
〘異聞・グリース4〙冥月の女王
冥府に於いて、ハデスとペルセフォネに次ぐ者──その名を『ヘカテ』と言う。
月や闇を司ると言われ、同じく月と狩りを司るアルテミスとは、互いの母が姉妹の従姉妹同士。他にも、月と魔術、豊穣、幻や幽霊、夜と暗闇、浄めと贖罪、出産などを司るとも言われている。
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デメテルと向き合い、ヘカテの眼差しに変化はなかった。
「……何故(なにゆえ)、ペルセフォネを冥府になど連れて行ったのです? ゼウスの命(めい)とは言え、ハデスがそのようなこと望まぬのは、そなたが一番わかっていたでしょうに……」
だが、努めて冷静を装うデメテルの方は、声の震えを隠し切れてはいない。むしろ、揺らぐことのないヘカテの眼差しに気圧されそうになる。
「……本当に、そう思われまするか?」
「……何……?」
逆質問に、デメテルは困惑した。
「むろん、ペルセフォネ様を冥界になどと、王は考えたこともないでしょう。けれど、独りでいるを是とすることと、独りでいたいと思うことは別にございます。王は独りでいたい訳ではなく、その方がいいと思われ、敢えて孤独を受け入れておられただけにございます」
唇を噛んだデメテルの、握りしめた拳が震える。ハデスを選ばなかった己を、暗に責められているようにも思え、言葉は出て来なかった。
「……では、訊ねるが、そなたはどうなのだ? ヘカテ」
「……何を仰っしゃりたいのかわかりかねまする、デメテル様」
デメテルはゴクリと息を飲んだ。
「……そなたは、ハデスを思うてはおらなかったのか? 長い長い年月、そなたが冥府の女王としてハデスを支えて来たのではないか。誰よりもハデスの傍で、それはそれは献身的に……」
言いくるめられそうな状況を打破しようと、デメテルはヘカテに揺さぶりをかけようとしていた。ペルセフォネを取り戻すためなら、今の彼女に歯止めをかけるものなどなかった。
「これはまた、デメテル様とあろう御方が、何とも苦し紛れの想像をなさることよ」
ヘカテの返答は、即答、であった。
「そのようなこと、あろうはずもございませぬぞ。アルテミス同様、私は男を必要と致しませぬ故……」
「それは、私に対するあてつけか!」
ゼウスやポセイドンを拒み通すことが出来なかった己を、またも責められている気分に陥り、デメテルが思わず声を荒げる。
「……貴女とは違う、自らの幸せを自らで選ばれたペルセフォネ様をお褒めにはなりませんのか? その幸せを、祈られませんのか?」
デメテルは言葉に詰まった。
「……話にならぬ……!」
言い捨て、踵を返したデメテルの背を見送り、ヘカテはため息をついた。
「……これは骨が折れそうですね」
そうは言いながらも、ヘカテの手は椅子の肘掛けを強く握りしめる。
「けれど、引きませぬぞ。貴女が『掟をもたらす者』であろうとも、私は『意思』でございます故……」
つぶやき、ヘカテは静かに瞑目した。