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〘異聞・阿修羅王8〙摩伽の望み

 
 
 
 数日以上を経ても、摩伽(まか)は須羅(しゅり)を訪ねることが出来ずにいた。

 乾闥婆(けんだっぱ)との先約──そう言った須羅と別れたきりである。

 気にはなっていた。だが、己の心すら理解し得ないままで顔を合わせるべきではないとも思えた。何より、考えてもいないことまで口走ってしまいそうな恐れを拭い切れてもいない。

 行き詰まった摩伽の元を、毘沙門天(びしゃもんてん)が訪れたのはそんな頃であった。

「珍しいな、毘沙門天。如何した?」

 毘沙門天に目を向けると、背後に男が二人いることに気づく。

「何事か? 三人揃って顔を見せるとは……」

 共に入って来たのは、同じ四天王のうち、東を守護する持国天(じこくてん)と、西を守護する広目天(こうもくてん)であった。

 この段階では、八部衆の阿修羅王と同様、南方・増長天(ぞうちょうてん)も正式には任に就いておらず、『四天王』と言っても実質三人しか存在しない。

「本日は、次期・増長天、摩睺羅伽王(まごらかおう)、そして阿修羅王を迎えるに当たり、式典の段取りを確認致したく、参上仕りましてございます」

 四天王筆頭である毘沙門天が口上を述べた。

「……式典……」

 そこに至り、摩伽はようやっと須羅の言ったことの意味に思い当たった。

『いつまでも自由でいられる身と思うな』

 考え込むように身動ぎひとつしない摩伽を、三人が訝しむ。

「如何されました、摩伽さま?」

「いや……おれから取り立てて言うべきことはない。その方らで、万時、ぬかりなく進めてくれ」

 普段の気性を知っているだけに、痛く殊勝な物言いの摩伽を目の当たりにした持国天と広目天は、互いに視線を走らせた。

「承り申した」

 だが、毘沙門天が礼を取ると、視線を逸らした摩伽が再び思案する様子を見せる。

「他の選択肢はないものであろうか……」

 ほとんど聞き取れない程度のつぶやきに、毘沙門天の思考は停止した。直後、そこにこめられた真意を探ろうと、急激に脳が動き出す。

「何ぞ、憂いがおありですか?」

 問うた毘沙門天に向けられた視線は、すぐにまた逸らされた。

「……その立場での生き方は、違えられぬものか、と思うてな……」

 毘沙門天の直感が何かを告げる。

「どう言うことです?」

「四天王となる運命(さだめ)、八部衆となる運命……代替わりがあるのなら、他の立場となることも可能ではないのか、と……思うただけだ」

「…………!」

 何のためにそんな話を持ち出したのか、真意までは読み切れなかったものの、良からぬ方へ傾く前兆であることは察せられた。

「それは、また……摩伽さまともあろう御方が如何なされました。我らに違う道などあろうはずもない。よう、おわかりのはずではありませぬか」

 ゆっくりと顔を上げた摩伽の眼が、毘沙門天の心中に予想以上の不安を過らせる。

「友として……誰かに傍らにいて欲しい……恐らく、そんな気持ちだと思う」

 それもまた直感であった。須羅のことを言っているのだ、と。

 本人が意識していようといまいと、摩伽が己と対等な者を欲してしまったと言う、明確な事実であった。

「そのようなこと、ありえぬことです。摩伽さまと対等な立場の友などと……」

 摩伽の瞬きがとまる。

「なれば、妃(ひ)としてならどうなのだ?」

 しばしの間の後、摩伽から放たれた言葉に、毘沙門天は耳を疑った。

「……何と仰せに?」

「妃であれば、完全に対等とは言えずとも、対等でないとも言えぬ。が、おれにとって一番対極にいながら、尚且つ、身近と言えるであろう?」

 聞き間違いだと言う気持ちと、やはり、という潜在意識がせめぎ合う。だが、いや、であればこそ、摩伽の答えは驚愕に値すると同時に、予想通りとも言えた。

「……どちらでもあり、どちらでもない、のであろう? なれば……」

「摩伽さま!」

 摩伽が言いかけた言葉を、毘沙門天は言わせまいとさえぎった。

「それ以上、言うてはなりませぬ……!」

 そう言って僅かに首を捻り、背後に控えている持国天と広目天に目を向ける。

「すまぬが、そなたら先に戻っていてくれぬか?」

 口調は穏やかでも、声音には有無を言わせない圧が含まれていた。だが、そこは二人も四天王の一員。万事、心得ており、摩伽に礼を取るとすぐに踵を返した。

 二人の姿が見えなくなるのを確認し、毘沙門天は摩伽に向き直った。

「摩伽さま。貴方様ともあろう御方が、他の者の前であのようなことを申されてはなりませぬ」

 摩伽の眉がしかめられる。

「おれは、それほどおかしいことを言うておるか?」

「許されぬことです。そのようなこと、決してあってはなりませぬ」

「責任だけは負わされ、ただひとつ、望みを手にすることすら叶わぬと申すか!」

 あからさまに目を吊り上げ、摩伽が声を荒らげた。

「おれは、おれがもう一人欲しい。それが叶わぬからこそ、同等の立場の友が欲しいだけなのだ……!」

「唯一無二の存在だからこそ、この忉利天(とうりてん)を、ひいては須彌山(しゅみせん)を統べる身となられる……それが貴方様の運命。そのようなことを申さば、それは我らのみならず、須彌山に住まう者全てに対する重大な裏切りですぞ」

 瞬間、毘沙門天は摩伽の額の皮膚が微かに波打ったのを見て取った。

「なりませぬ! このような些細なことで力をお出しになっては!」

 グッと喉を詰まらせるように動きをとめ、摩伽が毘沙門天を睨み上げる。

「友、などと面映ゆい……まして、妃、などと。そもそも『どちらでもあり、どちらでもない』と言うことの意味をわかっておられるか? 貴方様のように、己の意思で好きに変化(へんげ)出来ることとは訳が違いますぞ」

 やや柳眉を下げた摩伽の眼に、不可思議な疑問の色が浮かぶ。

「天が必要と認めたその時に、天が必要と認めた姿となるのです。決して、己の都合で好き勝手に変化するものではありませぬ……!」

 摩伽はただ奥歯を噛みしめた。だが、毘沙門天の方は、自分に向けられた摩伽の眼の奥に、かつてなく強大な力が渦巻いている様を見た。

「今一度、ご自分の立場を良くお考え召されよ」

 わななく摩伽に背を向けた毘沙門天は、須羅と会った時のことを思い出していた。その時に己が言ったことを。

『違う道を通ってみても良いのではないか──』

 まさか、須羅に放った言葉が、よりにもよって摩伽からこんな形で返って来るとは、と──。
 
 
 
 
 
 
 
 

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