男も女も年老いていく | バンコク日記
2024.10.20@Bangkok,Thailand
この世界に生まれた意味だとか、考えても仕方ないと思うのだけれど、それでもわたしはそういうことをいつも考えてしまう。人間とは傲慢で、怠惰で、そして情熱的で愛情深く、面倒である。
わたしはこんなことをずっと考えながら、そうして年老いて、40歳になって、50歳になって、死んでいくのだろうか。いつかヒッチハイクをしたときに乗せてくれたおっちゃんの言葉が今なら少しだけ納得できる。「全員、クソジジイとクソババアになる」。
向こう先の10年くらいの人生でやってみたいことを3パターンくらい考えている。どれも同じくらい想像がつく。10年後のわたしよ、この記録の答え合わせをしてね。でもどれも違くてもいいよ。
今日はタイ時間で朝の6時過ぎから会議があったので、早起きをした。まだ誰も起きていないホステルはしんと静まり返っていて、急に寂しさが押し寄せた。会議が始まる前の、会議室が空くまで待つ数分のおしゃべり。他愛ない会話がどれほど幸せだったか、気がつくのはいつも少し経ったあとだ。
それから狂犬病の2回目のワクチンを打ちにスネークファームへ再訪。11時過ぎくらいに行ったら午前の部の受付が終わっていて、13時にまた来てくださいと帰された。宿に戻って、来週泊まるホステル探しに専念。わたしは宿にはどうしてもこだわってしまう。長期滞在が多いので、水回りも重要だ。今日まで泊まっていたホステルがあまりにも素晴らしく、ハードルが高くなってしまったかもしれない。
旅が始まってから睡眠時間が伸びた。時間に余裕ができたこともそうだが、きっと気付かないうちに疲れているのだろう。寝ることで回復させているのだ。おかげで今のところ、心身の疲労はそこまでではない。体調も万全だ。
寝る場所、食べもの、電波、セキュリティ、お金、そんなことをずっと考えながら、当てもなく旅をする。なんて面倒なことをしているのだろう、とふと思う。帰る場所など考える必要がない方がずっと幸せなことくらいわたしだって分かっているのだ。
Instagramで安否を伝えようとストーリーズを投稿しているけれど、なんとも空虚な感じがしてしまう。わたしの日々は一瞬はもっと、違うところにあるのに。だからこうしてnoteを書いてると安心する。
この旅はどうしたら終わるのだろう。この旅はいつまで続くのだろう。まだ分からない。みんなに聞かれるけれど、一番知りたいのはわたし自身だ。
2024.10.23 @Bngkok, Thailand
今日の夜、ウードンターニーという街へ向けてバンコクを出る。ラオスへ行く前に、ウードンターニーで何日間か過ごす予定だ。寝台列車だ。急に旅感が出てくるワードだなと思う。今は、シーロムから少し北上したパヤータイという街にいる。心なしか同じバンコクでもすこし田舎な感じがして、人がぐんと減った感じがする。電気自動車版トゥクトゥクが静かに走っていた。トゥクトゥクらしくなかった。
周りにカフェが多いので、出発までの間に美味しい珈琲が飲めたらな、などと思う。口の左下ににきびができた。大体いつも同じ場所にできる。ここにできるときはビタミン不足だ。おそらく生野菜を食べていないせいだろう。果物でカバーしてるつもりだけれど、きっと足りていない栄養素があるのだ。わたしは割と身体に出やすく、肌が荒れたり、鼻が詰まったりする。世界を旅したら身体中で心地いいと感じられる場所が見つかるのだろうか。
ただ、毎日を生きる。命をつなぐ。今日も安全に、健康に過ごせた、知らない場所で知らない人とうまくやれた。リモートだけど、ちゃんと発表できた。褒められた。喧嘩した。仲直りした。日々は積み重ねなのだと、実感する。
でも、きっと点と点が離れてしまっても大丈夫。ちゃんとつないでいける。朝の光は世界中、どこでも美しい。