの歳になると、こういうことが多くなる。友達も何人か死にました。でも、死んだという実感がない。普通に飲み会とかに現れそう。これからますますそうなっていくんだろうな。まあその前に自分があっちに行ってしまうかもしれませんが。

P140 あの病院、ヒトのための

 名状しがたきもの。クトゥルー神話とかそんな感じかな。昔住んでいたところの近所によく行列ができている病院があった。何の行列だかわからない。その前を通ったときの妄想。

P141 道を掘ってたら、道


 大道具の代わりに、「木」とか「家」とか書いたプラカードみたいなのを舞台に立ててやったことがある。演劇だとそれでもけっこう成立したりする。だんだんそういう約束で見るようになってくる。漢字はその形を象ったものだったりするし。まあそのへんから書いたのかな。それで自分の正体を知る、とか。

P142 短いものたちが集まった。

 これのこと。マイクロノベルのこと、ですね。そしてそういうのは、もっと短いほうが偉い、みたいな競争になりがち。貧乏旅行とかもそんなことになりがちですね。安く上げたほうが勝ち、みたいな。いや、そんなこと言い出したら、旅行しないのがいちばんいいことになってしまいますからね。

P143 終わったとか死んだとか

「神は死んだ」「ロックは死んだ」的なやつ。忘れた頃にまた誰かがそんなこと言ってたりする。まあそういうのって、気持ちいいんでしょうね。

P144 新しい自分にはなかなか

 まあ自分がいちばん自分のことを知らない、みたいなやつかな。そして知らなくてもまあべつにそんなに困らない。もともと知らないままにやってきたわけだし。

P145 コーヒーを飲んでいたら、

 まあ毎日同じ時刻に同じ店でコーヒーを飲んで書いてるのは、天使を捕まえようとしているのだろうと思う。でも、天使には天使の考えも目的もあるでしょうからね。ちょっと見るだけでずいぶん幸せだったりもするし。

P146 借りてきた景色は

 前にやった芝居の背景に書き割りの月があったんですが、それを再演することになった。前に使ってた月は借りていたもので、今回も借りたらその形状がちょっと違ってて、ということがあって、そこあたりから考えたこと。風景を借りたり返したりというのはなかなかおもしろい、とか。まさに「借景」ですね。

P147 最近、飛行機が通過

 お馴染みの飛行機雲もの。飛行機は白い点にしか見えなくて飛行機雲だけが見える、というのはありますよね。そして、低くて小さい飛行機雲。室内で見ることができるくらいの大きさ。もしそんなのがあったら、いつまでも寝転んで見ているだろうなあ。

P148 一本足で立つ鳥の群れ。

 近所に大きな川はないんですが、水路はあって、そこにはよく水鳥が立ってます。あれって、なんで一本足で立つんでしょうね。疲れないのかな。そのへんから。まあ、ヤタガラスなんていう、一本多いのもいますし。

P149 角運動量が保存されるのは

 運動量保存の法則というのはまだ扱いやすいですが、角運動量はなかなか大変っぽい。無重力で身体が回転してしまうのは嫌ですね。気持ち悪くなりそう。角運動量の保存で思い浮かぶのは、『2010年宇宙の旅』で、イオの軌道でディスカバリー号がぐるんぐるんトンボ返りしているところ。遠心ブロックが停止して、その角運動量がディスカバリー号全体を回転させてる。SFらしいいい絵だなあとつくづく思います。

P150 墓地の近くに煉瓦工場の

 子供の頃、墓地の近くの煉瓦工場の跡地でよく遊んでました。その頃の記憶。煉瓦って、細胞みたいでちょっと生き物っぽいですよね。

P151 天使を並べる。

 パフィーの『アジアの純真』ネタ。白のパンダをどれでもぜんぶ並べて、というフレーズがわけわからなくてすごい。わかったようでわからないようで、やっぱりわからない、というあたりが絶妙だなあ。白のパンダ、て。

