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海と山のある街に

千葉から引っ越した先は神奈川県と静岡県の境目、湯河原町。縁あって2か月弱、この街に住むことになった。7月下旬、本当は京都へひとり旅をする予定だったのだけれど、東海道新幹線の運休により京都行きをおとなしく諦め、予定より早く湯河原町へ入った。

東京駅から東海道線に乗って2時間弱。窓の外の景色をぼーっと眺めていると突然視界に入ってきた青い海。心音が少し大きくなる。海を見るとなぜか、何とも言えない興奮が身体の中を渦巻く。海なし県の埼玉で生まれ育ったから、海に対しての憧れが強いからか、大事な記憶にはいつも海があったからなのか、「好き」という感情とはまた少し違うこの気持ち。

加えてここには山もある。これもまた要因だろう。山々の側面に家々が建っている光景。この画はわたしがこれまで暮らしてきた場所では見慣れないが、なぜだか懐かしい気持ちになる。心音を隠すように、平然とした顔で本を開き、湯河原駅に到着するのを待った。

この辺りにくるのは何度目だろうか。それほど多く来ていたわけではないのだけれど、「あぁ、帰ってきた。」という気持ちが強いことに驚いた。

その夜、沢木耕太郎さんの「旅のつばくろ」を読んでいるとこんな章があった。

人生のうちで、面として知っている土地をいくつくらい持っているか。それは人生の豊かさということに直結しているような気がする。

旅のつばくろ-点と線と面-/沢木耕太郎

つまり、1箇所に滞在していてもそれは「点」に過ぎず、旅の多くが移動の旅なのでなかなか「点」を紡いで「線」とし、「線」が繋がって「面」として知れている場所は実はとても少ないということ。多くの場所に行ったことがあっても、「点」としてそこを知っているに過ぎない。わたしは、この2カ月間できっとこの街を面として知れるのかもしれないという、その喜びが自分の中にあることが気づいた。

繋いでいく。続いていく。この終わりなき旅を思うと、安堵感に包まれる。わたしはわたしの人生を終えるとき、どれくらいの場所を面として知っているのだろう。そして一番広い面はどこなのだろう。まだ分からないし、予想もつかない。でもいつも、探している。

新たな日々を、二度とやってこない日々を、わたしは今日も生きていくのだ。たくさんの出会いや驚きや気持ちに出会えますように。



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