〘異聞・エジプト〙Tetrad〔四夜/終夜〕
どの世に生まれても
必ず逢う
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王都を出たイシスたちはオシリスの遺体を回収し、冥界へ葬送した。
イシスにはセトの意図が良くわかった。オシリスの完全な復活を防ぐため、身体が欠損するように遺棄したのだと。
失われた箇所は、イシスが魔術で補填した。
オシリスの身体の処置はアヌビスに任せたが、真相を話すことは出来なかった。せめて、オシリスの本心を知ることがないよう魔力を込め、祈るくらいしかしてやれなかった。
その一方で、ネフティスは驚きの事実を打ち明けられていた。オシリスの仕打ちに打ちのめされていたことすら吹き飛ぶほどだった。
「子ども……!? イシス、それ、本当なの……!?」
イシスは身籠っており、しかも今から出産すると言う。
ネフティスは懸念した。イシスがオシリスにあれほど詰め寄ったのは、正統な王妃である自分が子を産む前に、アヌビスを後継者として認めさせようと考えてくれたのではないかと。
だが、イシスはそれを一蹴した。
子どもはアヌビスが産まれる前から自分の胎内におり、後継者としては考えていなかったと告げた。そして、そのために子どもの成長を止めていたのだとも説明した。
信じ難いことではあったが、如何せんイシスは大魔女である。何より産まれた子どもを見、ネフティスも納得せざるを得なかった。
そもそも『産まれた』と言う表現が正しいのかさえわからなかったが、とにかく、突然その子は現れた。6〜7歳ほどに見える少年の姿で、文字通り『出現』したのだった。
その子は名をホルスと言った。
宿命と言うものがあるのなら、これほど無体なものはない。何事もなくオシリスの治世が続く限り、イシスは自分の子を持つつもりがなかったからだ。アヌビスが産まれた時には、これで後継者の心配がなくなるとすら考えた。
もし、ホルスに陽の目を見せてやれるとすれば、それは引き換えて余りある重荷を背負わせる時と決めており、そんな風に考えている時点で自分は真の王妃ではないとも思う。
たまたま後付けで手に入れたラーの魔力を受け入れ、上乗せすることが出来ただけのことで、生まれながらにしてオシリスを上回る力を持っていたわけではない。にも関わらず、王妃の器などと言われるのはむしろ心苦しかった。
ともかく、こうしてホルスの研鑽の日々は始まった。
知識や魔術はイシスとネフティスが教示し、武術は戦いの女神に協力を求めた。知恵の女神でもあるネイトは要請に応えてくれた。
セトとホルスに対して中立の立場であるネイトは、ホルスに今一歩の成長を促すため、敵であるセトの戦に連れ出し、隠れて見取稽古をさせたりもした。イシスが気づいたのは訓練の折、ホルスの繰り出す太刀筋が見慣れたセトのそれと似ていたからである。
それを見、イシスは決意を固めた。
「次の蝕の日に王都に戻ります」
イシスが己に課した期限の通りとなった。
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決着は容易にはつかなかった。
三戦のうち、先に二勝した方が勝者となる。最初の勝負はセトが勝利し、二度目の勝負はホルスが勝利した。
結局、双方一歩も退かぬまま、いよいよ三度目の勝負の時を迎えた。だが、セトもホルスも決戦の場に挑み、思う。この時をこそ、待っていたのだと。
数十年にも及ぶ長い長い戦い。その目に、その身体に、戦神との戦いを焼き付けんとホルスは立ち合った。
そんなホルスの動きに、セトは不思議な既視感を覚えていた。まるで、もうひとり己が存在するような、自分自身と対峙しているかのような感覚だった。
(こいつ……!)
ネイトが指南した見取稽古の賜物である。
(イシスの血を引くだけのことはある)
ふたりが刃を交える様を、イシスは何とも言えない気持ちで見守っていた。本当なら戦わせたくなどなかった気持ち、懐かしさ、これが勝負などではなく、世の平和を願う剣舞であったらと言う想い。
だが、もし、何事もなかったら。
イシスがオシリスを殺すことなく、王と王妃のままでいたのなら、ホルスを現世に送り出すことはなかった。オシリスの統治がある世で陽の目を見せることは、恐らく。
(さすが叔父上……強い!)