P152 今年も目に見えない巨大な

「去年今年貫く棒の如きもの」という高浜虚子の俳句がありますが、イメージはあそこからかな。それと『スターウォーズ』の最初のやつ、あのオープニングに出てくる巨大戦艦。でかくてなかなか通り過ぎていかない。もうこのへんかな、というあたりからまだもうちょっとある、というあのへんの感じが絶妙ですね。

P153 この季節の空は天使率が

 夏の終わりから秋の空。羽毛とか骨とかいろんな部品、巨大な生き物のパーツみたいないろんな形状の雲が、展示会みたいにずらずらと並んだりする。そういう空を私は、天使率が高い、と呼んでます。見とれてしまう。この時期、歩いてるときはだいたい空を見上げてる。

P154 綿をちぎって投げた

 綿をちぎって投げたような、という喩えはいいなあ。昔の人はうまいこと言った。そして、それが比喩ではなく実際にそうだったら、みたいな話。紙吹雪は舞台の上の雪、塩を盛るのは映画でよく使われる方法。そして、雪ではないものが雪へと変わるのは、もちろん山下達郎のあの歌から。

P155 ホウキが一斉蜂起する。

 ホウキの反乱は、映画『ファンタジア』の魔法使いの弟子。そこからのホウキの駄洒落。

P156 何色なのかチューブには

 たまたま必要な色の絵の具を手に取っているのか、色を見てから添いの色をどこに置くのかを決めているのか。まあちょっと創作論みたいなやつ。まあ小説もそうなんじゃないかと思う。百字でさえ。

P157 額縁の中にも額縁が

 額縁というのは不思議ですね。ないことになってるんだけど、誰もがそれを見ているもの。そんな「額縁」をあえて意識させるのが、メタフィクションというものだろうと思います。それにまあ額縁だって見て欲しいだろうし、主役になりたいときもあるでしょう。

P158 駅から家まで、毎回

 うちの近所にはごちゃごちゃした古い路地がけっこう残っていて、まだ越して来たばかりの頃はそんな中で道に迷うのを楽しんだりしていた。迷路から出たと本人が思ってるだけで、じつはずっと迷ってるままかも。

P159 月の明るい冬の夜で、

 冬の夜空がすごく不思議な色をしていることって、ありますよね。空が青かったり。田中哲弥氏の小説に「夜なのに」という短編がありますが、その感じがすごくうまく描写されてる。そして、雲が何かの地図とか記号みたいに見えることも。

P160 よくわからない理由で恨みを

 あるあるでしょうね。こっちの思い込みなのかもしれない、ということも含めて。それもまた一種の呪いなのでしょう。

P161 また人形と会話をする。

 ぬいぐるみと話す人、というのはけっこう普通にいますよね。それもひとつの技術ではあるのでしょう。だとすれば、上達したりもするでしょうね。私は人形とは話せませんが、物干しでよく亀と話します。

P162 頭の中でくるくるくると

 小説を書いているときの感覚に近い。いや、他の人がどんな感じで書いてるのかはわかりませんが。

P163 忘年会のお誘いが

 忘年会という言葉から。年末に忘れる、というのは考えたらなかなかすごい。「まあまあまあ」という感じですね。水に流してしまう。でも、たぶんこういう人もいるでしょう。

P164 そこに行けば必要な部品は

 これも小説の話かな。「取材」というほどのことはほとんどやりませんがそれでも、参考になるかも、とか思ってあちこち出かけたりはする。そんなときは大抵、あらかじめ調べようとしてたことより、おまけで知ったことのほうが役に立つことが多い、とか、そんなことから。

P165 靴下工場へと送られる。

 靴下工場を見学したのは本当。靴下が機械で編まれていく工程は生き物みたいでおもしろかった。そんなのを見ているうちにこんな妄想をして、その場で書き留めた。

P166 高性能電気鉛筆削り器を

 子供の頃、それまで手回しだった鉛筆削りが、電動になった。その最初のやつは、自動のストッパーがついてなくて、削れたらライトが灯るからそれを合図に鉛筆を押し込んでいる手の力を緩める、という方式でした。そんなの関係なく削り続けて鉛筆を消滅させてしまいたい、という誘惑にあらがうのがけっこう大変だった。びゅうううううん、とすごい速さで鉛筆が短くなっていくのは、快感でした。

