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解題【ほぼ百字小説】1~10

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はじめに

 ツイッターで【ほぼ百字小説】なるものを初めて、もうずいぶんになります。ようするに百字の小説です。「ほぼ」としたのは、句読点とかの数え方で数が変わるからで、自分としては百枡ぴったりに収まるように書いてます。そのことにとくに意味はないんですが、まあパズルみたいでおもしろいからそうしています。そういうちまちました作業は好きだし、文章を一字単位でチェックすることにもなるし。

 最初はまあ週にひとつくらい書いて、そのうち溜まって短編くらいの長さになったらどっかに発表しよう、くらいに思ってたんですが、やってみるとこの形式が意外に自分に合っていたらしくて、なんだかんだで4年以上続いていて、1000篇を超えたらおもしろいな、とか冗談で言ってたのに、今では2000に近づいています。「じわじわ気になるほぼ100字の小説」としてイラスト入りの児童書(?)にもなりました。全部で三冊出てます。

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 というわけで、これだけ書いたし、まだまだ書きそうだし、つまり自分にとってもこの【ほぼ百字小説】というのはかなり重要なものであるらしいので、このへんでいちど、書き方とか考え方とかそんなあれこれを検証というか自己分析というか解題というか、そういうことをやってみようと思いました。どういうことを考えて書いてるのか、どこを目指してやってるのか、あと、オチというかサゲというかそういうものの考え方とか。【ほぼ百字小説】ワークショップなんかもやったことがあるんですが、そういう時間内ではなかなか話し切れなかったこととか。

 いやまあそんな大層なことでもなく、楽屋ばなしというか、【ほぼ百字小説】をめぐる四方山話というか、そういう軽いエッセイと思って読んでください。

 あと、朗読してる動画も入れました。前々から、【ほぼ百字小説】というのが、朗読と強く結びついているものだと感じているからです。暗闇朗読とか、そういう朗読イベントはもう10年以上やっていて、そこで読むのにちょうどいいな、と思って始めたのが【ほぼ百字小説】、というのもあって、実際、実戦でも重宝しています。音と文の関係とか、そのへんの考えも追い追い書いていきたいと思っています。

 自分でデジカメを持って、デジカメのマイクに向かって読んでます。だから通常の朗読の発声とは違って、ほとんど声を張らない読み方をしてます。ということで、そっちも楽しんでいただけたら幸いです。

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(1) 娘とプールに行った帰り道、巨大な天使が更地に落ちていた。家に着くなり妻に娘を渡し、カメラを掴んでまた自転車に飛び乗った。どうしたの、と叫ぶ妻に、天使っ、とだけ答えて自転車を漕ぎながら見上げる空は、赤。

 これが【ほぼ百字小説】の(記念すべき?)第一弾です。つまりこういうものが書きたくて始めたわけですね。ツイログで確認すると、2015年10月16日になってます。

 実話です。

 娘がまだ小学生の頃、いっしょに温水プールに行きました。大阪の新世界、通天閣のそばにある世界の大温泉「スパワールド」です。うちからは自転車で行けるのです。まあ上町台地を越えなければいけないので、ちょっと大変ではありますが。でまあ、温水プールで楽しく遊んだその帰りです。

 スパワールドの外階段から見おろす更地に、天使が落ちていました。昔、そこにはフェスティバルゲートという遊園地があって、それが経営破綻して更地になってたんですね。で、そこに飾られてた天使像みたいなのが転がってたんです。そのときはケータイもカメラも持ってなくて、娘を自転車の後ろの子供用の座席に乗せて(その頃はまだそうしてました)家まで帰ってから、やっぱりこれは写真だけでも撮っときたい、もし次に行ってもうなくなってたら後悔するに違いない、と思ってあわてて戻った、というわけです。上町台地から見る西の空が夕焼けてました。で、これがその写真。

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  早く行かないと暗くなってしまうから、妻にはろくに説明せずに引き返したんですが、そのとき自転車をこぎながら思ったのです。

 もしここで私が、たとえば交通事故かなんかでいきなり死んだりしたら、妻にはさっきのことがどんなふうに映るだろうか、と。

 帰ってきた夫が、「天使」という不可解な言葉だけを残して娘を置いて自転車でどこかへ走り去り、そして死んでしまう。さぞかし奇妙で恐ろしいことだろうなと思ったのです。もしかしたら実話怪談と呼ばれるもののかなりのものは、そういうことなのではなかろうか。そういう不可解さはとてもおもしろいし、それを説明なしでそのまんま書くのがおもしろい。そして、そういうものをそのまんま書くのにはこのくらいの字数がいいのではないか、と。

 それだけではありませんが、まあそれでこんなことを始めた、というのは大きいです。実話のおもしろさとへんてこさ、みたいなこと。だから【ほぼ百字小説】には、実話が多い。実際にあったことを切り取って張り付けたもの。これはその代表みたいなものですね。

(2) 二階の物干しのすぐ前に裏の家との境のブロック塀があって、猫の通路になっている。とつとつと肉球を鳴らし、猫一匹分の幅の塀の上を猫が次々に歩いていく。夕方、交通量が増えると、後足で立って横歩きですれ違う。

 かなり気に入ってます。猫の通路に関しては本当です。今はもう、そのブロック塀、なくなっちゃったんですけどね。そこが猫の通路だった、というのも本当。洗濯物を干しながらよく眺めてました。さっそくの実話要素ですね。夕方に交通量が増えてたのも実話。実話に含まれてる情報はおもしろい。

 これは、朗読でもよくやります。それもいちばん最初にやることが多い。なんというか、いかにも【ほぼ百字小説】っぽい、と思ってるから、まだあんまりどういうものなのかわかってないお客さんに、こういうものです、というのを示すのにちょうどいいように思うからです。

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落語の影響

 いちばんそう感じるのは、このオチというか結末のつけかたですね。いわゆる、ショートショートのオチではないです。じゃ、どういう考え方でやってるのか、といえば、落語のサゲのほうに近いものだと考えてます。サゲ、というのは、まあオチと同じ意味でつかわれてる言葉なんですが、ちょっとイメージが違います。オチというと、なんとなくどんでん返し的なものを連想してしまいますよね。でも、たとえば落語のサゲは、そういうものばかりでもない。

 ここで落語の話になります。私は学生の頃、落語研究会いわゆるオチケンに入ってました。関西人ですから、やってたのは上方落語です。ちょっと長くなりますが、これは【ほぼ百字小説】を私がどう考えてやってるか、というのに必要な話なので、おつきあいください。故・桂枝雀師匠のことです。というか、私にとっては「枝雀師匠」というより、「枝雀さん」のほうがしっくりきます。米朝師匠は、「米朝師匠」なんですけどね。枝雀さんは「枝雀さん」なんですよ、なんとなく。まあそれはおいといて、ここからは敬称略の桂枝雀でいきます。

 ご存じの通り、桂枝雀は、「落語」や「笑い」を理屈で突き詰めようとした人でした。もともとそういう性格だったんでしょうね。私が大学生になった頃は、ちょうどテレビで枝雀寄席が始まった頃で、桂枝雀ブームに火がついたところでした。レコードやカセットテープが何本も出てました(CDはまだなかった)。私も初めてのアルバイトの給料で「天神山」のLPを買いました。ポスターがついてました。そんなことはどうでもいい。

緊張の緩和

 この桂枝雀の「笑い」理論としてよく知られているものに、「緊張の緩和」というのがあります。単純に言うと、「笑い」というのは、ある緊張状態が緩和されたときに起きる、というものですね。

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