旅はきっと、世界を守る
プロフィールを更新した。4月になったということは、わたしも社会人5年目になる。おお。ふむふむ。小学校にはかなわないけれど、中学校より、高校より、大学より長い時間。そう思うと、長くも感じる。長くて、濃くて、一瞬だった。そうして、まだまだこの5年はぼやけている。
いつだって必死に、何者かになろうとしている。ぼやけている、というの決しては悪い意味ではない。何者にでもなれるということ。まだ何者でもないということ。そういう状態にあるから、まだわたしの輪郭はぼやっとしていると思う。
わたしが思い描く何者は、会社の中にあるかもしれないし、外にあるかもしれない。分からないけれど、今は中にあるものが大きい気がするから、必死にやってみようと思っている。そんな4月のはじまりに書いている。
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”人”は、なんのために働いているのか。ちょっと壮大すぎるテーマかもしれないが、人生の節目にそんな話をすこし。
一般論を考えることは難しいけれど、少なくとも、”わたし”はなんのために働いているのか、ということは考えられるかもしれないし、考えておいたほうがいいような気がするのである。
先日のnoteにも書いたとおり、「お金」という回答もあるのだろう。わたしの働く理由のうちのひとつにも、もちろん当てはまる。大好きな読書や旅をするには、今のところお金がいるからだ。
でもそれは、今のところ、の話。明日にはお金の価値ががらりと変わってしまうかもしれない。政治が変わって無償で飛行機に乗れるかもしれない。スクラッチの宝くじ好きな夫が一生分のお金を当ててしまうかも。だからお金のために働くというのは、どこか限界があるようにも感じる。
もっと違うところに。わたしたちが人生の大半を費やして働いている理由があるはずなのではないか、ということを考えている。お金、のその先にあるわたしたちが守りたいものは一体何だろうか。
ここからはわたしの話。
考えてみると、わたしにとってのそれは「世界平和」であるということにたどり着いた。問いに対しての解のスケールが見合っていないような感じもするかもしれない。それでも、何遍考えても、ここにどうしてもたどり着く。わたしの働く理由の根っこにはどうやら”これ”があるようだ。
この言葉に触れたときから、わたしは自分の働く場所を決めていたように思う。後付けかもしれないが。
高校生の頃から本気で世界平和について考えている。いつも心のどこかで考えている。時々忘れてもやっぱり考えてしまう。
学生の頃はもっとも熱心に考えていた。当時の自分の日記を読み返すと恥ずかしいほどである。それでも、自分が世界を変えなければいけないような、そんな根拠のない使命感にかられていた。大それた使命感だということは自分が一番分かっていた。
でも、あの頃、周りにいた大人は誰も笑わなかった。どうしたらいいか、本気で一緒に考えてくれた。中村先生、畠山先生、ありがとう。
きっかけは、ささいなことだったように思う。覚えていない。授業で世界の諸問題に触れたことだったかもしれない。「なんにもないけどやってみた」という本を読んだことだったかもしれない。「ホテルルワンダ」という映画を見たことだったかもしれない。どれが先だったかはもう忘れてしまったけれど、16歳のわたしは自分の手で世界を守らなければいけないと感じていたのだ。
ただ、なにをしたらいいのか分からなかった。世界は広すぎるし、問題が多すぎる。お金も知識も、権力もないわたしに世界を変えられる気は到底しなかった。
それからずっと、そんな気持ちを抱えたまま、大学に進学した。なんとなく途上国開発や文化人類学を学んでみた。けれどやっぱり、自分に出来ることがなにかは分からなかった。社会や政治のあるべき姿はなんとなく分かっても、わたし自身の在り方は分からなかった。
どうにかしたいという気持ちとは裏腹に、その壮大なテーマに足を踏み入れる勇気がなかった。半分開いたドアの隙間から、その世界の複雑さに足がすくんだ。
大学では同級生が国際機関への就職を目指したり、さまざまな国々へ現地調査へ出かけていた。語学を学び、卒業と同時に海の向こうへ行った友だちもいた。教授のところへ熱心に通い素晴らしい論文を書き上げた友だちをかっこいいなと思いながら、わたしにはできなかった。どれも実感が足らなくて、何を書いても空論になってしまう。覚悟がなかったのだと思う。
そんなときに目にしたこの言葉。旅と平和が繋がる世界線に心がはっとしたのが分かった。これかもしれない、とやっと思えた。わたしの力で、叶えられる世界の平和の守り方が見えた気がした。
これならば、わたしも頑張れるかもしれない。世界の壮大さに怖気づくことはなく、立ち向かえるような気がした。
世界の問題に向き合いながらも、それはなんともポジティブな向き合い方であるような気がして嬉しかった。こんなに明るく、世界のことを考えられる日が来るとは、という思いだったのだ。やっと、世界が手に届くような気がした。わたしのこの短い両腕で守れる範囲がぐっと広くなったような気がした。
旅をすると、その土地を愛するようになる。旅をすると、大切な人が増える。旅をすれば、するほどに。世界を知れば知るほどに。自分が生きるこの地球をもっともっと愛おしくなる。もっともっと守りたくなる。
この世界線が、高校生時代の沖縄での民泊体験と繋がった。人は守りたいと思うものが増えるたびに、少しずつ強くなれるのではないかと思った。
旅は、人と人を、土地と土地を繋いでいくのだと合点がいった。だからずっと、ずっと、わたしは、平和のために働いている。旅のために働いている。旅は平和の象徴なのかもしれない。
この世界には、人それぞれに役割があり、それをみんなで分担している。わたしは旅という手段を使って、世界を守ることを志したひとりの人間である。
ちょっと恥ずかしいけれど、大げさかもしれないけれど、ここに宣言しておくことにする。
ただ、もちろんこれも、”今のところ”の話かもしれない。そうだといいと願っている。いつかわたしの働く理由がなくなるといい。