P167 人工知熊とは

「人工知熊」というのは、『どーなつ』という小説に登場させた謎の乗り物。夢の中に出てくる変な機械みたいなイメージで書いた。主人公は、毎日仕事でそれに乗っている。フォークリフトみたいでもあるし、パワードスーツみたいでもある。そして形は熊に似ている。それはともかく、能という漢字に四つ足をつけたのが熊、というのはおもしろいですよね。「じんこうちぐま」と読みます。

P168 樽の中での暮らしが

 樽は、スペースコロニーのことを思って書いた。オニール型というのか、まあガンダムに出てくるやつですね。そして球は、地球ですね。惑星全般。樽の内側には遠心力で疑似重力が発生しているから、それが当たり前の側から見ると、ただ惑星の上に立ってるというのはずいぶん頼りなく感じるんじゃないか、と。でも、住むのは樽の内側だけじゃないですからね。

P169 そうか、もとのところに

 すごろくにある「降り出しに戻る」は、なかなかすごい言葉だと思う。いろんな意味にとれますよね。実際にそんなこと命令されたら嫌だろうな。「一回休み」も、なんだそりゃ、ですが。

P170 出口はあいかわらず

 小説を書いているときにこんなことを思ったんだったと思う。私はプロットというものを前もって立てることができないので、こういうことになる。

P171 一日ひとつかふたつ

 これです。こういう百字群のこと。なんかこんなことをやってるような気がしてます。

P172 前方にいつも雲がある。

 路地を歩いていて、その先に空が見えているとき、なんかこういう感覚になる。路地との遠近感のせいかな。あれは書き割りなんじゃないか、とかそんなの。で、もしいつも同じ雲が見えていたら、という妄想。

P173 またあの巨大な顔だ。

『未来惑星ザルドス』のあの岩の顔が空を飛んでいる映像。あれは、ほんとにかっこよくて、それだけでもうSFという感じがする。いや、個人的なSF観ですが。まあそのあたりから。

P174 近頃、空に天使を

 天使を材料にして工場で何かを作っている、というのは好きな設定で、わりとこの本の中にもそれが使われています。工場が出てくると、もうSFですよね。もちろんこれも個人的なSF観ですが。

P175 古い商店街の奥で、

 尼崎に『狂夏の市場劇場』という劇場があって、これがシャッター商店街の中にある。今はちゃんと劇場らしくなってるんですが、そうなる前はこんな感じでやってました。トンネルみたいな暗くて長い商店街の中を変な恰好の人たちが歌ったり走り回ったりしてて、あれはおもしろかったなあ。

P176 路地の奥の二階で

 実際に見たものあったことをとくに説明せずそのまんま書く、というよくやってるやつ。これは、この前のところで何度か書いている「人形劇かめくん」を含む劇団ベビーピーのツアーのこと。そしてこのとき見た山下昇平氏の個展。         

P177 塔の絵を見に行った。

 ブリューゲルの「バベルの塔」を見に行ったときに。当時、小学生だった娘が、なぜかえらく見たがったのでいっしょに行ったのだった。

P178 暗闇の中でだけ会える

 これも何度か書いている暗闇朗読の話。もともとはSF大会で朗読をやることになったのだが会議室みたいなところで、ちょっと日常的過ぎるというのか、明らかに朗読に向いてないだろうし、でもまあ真っ暗にするくらいならできるだろう。その程度の思いつきで始めた暗闇朗読ですが、結局ずっと続けることになって、でも最近やってないから、またやらないとなあ。

