「マイクロノベル」という提案です。
ツイッター上でずっと【ほぼ百字小説】というものを書き続けています。
その名の通り「ほぼ百字の小説」ですが、ほぼ、としたのは、句読点とか禁則で数え方によって字数が違ってくるので、そうしただけで、頭に一文字分空白を開けたぴったり百枡に収まるように書いてます。
まあそれは自分なりにそういう縛りをかけたほうがやっていておもしろいし、落語における「座布団の上にいる」くらいのゆるい縛りみたいなもので、それによってかえって自由になれるから、です。
それよりも大事なのは、だいたい百文字くらいの長さ(短さ)の小説、ということです。そういう形式のものは稲垣足穂の『一千一秒物語』をはじめとして、これまでにもたくさんありました。バリー・ユアグローの『ひとりの男が飛行機から飛び降りる』とか、けっこうヒットしましたね。
こういうものはだいたい超短編とか、掌編と呼ばれているようです。まあ掌編は、もうすこし長いものもひっくるめての言葉ですね。海外では、ミニマムフィクションとかサドンフィクション、フラッシュフィクション、とかそんな言葉で呼ばれているようです。
これまでにも、あることはあったのですが、小説の中ではそれはごくわずかで、ひとつのジャンルというよりは、何かのそういう趣向、とか文芸誌の中の企画もの、みたいな感じでした。
一冊の本にするのはかなりの数を集めないといけないし、売れるかどうかもよくわからないので、なかなかそういうものを紙の本として出版するのは難しい。そうなると本にはならない。その程度の理由だと思います。それが、インターネットのSNSという環境が出現したことによって状況が激変しました。書いたものを面倒な手続きも費用も必要なく、自分が出したいタイミングで、たとえひとつだけでも発表することが誰でもできる。そしてネット上にアップされた長編を読むというのは大変ですが、短いものならすぐに読んでもらえて、そのまま大勢で共有することができます。
こういう140字とか100字の小説がたくさん書かれるようになったのは、そういう環境の変化が大きいと思われます。そして、従来のものとは書かれ方も読まれ方も大きく変わりました。ちょっとしたツイートとか、おもしろネタツイートと同じように書かれて、同じように読まれます。「実験的なもの」とか「ある特殊な形式の文学」といったカッコに入った読まれ方とは明らかに違っています。
私の【ほぼ百字小説】も、ずっとツイッターで毎日のように書いてて、それを読んだ方が「いいね」してくれたりRTしてくれたり、という観客の反応があって、おかげで道端でライブでもやってるような感覚があって、それが楽しくてもう5年ほど続いています。ただひとりで原稿に向かっていつ発表できるのかもわからない状態なら、そんなふうに続けることはなかなかできなかったでしょう。
ということで、長くなりましたが、ここからが本題。形式は昔からありましたが、それでもあきらかにこれまでのものと書かれ方も読まれ方も違っているこれらの短い小説たちをひっくるめて呼ぶ言葉が必要ではないか、ということなのです。
「超短編」という言葉は昔からあって、バリー・ユアグローの作品群などはそう呼ばれていたと思います。この「超短編」というのは、イメージとしてはちょっと硬くて、でもその硬い感じが私としては好きだったりもするのですが、もっとお手軽で身構えない感じの言葉が必要ではないかと思いました。
星新一のあの短い小説が、ショートショートという名で呼ばれたことは、すごく重要だと思うのです。従来からあった、掌編という言葉ではない「ショートショート」という言葉は、星新一の小説の新しさと軽さとわかりやすいおもしろいさ、というのを中学生にも印象付ける力がありました。とにかく、すぐ読めて、問答無用におもしろい小説。マンガやテレビを楽しむのと同じように楽しめて、そのアイデアに驚かされる、そんなおもしろさを前面に出した小説。そんなイメージとむすびついたショートショートという言葉。そして、他にも何人ものSF作家が、そのショートショートという呼び名でそんな短い小説をたくさん書きました。あの「ショートショート」という言葉がなければ、それが浸透するのにはもっと時間がかかったのではないか、と思います。もちろんそれは星新一をはじめとする当時のSF作家のショートショート群の質の高さ、というのもですが。
ようするに、「掌編」という言葉ではなく「ショートショート」という軽くて手に取りやすい言葉で呼んだ、ということが大きかったのは間違いないでしょう。
あと、音で聞いた場合「しょうへん」とか「ちょうたんぺん」というのは、すんなりと「掌編」「超短編」には頭の中で変換されません。そこまで一般的な言葉ではないのです。だからそれに代わる分かりやすい言葉、というのが欲しいと思いました。
そしてそう考えると、「ショートショート」というのは、つくづく見事な言葉です。軽くて耳新しくて、そして何よりもわかりやすい。どういうものなのか、というのがその言葉だけでわかる。
あれこれ考えたのですが、カタカナがいいんじゃないか、と思いました。いちいち頭の中で変換しなくてもいいし。ということで、ミニマム、サドン、フラッシュ、マイクロ、あたりでいちばんわかりやすいのは、マイクロかな、とか。
それに、新しくできた言葉で見事に定着した「ライトノベル」というのがあるし、「ツイッターノベル(ツイノベ)」というのも定着していることだし、そこに乗っかって「マイクロノベル」あたりがいいんじゃないか、と思いました。わかりやすいし、ちょっとダサいくらいそのまんまなところも。
もっといい言葉が出来て、それが定着すればそっちにすればいいんだし、とりあえず当面はこの言葉で呼んで、それが認知されるようにしよう、というのが私の考えで、だからこれからは積極的に「マイクロノベル」というこの呼び方を使っていこうと思います。べつに私が作った言葉ではなく、これもまた昔からある言葉です。ツイッターを検索すると2011年頃にけっこうつぶやかれてて、その頃にツイッターノベルみたいなものが始まったからでしょうね。でも、その言葉はあんまり定着してないままで、だから今、その名前で定着させよう、ということです。聞いたらすぐにああいうものだな、とわかる名前が必要で、それが定着すればジャンルになれると思うので、という提案ですが、どうでしょう?
「マイクロノベル」、略称「マノベ」とか。わりといいと思うんだけどなあ。
ということで、そんなマイクロノベルをひとつ。
【ほぼ百字小説】(2610) どうも。マイクロノベルです。いや、ノベルが長編小説だってことは知ってます。だからこの「ノベル」はさ、「述べる」だと思ってよ。実際、こうして叙述してる。まあ説くっていうより、つぶやきから始まったんだし。
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