
〘異聞・阿修羅王/序2〙終わりの始まり2
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自然体で向き合ったふたりは、ただただ、互いを見据えた。避けることは叶わぬ闘いを前に、それでも時が止まることを願わずにはいられない、とでも言うように。
運命たらんと踏ん切りをつけ、インドラはわずかに睫毛を翳らせた。やがて、地面に亀裂が入るように少しずつ額の中心が割れ始め、縦長に窪みが現れる。
それは、確かに眼であった。
その眼が、己を刺すように見ていることに気づいても、阿修羅王の表情にこれと言った変化はない。だが、瞑目し、両の手を胸の前に合わせる姿に、インドラは眉をひそめた。逆に、興を失ったかのように額にある第三の眼が閉じる。
「…………?」
次の瞬間、インドラの眼が鋭さを増した。
「…………!」
目に見える阿修羅王の確かな変化は、インドラにとって意外なものだった。顔の左右にそれぞれ違う表情が現れ、対応する腕が四本出現している。物理的な変化ではなく、内包する力を表すものであれ、それだけに目に見えて伝わって来るものがあった。
(須羅……いや、阿修羅王……!)
それは、三面六臂の姿。
三つの顔に六本の腕は、周囲の者にとって阿修羅王の真の力を表すものであり、年代の違う三つの面は、真の心の内を表すものであった。
だが、今、インドラの目の前に現れた様相は、普段見せる『三面六臂』の面とは明らかに違っている。
悲哀、憤怒、そして、慈愛。
それだけでない、ありとあらゆる感情を内包した姿。そして、二本の腕には日光と月光の剣。
他の誰も見たことがないはずのその姿に、インドラは確かに見覚えがあった。たった一度だけ。
須羅が阿修羅王となる、それは前夜のこと。
「……何故、今、その姿なのだ? 一度とて、その姿で私との闘いに臨んだことはあるまい」
訝しむインドラに、阿修羅王が目を奪われそうなほど艶美な微笑を浮かべた。
「言うたはずだ。此度で最後だ、と……」
インドラの眦がキツさを増す。
「そなた……」
何かを言おうとしたインドラの言葉は、突然の叫び声にかき消された。
「イ、インドラ様! インドラ様ーーー!」
足音と共に声が近づいて来る。
「何事だ……!?」
「インドラ様! た、大変でございま……ひっ!」
部屋に飛び込んで来た男は、阿修羅王の姿を見て凍りつき、ヘナヘナと扉に縋った。その様子を横目で見、阿修羅王は半眼を以て動きを止めている。
「如何したのだ?」
「う、あ、あの……」
主の言葉に、阿修羅王を気にしながら答えようとする声が酷く震えている。
「構わぬ。早う申せ」
インドラの声音に追い打ちをかけられ、男はさらに慌てた様子で必死に声を出そうとした。
「は……そ、その……しゃ……舎脂様が……!」
「舎脂……!?」
突然出された妻の名に、意味がわからない、というように、インドラの片眉が持ち上がる。
「舎脂が如何した!?」
「そ、それが……その……」
気が急いているインドラと阿修羅王双方の顔色を窺い、しどろもどろの男は埒が明かなかった。問い質そうとしたインドラの目の端を、その時、阿修羅王の表情が掠める。
「…………!?」
その口元には、確かに笑みが浮かんでいた。
「須羅、そなた……!?」
先程の艶美な笑みとは違う、もっと何かを含んだ笑み。それはさしずめ、企み。
「そなた、舎脂に何ぞしたのか……!? 何をした……!?」
阿修羅王は、ただ、インドラを見据えたまま、問いに答えようとはしなかった。
「そなたの娘だぞ……! 舎脂はそなたにとって実の……!」
それでも何も答えない阿修羅王に、インドラの双眸が光を帯びる。
「本気なのだな……!? 此度こそ、本気で私と闘うと……」
インドラの手が輝き、その掌に剣が現れた。
それを見、阿修羅王の眼が扉に凭れて座り込んでいる男を一瞥する。
「……去ね……」
男は自分が言われているのだと気づくも、立つことすらままならなかった。
「修羅の業火に焼かれたくなくば、さっさとこの場から去ね! ここに誰をも近づけさせるでないぞ!」
「ヒィッ……!」
凄まじい威圧に腰を抜かし、男が這うように部屋から逃げ出す。
邪魔者がいなくなり、阿修羅王が視線をインドラへと戻した。正面のその顔に、微かな笑みと共に憤怒の焔を滾らせると、インドラも不敵な笑みを浮かべる。
「……良かろう、闘神・阿修羅王よ。私に勝てると思うなら、かかって来るが良い」
胸の前で合わせていた手に、阿修羅王は日光と月光の剣を持ち替えた。
「……決着をつけてくれようぞ……!」
インドラの言葉に、ふたりは静かに身構えた。