P179 雨粒が西日を反射して

 これもあったことそのまんま。西日というのはいろんなものを違った風に見せてくれる。西日の当たっている風景というのはそれだけでかなりいい。

P180 あそこに出現しますよ。

 映画の話。SFXというか特撮というか、そういうのを使った映画では、あとで合成でそこに怪物とか怪現象なんかを填め込むことが多い。だから実際そこにいる出演者たちは、そんなものいないんだけどいる、見えてないんだけど見えている、という態で演技をやらなければならない。それでまあそういうことも起きるんじゃないかと。

P181 あんなに綺麗で目が

 あるあるでしょうね。このまんまでもそうだし、いろんな分野での喩えとしてもそういうことは多いと思う。この場合は、小説の話かな。

P182 毎朝通る道にお話が

 毎日だいたい同じ時刻に同じ道を歩いて同じ店に行って書く、というのをずっとやってます。どうも私の場合はそれがいちばん向いている、というか、それ自体がちょっとした準備運動とか通路を広げる作業みたいになっているらしい。まあそんなところから。

P183 重たい荷物で帰宅して、

 長めの旅行から帰ってきたら、だいたいこういうことになっている。そういうあるあるですが、それとこの百字小説とを絡めた話。とりあえず持って帰って来るのが、ツイッターでやってる【ほぼ百字小説】、磨いて並べてなんとかしようとしているのが【百字劇場】というシリーズ、という感じです。

P184 しつこくいろいろやって

 その続き、というか補足。よくそんなことを思う。時間を置くのは大事だし、おもしろい。過去の自分からの手紙みたいな感じ。【ほぼ百字小説】を何年も続けているから、よけいにそう思う。まあ私がそう思っているだけかもしれませんが。

P185 鈴が鳴り続けている。

 イソップ童話のあの話。その後日談みたいなものかな。あれからかなりがんばってつけたはずなのに、後の世代にはもうすっかり忘れられている。あるあるでしょうね。

P186 いつからかひっくり返せなくなった

 世界の終わりまでの時間を時計で表現する、というのがありますが、あれの砂時計版かな。いや、ちょっと違う。これの場合は、時計に従って世界のほうが動いている。時計のほうをなんとかすればそれを防げるのか。そして、時計だけに時間の問題、とか。

P187 頭の上で線路と線路が交差して

 十字に交差する、というのは、何かちょっと特別なものを感じる。飛行機雲の直交とか。これは、実際にある風景で、それを見たときに、なんとかもうひとつ増やしたい、と思った。たしか、劇団「突劇金魚」の昔のアトリエへ朗読しに行ったときに書いた。

P188 空き地の広い空に明るい星が六つ、

 星が並んでいる、というのは何かすごく不思議で、そこにサインみたいなものを感じる。そう見えるだけで実際に並んでるわけじゃないのにね。実際に並ぶと言えば、子供の頃、惑星直列になったらえらいことになる、みたいな話がありました。太陽系の惑星がほとんど一直線に並ぶときにその重力の影響で大地震が起こる、とかね。まあ何事もなかったですが。『2001年宇宙の旅』の中にも、星が彼方まで並んでるカットがありました。これは実際に五つほどの星が一直線に並んでいるのを夕暮れの公園で見たときに書いた。何年前だったかな、惑星が一直線上に並んで見える、というのがあったのです。あれはなかなかいい風景でした。

P189 飛行機雲が何本もあって、

 飛行機雲が急に折れ曲がる、というのは不思議ですよね。空なんだから。べつに避けなくてはいけないものはないように思うんですが、かくんと曲がってる飛行機雲を見た。まあそのへんから。でもまあ何かの事情はあるんだろうとは思いますが。

P190 最後のラッパを吹くために

 トランペットあるある。黙示録の天使のラッパですね。でも、トランペットって、出せない高さの音は出せない。出ないものは出ない。ひゃあ、こんな高い音出せないよ、と配られた譜面を見て青ざめったりね。

P191 もうすぐ夜が来る。

 世界の終わり、そして暗転の話。芝居で使われる「暗転」というのは不思議です。それが入ったらどれだけ時間や空間が跳んでもかまわない。さっきまでいた人がいなくなる。いなかった人がいる。なんでもありです。世界の終わりにはそういうのが使われるんじゃないか、と。

