綿のような日々へ
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現代を生きるわたしたちは、時間に追われ、荒れ狂う情報の海に溺れ、朝から晩まで身を粉にして働き、望みもしない他者からの無情な評価に怯えて、やっとの思いで息をしている。
束の間の休息と娯楽が、自分を支える唯一の心の拠り所だ。
わたしたちは、翼が折れた鳥のように、なかなか身動きが取れなくて、胸が詰まる思いで、息が苦しい。
好きなこと、やりたいこと。
幼いころ抱いていたはずの夢たちは、脅かされ、諦めさせられ、もう傷つかないために、深いところにしまい込んで蓋をした。
心地のよい呼吸をしたい。
好きなことがあって、やりたいことをやって、おいしいものを食べて、ぐっすりねむって。
朝、目が覚めたら、今日も最高の一日が始まるな、うれしいな。自然とそう思われるほど毎日が煌めいていて。
本当は、そうありたい。
「綿のように疲れる」
からだに力が入らず立っていられないほど疲れてしまった様子を、柔らかい綿に例えた表現だ。
わたしたちはとても繊細で、それこそ綿のように、潰せばくしゃっと小さくなってしまう。多くの困難と闘い続けて、綿のように疲れる日々を送ってきた。
疲れて自立できない綿であることは、もうやめてしまおう。
綿だって、誰かによって何かをされなければ、本来身軽でふわふわと自由に漂うことができるのだ。
わたしたちは、自分の人生を自分で決めていく、自立した綿になろう。
柔らかい思考で、身軽な心身で、すこやかに生きていく、綿のような日々へ、いまこの瞬間から。
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