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青い空へ旅立ったみいじじへ

みいじじが死んじゃった。

みいじじは、母方の祖父のことだ。瑞江に住んでいるじじ→みずえのじじ→みいじじ、というのが呼び名の由来。先月あたりから、急に体力が落ちて、最近寝たきりなのだとみいばば(由来は同じく。)から聞いていた。年始に会いに行ったときには、一緒にお寿司を食べに行って、帰りにコンビニに寄ってプリンを買って、家に戻って食べて、わたしよりも食べていて、元気そうだった。もう少し暖かくなったら温泉に連れて行くからね、とわたしは言った。のに。

先週テレビ電話をしたときには、年始に会った時よりも確かに痩せてしまっていたけれど、話したこととか覚えていて、会話もはっきりしていた。「少し長く旅をするんだ。」と話すと「絶対にいい経験になる、どんどん行ったほうが良い。」と言ってくれた。「帰ってくるまで待っててね。」と約束した。のに。それなのに、みいじじは死んでしまった。

保守的な親族が多い中で、わたしに外への関心を広げてくれたのがみいじじだった。いろんな街のこと、食べ物のこと、映画のことを知っていた。ふらっと都バスに乗って映画館に行くのが好きなみいじじ。いつも本を読んでいたみいじじ。銭湯が好きで、毎日銭湯に行っていたみいじじ。夏休みに泊まりに行くと、わたしも一緒に毎日銭湯へ連れて行ってもらった。わたしが銭湯を好きなのは、みいじじの影響かもしれない。いや、絶対にそうだ。銭湯への行き帰りの道で、いろんなことを教えてくれた。手をつないで歩いた夜道を、今でもずっと覚えている。わたしは夜が怖くて、みいじじとお姉ちゃんの間に居させてもらっていた。銭湯上がりにみいじじはいつもビックルを飲んでいた。わたしはマミーを飲んだ。

穏やかで、いつも笑っていたみいじじ。小学校高学年になり、もうひとりで祖父母の家に行けるようになった頃、いつもみいじじの家の最寄り駅まで迎えに来てくれて、瑞江の駅のちょっと長い階段を登った先にみいじじが見えるとホッとした。みいじじは駅から家までの道の間、荷物を全部持ってくれた。そうして歩いていると、この世界のすべてから守られている気がした。

寝室のドアに一番近いところにみいじじのマッサージチェアがあって、みいじじはいつもそこでマッサージをしながら眠ってしまっていた。 

みいじじが打ったうどんがこの世界で一番美味しかった。後にも先にも、あれ以上はない。打ったうどんを数本くるりとひねって”当たり”を作った。そういうちょっとお茶目な一面もあって。本当に陽だまりのような人だった。あぁ、みいじじに会いたい。とても会いたい。会いたいなぁ。

こんなに近くにいたのに。みいじじはずっと元気なのだと幻想を抱いていた。わたしの知らないところで、みいじじはお空に行ってしまった。

いつか、などないのだと、痛感する。もちろんいつかどこかで会えるだろう。でも現世にはもう、いつかはない。わたしたちには今しかない。いつもこの瞬間しかない。

人はいつの日か必ず死んでしまう。それはこの世にある唯一の”いつか”だ。悔いのない人生があるのかどうか、それはその人にしか分からない。どんな人生だったかも、残されたものには語れない。予期せず死んでしまったとしても、それはその人の人生のすべてにはなりえない。みいじじが幸せな人生だったかどうかは、誰にも決められない。

だけれど、祈ることができる。みいじじの人生が幸せでしたように、と。感謝をすることができる。みいじじがわたしたちのためにしてくれた全てのことに、ありがとう、と。思い出すことができる。一緒に食べたお寿司、一緒に見た花火、一緒に行ったディズニーランド、みいじじにおぶって貰った背中、手の温もり。全部忘れたくないことばかりだ。死ぬまで、どうか忘れたくない。だからやっぱり私は書くのだ。

残ったわたしたちは、とにかく生きていくしかない。どれほど悲しくても、辛くても、寂しくても、思い通りの人生ではなくても。それでも、生きていかねばならない。みいじじが旅立った日も、その次の日も、その次の日も、わたしは泣いたけれど、ちゃんとご飯を食べたし、ちゃんと寝た。数日後にはちゃんと働いた。面白いことがあって笑った。怒った。だってわたしは生きていくしかないから。みいじじがいない今日を、生きていくしかない。

愛はまなざし。あのまなざしの記憶がある限り、わたしは守られているよね。目を閉じれば、まだみいじじの声ははっきりと聞こえてくる。くっきりとみいじじの笑顔が見える。わたしの記憶の中に、生き続ける。大好きな大好きなわたしのおじいちゃん。ありがとう、ありがとう。愛を込めて。青い空に、みいじじの魂がのぼっていった。

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