ふたりの腕は、ほぼ互角だった。実戦の経験値に於いて、セトがやや優勢ではあったが、ホルスには受け継いでいる力があった。ただし、精度が低い上、続けて使うことは出来ない。ここぞと言う時の切り札として機会を待ち、凌いだ。
(……! 今だ……!)
セトが一撃を振り下ろした時である。
「なに……っ!?」
剣諸共にホルスを斬り捨てるはずだったセトの一線は、虚しく空を斬った。速さも重さも申し分のない会心の一撃を避けられる者はないはずだった。
(……! 空間転移……!)
大魔女イシスだけが持つ力と気づいた時には、セトはホルスに背後を許していた。
(しまっ……!)
驚異的な身体能力、そして危機状況での反射的な回避能力がセトに直撃を免れさせ、ホルスにせめてもの一太刀を浴びせた──はずだった。だが、セトがホルスの胸を真一文字に薙いだ手応えは、肉を斬ったそれではなかった。
そう、まるで土のような。砂のような。
幻と出会したように、セトの力がわずかにゆるんだ瞬間だった。
「……っぁ……!!」
何とかホルスの剣を受けたものの、勢いを殺すには及ばず弾き飛ばされる。
「セト……!」
イシスの声が耳にこだました直後、セトは壁に叩きつけられた。立ち上がる前に、その眼前にホルスの剣が突き付けられる。
「おれの勝ちです。叔父上」
セトはホルスの顔を見つめた。まるで、何かを探すように。
視線を外し、小さく、だが深く息を吐き出した。
「……ああ……お前の勝ちだ……」
そう答えた口元は、心なしか満足げだった。
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長い闘いが終わりを告げた。
裁可によってホルスの王位継承がほぼ確定すると、満足したのかオシリスが干渉して来ることはなかった。
王位を剥奪されたセトには処罰が課されたが、ひと言の弁解も反論もしなかった。ただ、こう言った。
『父の財産は息子が継ぐべきだ。その財産を奪う者は追放すればいい』
この言葉が正しく意味しているところを理解したのはイシスだけだった。
「叔父上。今後、あなたには毎夜邪悪な大蛇と闘い、ラー様の御為に通り道の確保をして戴くことになります。よろしいか?」
アポピスと毎夜の闘いともなれば熾烈であることは間違いないが、王位簒奪者への処遇としては破格と言えた。
正直なところ、アポピスを力で御せるのはセトくらいで、役目として与えられていても不思議ではない。つまり、事実上の情状酌量であって、他の者からすれば体良くアポピスに悩まされずに済む算段がついたことになる。
「……承知した」
長い髪で陰になり、セトの表情はホルスにもわからなかった。著しく抑えた声音から感情を読み取ることも難しい。しかし、その後につぶやいた言葉が、ホルスの耳に響いた。
「……これで、やっと……」
耳で確認出来たのはそれだけだった。ただ、ホルスの目は、唇がその後も微かに動いているのを見て取った。それが、セトの心情を全て物語っていることを。
『これで、やっと解放される』
目の前の男を凝視し、ホルスは『その時』を確信した。『その時』に立って、初めて理解した。
セトも、そしてオシリスも解放された『今』が、母の願いを叶えた瞬間なのだと。
その一方で、イシスは、今、目の前に訪れた光景を前に自問自答した。
(本当にこれで良かったのだろうか……)
自らが始め、セトに負わせ、息子さえ巻き添えにした未来が、目の前に現実として在る。過去の自分が良かれと信じたそれは、果たして本当に正しかったのか、神なる身にも迷いは消せなかった。
(無理を通してラー様の力を手に入れたと言うのに……)
だが、そんな迷いを知ってか知らずか、目の前の男は満たされた表情で静かに手を差し出した。
「ありがとう──イシス」
果たされた約束の末に、ふたりの願いは遠い来世で実るだろう。
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~Inside〜
オシリス殺害の真相を聞かされたトートは疑問を拭い切れなかった。