P192 石の表面に住んでみて

「石の上にも三年」な話。そこから石の上に住む話、そして風景に見える石、というのはありますよね。風景画みたいになってるやつ。そのへんからの連想。

P193 仰向けに浮かんでいるから

 ホラーですね。幽体離脱してるっぽい感覚。臨死体験みたいな感じ。こういう夢は昔よく見た。気持ちのいい臨死体験ならいいんですが、浮かんでる自分の死角に何かがいる、というのは嫌ですね。

P194 卵でもないのに

 卵ケースというのはなかなかすごい。よくあんなもの考えたなあと思う。まさに卵のためのケースですね。卵意外に使えないケースなんだから、そこに入ってるものは卵だろう、そして卵だということは、とまあ、そういう話。

P195 どこからかラッパの音が

 前にも出てきた世界の終わりの天使のラッパ。そしてラッパという言葉。いわゆるトランペット、とは違うラッパ。ラッパという言葉とその音は、なかなか間が抜けていていいですよね。

P196 そうか船で行くのか。

 大阪と別府を往復しているフェリーがあって、一時期よく乗っていました。夜に南港を出て、早朝に別府に着く、というのがいいんですよ。線を引いてるだけで仕切りもなんにもない狭いところにずらっと寝るのも、なんか死体みたいでおもしろい。そして、蛍の光と紙テープ。今もやってるんですね。あんなの昔の話だと思ってた。

P197 自分たちが巨大な地上絵の

 最近はドローンのお陰で自分のいるところをけっこう簡単に空撮できるようになりました。それとナスカの地上絵の連想かな。遠くから見ると自分が大きな何かの一部だった、というのはいかにもありそうだし。

P198 低い空から天使が

 最初の更地の天使の続き、というか、まだ転がっている、だとしたら、そのまた続き、みたいな感じのやつですね。まだいるのか、と思っていたら、数が増えた、というオチ。

P199 商店街で子供たちが

 娘が中学校の吹奏楽部だった頃、たまに近所の商店街で演奏してました。彼らが演奏すると、知っている曲の印象がずいぶん違ったりした。

P200 星空が必要で星が

 芝居を観に行って、その中で星空のシーンがあった。麦球という小さい豆電球みたいなやつと暗幕で作られた星空。そういう小さい星で出来ている星空というのがおもしろいなと思って。そして、最後は『フェッセンデンの宇宙』風に。

P201 今年も空で天使の組み立てが

 この本の中での共通の設定というか、共通の風景。天使の組み立て。飛行機とかそれよりも大きな巨大天使、その組み立て作業、というのに惹かれるのは、たぶんSFが好きだからでしょうね。

P202 洗濯物を干しながら

 亀的世界観、猫的世界観、狸的世界観、それらと天使的世界観との交差点。それが、百字小説を書いているとき、という気はする。この百字劇場というシリーズは、そういうのを形にしたくてまとめている、という気はします。いや、自分でもよくわかりませんが。

P203 天使と亀のことを考えて、

 この『かめたいむ』と『交差点の天使』とは、同時に選んで並べていました。だから、ということもないでしょうが、やっぱり天使と亀というのはかなり似ているもののような気がする。その考えは、並べながら強くなっていって、それでこういう二冊になりました。

P204 更地に落ちていた欠片を

 最後にこれを置きました。天使で一冊まとめてみようと決めてから書いたやつ。この本の最初においた天使の百字は、私にとっては特別なもので、あれのおかげで【ほぼ百字小説】が始まって、あれでなければここまで続かなかったような気がする。あれを最初に置いたこの本が出せてよかった。もちろんそれで終わりではなく、できれば死ぬまで続けたいもんですけどね。ということで、こうなればいいな、という願いを込めて、こういう終わりかたにしときます。


 全作解説、ひとまずはこれにて終了です。
 おつきあいありがとうございました。



いいなと思ったら応援しよう!