見出し画像

綿のような日々へ

綿のように疲れる(わたのようにつかれる)
非常に疲れることのたとえ。「一日中働きづめで、からだが—・れる」

デジタル大辞泉(小学館)



現代を生きるわたしたちは、時間に追われ、荒れ狂う情報の海に溺れ、朝から晩まで身を粉にして働き、望みもしない他者からの無情な評価に怯えて、やっとの思いで息をしている。


束の間の休息と娯楽が、自分を支える唯一の心の拠り所だ。



わたしたちは、翼が折れた鳥のように、なかなか身動きが取れなくて、胸が詰まる思いで、息が苦しい。


好きなこと、やりたいこと。
幼いころ抱いていたはずの夢たちは、脅かされ、諦めさせられ、もう傷つかないために、深いところにしまい込んで蓋をした。



心地のよい呼吸をしたい。


好きなことがあって、やりたいことをやって、おいしいものを食べて、ぐっすりねむって。
朝、目が覚めたら、今日も最高の一日が始まるな、うれしいな。自然とそう思われるほど毎日が煌めいていて。

本当は、そうありたい。



「綿のように疲れる」

からだに力が入らず立っていられないほど疲れてしまった様子を、柔らかい綿に例えた表現だ。

わたしたちはとても繊細で、それこそ綿のように、潰せばくしゃっと小さくなってしまう。多くの困難と闘い続けて、綿のように疲れる日々を送ってきた。





疲れて自立できない綿であることは、もうやめてしまおう。

綿だって、誰かによって何かをされなければ、本来身軽でふわふわと自由に漂うことができるのだ。


わたしたちは、自分の人生を自分で決めていく、自立した綿になろう。


柔らかい思考で、身軽な心身で、すこやかに生きていく、綿のような日々へ、いまこの瞬間から。

ここから先は

0字

◆のびのびラウンジとは みなさまとたやまが安心して息ができる場所 ◆方針 加入・退室は自由です。 …

コーヒーどうぞプラン

¥100 / 月

ケーキどうぞプラン

¥500 / 月

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?