「セト……如何に王妃のためとは言え、何故そこまでする? きみと王妃の間には一体何があるの?」
じっと下を向いていたセトは、核心を突く質問に小さく息を吐き出した。まるで溜め息のように。
「……おれたちが産まれた時のことを覚えているか?」
「もちろん! 私もきみたちの誕生には少なからず関係があるからね」
セトたちの母である天空の女神ヌトは、兄である大地の神ゲブと睦まじい夫婦だった。子どもを欲していたが、彼らから産まれる子が王座につくと言う神託に自らの立場を懸念したラーから出産を禁じられてしまった。
この時、既にヌトは子を宿しており、哀れに思ったトートは太陽が月に干渉出来なくなる5日間の閏日を設け、ラーに見つからずに出産出来るよう取り計らった。
ところが、3番目のセトを出産する際に事態は急変し、四柱を無事に産んだものの自らは命を落としてしまった。
「セト……何度も言うようだけど、ヌト様が亡くなったのはきみのせいでは……」
「わかってる」
ヌトを死に至らしめたと、世間にはセトを『鬼子』扱いする者もあった。殊に父親であるゲブは妻を喪ったことに心を乱し、セトに冷たく当たっていた。
「母上の死がおれの責任だとは思っていない。だが、原因なのは間違いない」
「どう言うこと?」
セトは少し間を置いた。
「誰も憶えていないだろうな……」
聞き取るのが困難なほどの小声でつぶやくと、トートですら知らなかったことを話し出した。
「あの時……母上の胎内にいる時、おれがオシリスの一番近くにいたんだ」
「えっ……? じゃあ、オシリス様の次に産まれたのはきみだったかも知れないってこと……?」
トートは混乱した。それが事実なら、セトはオシリスのすぐ後に産まれていたはずである。しかし、実際に産まれたのはイシスだった。
「いや。恐らく、おれが最初に産まれるはずだった」
「ええっ!?」
更なる事実に、冷静なトートも驚きを隠せない。
「それが気に入らなかったのか、オシリスは無理やりおれと位置を入れ替えた。臍の緒を絡ませて動けないようにしたんだ」
「えぇ……」
「おれが身動き取れなくなったせいで、イシスとネフティスも出られなくなった。このままだと、おれだけでなく彼女たちも死んでしまう。何とか臍の緒を解こうともがくおれにイシスの手が触れたんだ」
「王妃の?」
「一瞬のうちに、おれの身体の位置は入れ替わっていた」
「空間転移……!? その頃から王妃は魔力を……!?」
セトが頷いた。
「ただし、まだ力も弱く不安定で、おれを体外に転移させることは出来なかったようだ。絡んだ臍の緒は断ち切ってくれたが、おれは勢いのまま母上の脇腹を破って飛び出すことになってしまった」
嘘を吐いている表情ではなかった。産まれた時から四柱を見て来たトートである。彼らの本質に関しては、恐らくラーと同等に理解していた。
もちろん、オシリスの内面も、王の役目を果たす者としてなら申し分ないと。
「もし、イシスがいなかったら、おれたちは三柱とも死んでいたと思う」
「……であれば、結局、ヌト様も助からなかった……」
トートが結論をつぶやく。
「……オシリス様を恨んでいる?」
返答にはわずかな間があった。
「……何もないと言えば嘘になる。あいつが覚えていたのかは知らないが、おれたちを殺そうとまでしておいて……いや、だからこそ産まれてからも支配せずにはいられなかったんだろう。イシスのこともネフティスのことも……おれには髪一筋の違いも許さなかった。結果として、あいつの傍からは誰もいなくなり、おれにはイシスがいた。産まれる前にイシスに助けられ、産まれてからもずっと、おれはその存在に救われて来た。だから……」
セトの視線は遠くを向いた。見えない何かを追うように。
「……あいつのためなら、オシリスの足下に額づくなど容易いことだ。悪にだってなってやる」
「セト……」
ホルスがセトから王座を奪還するまでの間、トートはセトとイシス双方に可能な限りの便宜を図った。
~終~
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