リゾナーレトマム | 流れゆく雲は戻らない
朝4時。わたしたちは眠い眠い目をこすって、起き上がった。雲海を見に行くのだ。チャレンジ1日目である。その日、わたしたちはリゾナーレトマムにいた。
まだ夏だというのに、朝は寒かった。さすが北海道。かろうじて持っていた薄手のシャツを羽織って、ゴンドラ乗り場へと向かう。ロビーに降りるとすでにたくさんの人が並んでいた。バスに乗ってゴンドラ乗り場まで。近くにいたスタッフさんに「今日、見れますかね?」と聞くと、「今日はきっと、見られると思いますよ!」と教えてくれた。わたしたちがトマムに来たのはおととい。その前の日までずっと雨続きだったらしい。前も書いたような気もするが、わたしは晴れ女だ。夫も晴れ男だ。わたしたちは顔を見合わせて「わたしのおかげ」という顔をした。傲慢な夫婦(このときは婚前だが)である。
ゴンドラに乗る。少しずつあたりが雲につつまれていく。寒さも増していく。興奮で眠気はもう飛んでいった。
ゴンドラを降りて、テラスへ出てみる。わたしたちの視界に広がったのは、見渡す限りの一面の雲の世界だった。
ああ、このまま飛び込んでしまいそうな。それでもこの雲たちが自分の体を優しく支えてくれるのではないかという想像がふくらんだ。この日の雲海は、トマムならではの太平洋産の雲海なのだと後からスタッフさんが教えてくれた。
雲はゆっくりと流れていた。そんな景色を見ながら、ああ、もう二度とない景色なんだなあと思った。雲海が見られる確率は40%で、それを高いと思うか低いと思うかは人それぞれかもしれないが、わたしは見られたことは奇跡だと感じた。
本当はいつも、毎日、日々だって奇跡みたいな景色ばかり広がっているのに。いつもは気づけないことだった。流れゆく雲は、もう元の位置には戻ってこない。ゆっくり、ゆっくりと雲が動いている景色を見ながら考えていた。そう思うと、目の前に広がる景色が、あまりにも愛おしくて、切なくて、寂しくて、美しかった。
わたしは海や山や空、果てしなく続いていると感じられるものを見るのがすごく好きだ。なぜかはうまく言葉に出来ない。世界が繋がっているのだと感じられるからなのか、その大きさに魅了されているからなのか、自分のちっぽけさに安堵できるからなのか。雲海も同じだった。雲はどこまでも続き、いつしか消え、いつしか現る。
人はきっと、もっと空を見たほうがいい。日常の中でも、きっと。信号を待っているときや家に帰るとき、朝起きたとき、ふと一歩足を止めて空を見てみたほうが良い。それだけでなんだか、世界が平和になるような気がした。のんき過ぎるだろうか。でもそれだけで、例えば今起きているその空の先の国の戦争とか、会えていない友達とか、おばあちゃんとか、心を届けられるような気がした。
そういうことを考えたのはちょうどそのころ、ウクライナで大変なことが起きていて(まだまだ続いているが)。北海道からはその場所がいつもより少し近かったから、なんとなく考えていたのかもしれない。
クラウドバーでひとしきり眺めて、椅子を降りると、1組のカップルが話しかけてくれた。「いい画だったので、写真撮りました!よかったらエアドロで送ります?」と。便利な世の中だなあと、ありがたく受け取った。
一生に一度でも見られれば、ずっと人生を豊かにしてくれる景色があると思う。この日に見た雲海は、間違いなくそんな景色のうちのひとつだった。
トマムで楽しんだのは雲海の景色だけではない。食事も満喫した。なんといっても北海道は食材の宝庫。朝食は連日のビュッフェ。朝食会場に入るなり、夫は目を閉じて「人がお皿を取るときや、カトラリーをとるときのカチャカチャという音がたまらない。」と言った。本当に嬉しそうだった。
いくつかあるレストランの中から、「ニニヌプリ」と「hal-ハル-」を選んだ。朝からいくらにエビにサーモンに。こんなに海鮮をほおばる朝があるなんて。宝石箱や~と常套句を言いながら、目を見開いた。北海道の大地の豊かさがつまったテーブルは、どのテーブルの、どの人の顔もきらきらとしていた。大人も、子どもも。美味しいはやっぱり正義である。
それから、客室にはわたしたちの大好きなサウナがついており、堪能した。湯船に水をはって、3セット。外気浴こそ出来ないが、ガラス張りの窓からは大自然が見える。もはや外気浴よりも整うかもしれなかった。
もちろんプールも行ったし(本気ではしゃいだ、ウォーターラインも何度もチャレンジした)、スープカレーも食べたし、サッポロクラシックも飲みまくったし(東京でも買えるようになってしまって寂しい。)、ファームエリアの巨大牧草ベッドで寝転んだりした。
旅はいつだって、もう二度と見ることはできない圧倒的な感動を与えてくれる。刹那的だけれど、一生の宝物になり得る景色を。次はきっと、違う季節に行こう。そうやって宝物をひとつひとつ、わたしは増やしていくのである。人生が続く、限りに。
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