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人生の旅日記、27年目へ

信州旅は26歳から27歳へ、新しいスタートの一歩のための旅でした。自分はずっと23歳くらいの感覚がずっとあって、まだまだ子どもだと思っていたのに、改めて27歳という数字を目にすると、わたしも少しは大人になってきているのかな、という気もする、そうだといいな。大人になりたいような、なりたくないような。ずっと同じことを考えている。

「なんにでもなれる。」

おまじないのようにしてお守りにしている言葉。母がいつも言ってくれた言葉である。母はわたしに無限の可能性をくれた。母はいつもそう言って「いいなあ。」と笑った。ことあるたびに「その気になればなんにでもなれるんだよ。」と言っていた。いつも本気だった。

総理大臣にだって、お医者さんにだって、アイドルにだって、決意さえすればなんにだってなれる。なんだってできる。そう言ってくれた。その言葉たちはずっとずっと、ずっとわたしを勇気づけた。だからって総理大臣やお医者さんやアイドルになりたいとは思えなかったけど、その気になればなんだってできるんだという根拠のない自信は今もわたしを支えているように思う。そう、わたしはいつだって、今だって、なんにでもなれる。もう母のおまじないの言葉も時効かも?と思いつつも、いつも頭の中で思い出しているのである。

それだけの選択肢をもらえたことは当たり前のことではなかったと分かったのは本当に最近のことで、気づくのに随分と時間がかかってしまった。

27歳のわたしには夢がある。まだ心の中にしまっているけれど、少しずつそれが現実として近づいている。いつかきっと、と思い描いていたことにチャレンジしようとしている。それは刺激的で、わくわくすること。よく、想像できないことは現実には起こらない。イメージが湧かないことは叶わない、と言ったりする。たしかにそうだなと思いつつ、じゃあ想像できるように、イメージが湧くように頑張ってみることもいいと思うようになった。流れに身を任せることを大事にしながらも、たまには無理やりにでも想像して、イメージを沸かせて、どうにかして叶えたいと祈る。そういう強引さを時に持つことが大事なんじゃないかな、と思ったりもする。そして、言葉にしてみることがわたしにとっては大事だったりする。わたしは言霊を信じている。意志あるところに道はひらける。

23歳~26歳までの3年間は本当に山と谷がたくさんあった。平坦な道もたくさんあって少し苦しかった。とっても長く感じて、とっても昔のことのようにも思う。思い出したくないようなことも、絶対に忘れたくないこともたくさんあって。若気の至りだったかもしれないけれど、もう生きていけないかもと思うことだってたくさんあった。でも、そういう中にも、こんなにも世界は美しいのかと涙が出るような感動することも本当にたくさんあった。

27歳のわたしには一体どれだけの苦悩と感動が待っているのだろうか。不安で、楽しみで、心配で、怖くて、わくわくする。そんな気持ち。

出会いや別れ。日々のなかにある小さな奇跡。寝ても覚めても忘れられない感動する気持ち。胸がきゅっとなるような切なさ。愛おしさ。愛し、愛されるということ。そして、違うことはしないこと。自分のために、愛のために怒ること。ちょっと大人になったわたしの大切にしたいことです。

ということで長~い前置きになったけれど、今年は貪欲に強引に、そして謙虚に、たくさん夢を叶えたい。たくさん夢を見つけたい。いつまでも夢を見つけて、見たい景色を自分でちゃんと掴みたい。自分の足でしっかり立って、選んで、それで、時にみんなを頼って、支えてもらって、支えて。

いつだって今が最高だと思える瞬間を紡いで、長く長く、続いていきますように。今年もいい旅になりますように。

近影

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Yuuri
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