〘異聞・グリース3〙流す涙が星となり
この妄想像は、kusabueさんのこちらの一句を元に書かせて戴きました。いや、ストーリー的には全く脈絡はなく、単に『白鳥座』つながりってだけですwww
飛び立ったいち羽そのまま白鳥座
( https://note.com/kusabue/n/nf698b4a8c10f )
北十字星(ノーザンクロス)と呼ばれ、天の川の上を飛んでいるかのように見える白鳥座。
不思議なもので、『白鳥座』と言えば日本では夏を代表する星座のひとつですが、『白鳥』と言えば冬の季語となるのですね。
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白鳥座と言えば3つの説話がある。
ひとつは、スパルタの王テュンダレオスの妃レダに惹かれたゼウスが、彼女に近づこうと変身した姿だと言う説。
もうひとつは、ゼウスの怒りにふれてエリダヌス川に落ちたパエトンを探し回る友人キュクノスを、アポロンが天に上げて白鳥座にしたと言う説。
最後のひとつは、竪琴の名手オルフェウスを、その才能を惜しんだアポロンが天に上げたと言う説。
ここでは、この3つ目のオルフェウスの話をしたいと思う。
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いとしのエウリディーチェ
いずこへ去りしや
むなしくとめゆく わが身ぞ悲し
わが身ぞ悲し
〔いとしのエウリディーチェ
/歌劇『オルフェオ』より〕
*
オルフェウスの名義上の父は、音楽の神でもあるアポロンとされている。
その類まれな竪琴の腕前もアポロンからの伝授であり、オルフェウスが爪弾けば、人だけでなく動物も、そして木々や岩までもが耳を傾けたと言う。
そんなオルフェウスだったが、彼は美しい娘エウリディケと恋に落ち、結婚して幸せに暮らしていた。だが、ある日、エウリディケは毒蛇に噛まれて死んでしまう。
何とか妻を生き返らせてもらおうと、オルフェウスは冥府へ向かった。途中、その竪琴の音でスティクスの渡し守カロンを説得し、冥府の番犬ケルベロスを眠らせ、ついに冥王ハデスの元へと辿り着いた。
そして切々と訴え、やはりオルフェウスの竪琴に感動したペルセフォネの取り成しにより、条件付きでエウリディケを連れて戻る許しを得た。にも関わらず、最後の最後で約束を破り、結局、永遠に妻を失ってしまったのである。
その後のオルフェウスは、絶望して崖から身を投げたとも、オルフェウス教を広めてデュオニュソスを怒らせ、狂乱の女たちに襲われて八つ裂きにされたとも言われている。
だが、どちらの結末でも、その天賦の才を惜しんだアポロンにより、オルフェウスは白鳥座として、彼の竪琴はこと座として天に上げられた。
(一説によると、アポロンに頼まれたゼウスとの説もある)
ここまでは周知の事実。
だが、自業自得とは言え、彼はエウリディケを取り戻すことが出来なかっただけでなく、もうひとつの罰を受けていることをご存知だろうか──?
*
オルフェウスが冥府に下り、エウリディケの返還を求めた際、むろん冥王であるハデスは認めなかった。
彼は心優しく情に厚かったが、自身の立場は良く理解していたし、世の理を犯す危険を熟知してもいた。下手に情け心を出し、一度、死んだ者を地上に戻すことを許せば、世界が混乱してしまうと誰よりも知っていた。
「冥王よ……どうか、お聞き届けください。妻を……エウリディケを、今一度、私の元にお返しください」
訴えるオルフェウスに、ハデスは答えた。
「オルフェウスよ……それは出来ぬ相談だ。死んだ者を地上に返す訳にはいかぬ。また、生きる身のそなたが、長く冥府に留まることもならぬ。早々に地上に戻るのだ」
冥王の返事を聞き、オルフェウスは静かに琴を奏で始めた。自分がどれほど妻を愛しているか、妻のいない世界では生きる価値などないのだと言うことを、涙ながらに切々と歌った。
「ハデス……一度だけチャンスをあげたら如何です?」
オルフェウスが奏でるあまりに切ない調べ。
取り成そうとしたペルセフォネが、そっとハデスの手に己の手を重ねる。
「…………」
しばし、瞑目して考えていたハデスが手を返し、重ねられていたペルセフォネの手を握った。
「……愛しい者に逢えない辛さは私にも良くわかる。だが、情けのままにただ許すことは出来ぬ……」
つぶやき、そのまま顔を上げてオルフェウスを見つめる。
「理は理。道理は犯してはならぬもの。それを曲げようとするならば、それ相応の覚悟をしてもらわねばならぬ。そなた……もしも禁を破ったなら、どのような結末が待っていようと受け入れられるか?」
