〘異聞・阿修羅王27〙乾闥婆
阿修羅を除いた八部衆全員が、乾闥婆王(けんだっぱおう)の見解に興味津々とばかりに傍近く集った。
「始めに言うておくが、これから話すことは、あくまで、私が見聞きして来たことから推測したに過ぎん。それは承知の上で聞いてくれ」
六人が頷く。
「皆も薄々気づいているとは思うが、この須彌山(しゅみせん)は、幾度となく消失と再生を繰り返している。これは間違いないと、私は確信している」
「何となく感じてはいた」
「ふむ、私もだ」
皆の相槌に、乾闥婆王も頷く。
「……当然、四天王様を始め、我らもそのたびに新しく生まれる……いや、出現する、と言うた方が正しいやも知れぬ。そして、新しい世を滞りなく回すために、必要な記憶だけを引き継ぐ。正確には、予め必要な情報だけを持たされている」
「……何……!?」
「無論、全てが始めから解放されているとは限らぬ。必要に応じて、都度、呼び起こされるものもあるだろう。要は、過程はどうあれ、我らはあくまで、決められた場所に着地しなければならない……そう言う運命(さだめ)を背負っているのだと思う」
瞬きも、呼吸の音をさせることすら憚られる中、七人の周囲だけが静まり返った。
「ぬ……! 地鳴りぞ……!」
いち早く、夜叉王(やしゃおう)が反応した。立っていられぬ程ではないが、確かに揺れている。
「むう……ここのところ、回数が増えている気がするな」
「うむ。だが、大した揺れではない。心配する程のことはなかろう。それより、乾闥婆王の見解の方が気になる」
「うむ。私も、そこをこそ聞きたい」
促された乾闥婆王は、言葉を探すように腕を組んだ。
「……無限に近い時を生きる我らと違い、人の寿命は僅か数十年……しかし、人の命と言うものは親から子へ、子から孫へと、連綿と受け継がれて往く。人の存在がある限り続くそれは、ある意味、我らよりも無限と言えるものだ」
「……ふむ。それは確かに、そうとも言えるやも知れぬな……」
最初に答えたのは迦楼羅王(かるらおう)だった。とは言え、乾闥婆王の説明が終わりではないことは誰しもわかっており、それ以上、口を挟む者はいない。
「何より、寿命以上に、人と我らには大きな違いがある」
「……? 何だ? その違いとは?」
六人が首を捻った。
「……我らは、予め決められた者しか存在せぬ」
六人は、さらに不思議そうに顔を見合わせる。
「決められた者が決められた時に現れ、決められた役割を果たし、決められた時に消える。無論、何千年何万年もの間に代替わりはする。しかし、我らは我らに変わりなく、記憶も何もかも、全てそのまま持ち続けている。古くなった体を取り替えるだけのそれは、極端に言えば衣(きぬ)を着替えたようなもの……人が命を繋いで往くこととは別物だ」
「いや、待て。そうは言うても、我らとて妻を娶りもすれば子もいる。お主にも雅楽(がら)がいるではないか。何が違うと言うのだ?」
緊那羅王(きんならおう)の疑問に向き合うように、乾闥婆王は視線をも合わせた。
「……子がいても、命を受け継いで往く訳ではなかろう? 子に、我らの役目を引き継がせる訳でもない。例えば、私が乾闥婆の名を辞し、雅楽に継がせる、と言うことはない。私は、最初から最後まで乾闥婆のままだ。それは、お主らも同様のはず」
「む……確かに……」
「我らは、我らと言う運命を繰り返すのだ」
乾闥婆王の見解を咀嚼するように、六人は身動ぎひとつしなかった。
「では、インドラ様も……」
静寂を破ることを恐れるかのように、天王が問う。
「インドラ様は……」
当然、行き着くであろう結論に、乾闥婆王は首を振った。
「……恐らく何も引き継がぬ。一切の記憶を、その世ごとに置いて来られるのだと思う」
よどみなく、坦々と続ける。
「何だと……!?」
「インドラ様こそ、一番、引き継がねばならない御方ではないのか……!」
乾闥婆王が視線を下げた。
「……代わりに、と言えるのかわからぬが、恐らくはそのために、阿修羅王はほぼ全ての記憶を引き継がねばならぬのだと……私は思っている」
全員の瞬きが止まる。
「……では、お主が『阿修羅王には我らには見えぬ何かが見えている』と言うたは、そう言う意味であったのか……?」
「左様」
「一体、何故、阿修羅王だけがそのような……」
皆の困惑を前に、乾闥婆王はひと間を置いた。
「……阿修羅王の役割が何であるのか、何故、インドラ様だけが真っ新な状態で存在するのか、それは私にもわからぬ。だが、考えてもみよ。例えば、摩伽(まか)様がインドラ様として立たれた時のことを……」
「式典の時のことか……?」
「此度は、たまたま増長天(ぞうちょうてん)様と摩睺羅伽王(まごらかおう)が代替わりの時と重なり、式典を機に新たな状態で迎えられた。しかし、阿修羅王だけは違う。『次代の阿修羅王』として存在している期間が、確かにあったのだ」
「……あっ……!」
皆、唐突に思い出す。
「あれは、何故なのか……そこにこそ、インドラ様と阿修羅王の関係性を紐解く何かがある、と思うておる」
「……乾闥婆王……」
「そして、何より今、ここで、皆と話していることが、『次の世の私』の中に残っているとは限らぬ、とも言えるのだ」
六人は、乾闥婆王の言ったことは間違っていない、と確信した。どこか、現実感がないようでいて、それでも間違いない、と。
静まり返った六人を前に、乾闥婆王は阿修羅王と交わした会話を思い起こしていた。
雅楽を嫁がせる直前、阿修羅王から言われたことを──。