〘お題de神話〙 理の戒
〜理の戒〜
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軍神と愛の女神は溜め息をついた。
「残念なことだ……」
二柱には、欧州随一の名門となったハプスブルグ家の行く末が見えてしまった。
青い血──貴族階級が『高貴な血筋』を笠に着るようになったのは予兆だったに違いない。
やがて、民衆が意味を挿げ替え、揶揄するようになった時には手遅れだった。婚姻政策を繰り返すうち、欧州全土の貴族はほぼ血族となっていたのである。
「我らと違い、人の身で同じ血を重ねたとて、その先に拓けるものなどないものを……」
「“彼”だけが我らの加護の意味をわかっていた」
“彼”とは、アルザスを本拠とする一領主でしかなかったハプスブルグ家を欧州随一の家門に押し上げ、大空位時代を終わらせたハプスブルク伯ルドルフ4世──後のローマ王ルドルフ1世のことである。
選帝侯によって皇帝に指名された時、彼は既に50代だった。大きな力を持っていないこと、長い治世になるはずがないこと、操るに都合の良い条件だけで選ばれたのは明白だった。
地味な存在であるが故、誰も彼が持っているものに気づいていなかったのである。
軍事的手腕、また情報の持つ力を良く知っており、それを駆使する政治的手腕をも持ち合わせていた。何より、外交を進めるに当たっての最大の力は人を惹きつける人間的魅力であった。
彼の目指す先を見てみたいと考えた軍神と愛の女神は加護を与えた。
始めから婚姻政策だけで乗り切った訳ではなかった。荒れ果てた帝国を平定し、民の生活を守り、自分を信じて付いてくれた者たちと共に生き延びるために戦場をくぐり抜け、情報を駆使し、不要な戦を回避する手段として選んだ最善の策がそれであっただけのこと。
大空位時代に終止符を打つために齢70を越えて死するまで、あらゆる意味で戦い抜いた男に、さすがの軍神と愛の女神も唸った。
また、加護も度を過ぎれば仇になることを彼は良く理解しており、むやみに使おうとしないことも二柱を感心させた。
だが、ルドルフの代が終わった時、それを継続出来る者はおらず、二柱は彼に加護を与えたのが遅過ぎたことを悔いた。
『あと20年……いや、10年早ければ……』
遅過ぎた決断は二柱にとっての戒めとなった。
そして、闇雲に使い続けた神の加護は、さらにハプスブルグ家を蝕み続け、後の人々にとっての戒めともなるのである。
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相変わらず、内容はウソンキ八百とホンキ二百くらいの割ですww
冒頭はハプスブルク家のことを表現した有名な言葉。もちろん、当時この婚姻政策はハプスブルク家だけではなく大多数の王家や貴族が使っており、系譜を見る限り『ヨーロッパ皆兄弟』状態であったようです。
『青い血』と言うのは、屋外で労働しない上流階級の人間が、雑な言い方ですが色白を競うための言葉だったようです。色が白いと特に静脈がくっきりと青く浮き出ますよね。それが『上流階級』の証であり、『高貴な生まれ』と言う意味になっていたとか。
ところが、この政策が多用されて次第に貴族同士があっちもこっちも親戚同士になって行き、今で言ういわゆる『近親婚』の複合キック状態になったことから様々な遺伝的問題が生じました。身体的にも精神的にも大変な思いをした人がたくさんいたようです。
ちなみに、このルドルフ1世と言うのはローマ教皇による正式な戴冠を受けておらず、また彼の死後しばらくの間はハプスブルク家が前面に出ることはなかったみたいです。ただ、間違いなく礎を作ったのはルドルフ1世のようで、故に『始祖』と呼ばれているようです。
軍事的には、当時は誰にも使われなかった戦法(※)を取り入れるなどし、絶対に勝ち目はないと言われたボヘミア王オタカル2世をマルヒフェルトの戦いで下しました。(※)の戦法とは、いわゆる奇襲攻撃のようです。騎士道精神で正面から正々堂々一対一の戦闘が主流だった当時としては珍しかったのだとか。
情報戦も行なっており、自分に有利に働く噂を流すなどもしていたそうです。
彼の息子も頭は良かったようですが、如何せん、人間的魅力が大きかったルドルフのようにはいかず、しばらくの間はハプスブルク家から皇帝が輩出されることはありませんでした。
高1の担任が世界史担当だったことから、変な裏話的なのをかなり聞かされたましたが、もちろん憶えてることだけ抜き出してます。 ←
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