ハデスの言葉に、オルフェウスはひれ伏した。
「どのようなことでも……! 再びエウリディケと会えるなら、何でも致します……! もし、私が禁を犯すことあらば、どのような罰でも受け入れます……!」
「……よかろう。一度きりだ。これきりの機会をやろう。二度目はない。そして、もし約束を破った時には、そなたはエウリディケを失うだけでなく、未来永劫、その罪を背負って行くことになる」
「覚悟の上にございます!」
「わかった……」
ハデスはヘカテに言いつけ、エウリディケを連れて来させた。
「オルフェウス……! 何故、ここに……!?」
「迎えに来たのだ、エウリディケ! 冥王にお許しを戴いた。共に地上に戻ろう……!」
抱き合って喜ぶ二人。
ハデスは、まずエウリディケに言いつけた。
「エウリディケ。これから地上に戻るまでの間、オルフェウスの後ろをついて往くのだ。決して横に並んだり、前に出たりしてはならぬぞ」
「はい、冥王ハデス様。必ず、そのように致します」
「そして、オルフェウスよ。地上に戻るまでの間、決してエウリディケを振り返ってはならぬ。一度でも振り返ったなら約束は違われ、その場でエウリディケは冥府へ戻らなければならなくなる」
「はい、冥王。絶対に振り向いたりは致しませぬ」
頷いたハデスは、今一度、申し渡した。
「先ほど申した通り、約束を違えたその時は、エウリディケは冥府へ戻らねばならぬ。そしてオルフェウス……そなたはもうひとつ、未来永劫続く苦しみを背負うことになる。忘れるな」
「はい……!」
固く約束した二人を、ハデスとペルセフォネは城から見送った。
「地上への道は、二人にとっては暗く長いものでございます。無事に戻れるでしょうか……」
少し不安げなペルセフォネを抱き寄せたまま、ハデスは何も答えなかった。
地上への道は、二人にとって本当に暗く長いものだった。ともすれば声を掛け合いたくなる気持ち、手を取り合いたくなる気持ち、追いつき、振り向きたくなる気持ちを必死で堪え、二人はひた歩いた。
やがて、周囲が少しずつ明るさを増してゆく。地上に近づいていることが感じられ、もう少しと言うところまで辿り着いた時である。
オルフェウスは急に不安に襲われた。
今、本当に妻は自分の後ろにいるのか、本当について来ているのか、と。
不思議なことに、明るさが増すほど不安も増幅し、耐え切れなくったオルフェウスの脳裏からは、一瞬でハデスに言い含められた言葉が消え失せていた。
「エウリディケ……!」
振り向いてしまったオルフェウスの目に、愛しい妻の姿が映った。
「…………」
何かを叫んだように動いたエウリディケの唇。夫の名を呼んだのか、それとも悲鳴だったのか、それはオルフェウスにはわからなかった。そして、この上なく悲しげな表情──それが、オルフェウスが見た妻の最後の姿であった。
「エウリディケ……!」
一瞬でエウリディケは消えてしまった。妻が、つい今しがたまで立っていた場所を呆然と見つめる。
「エウリディケ……」
オルフェウスは膝から崩れ落ちた。
悔やんでも悔やみ切れない。あと一歩と言うところで、何故、自分は振り返ってしまったのか、と。
簡単に冥府を行き来できぬよう仕掛けられた、それは『疑心暗鬼』と言う誘惑の罠。打ち勝つことが出来なかったオルフェウスは、絶望の沼へとその心を沈めた。
*
これが、オルフェウスの未来永劫続くことになる罰の始まりであった。
ハデスはそこまで口にすることはなかったが、一度、冥府の者となったエウリディケには、彼が言っていた意味が理解出来ていた。
例え、いつの日かオルフェウスが死んでも、二人が会える日は二度と来ないのだ、と。
理を犯して再会した二人に、もうその機会は訪れない。一度きりのチャンス、一度きりの許し。死して冥府に赴いても、オルフェウスがエウリディケに会うことは、今後、二度とないと定められてしまった。
*
白鳥へと姿を変え、天へと舞い上がったオルフェウスは、今宵も天の川を渡って行く。
ペルセフォネの、ひいてはハデスの計らいにより、年に一度、夜空を見上げることを許されたエウリディケは、ノーザンクロス輝く天の川に愛しい面影を重ねる。二度と会うことは叶わない面影を。
見上げるエウリディケの存在を知ってか知らずか、白鳥は時おり涙を流した。
その涙が星となって流れる様を見、地上の人々は今日も祈りを捧げるのである。
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