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〘異聞・阿修羅王/結5〙よみがえる記憶
弥勒(みろく)の覚醒(めざ)め──遥か数億、数十億年過去に『入眠』した弥勒が、ついに覚醒めの時を迎えようとしている──その事実の意味するところを、本当に識っているのは須羅(しゅり)だけ、と言って良かった。
ただ、摩伽(まか)にとっては、到底、納得が行くものではない。
忉利天(とうりてん)を、須彌山(しゅみせん)を、統べる身でありながら、己は蚊帳の外にいたのだから、それも無理からぬことではあった。
「……お前が識っていた理由は、お前も知らぬと言うたな。では、何故(なにゆえ)今まで隠していた? もっと早くに言うておれば……」
「……言われた通りに信じ、動いたのか? お前が?」
返す言葉はなく、摩伽は黙った。
その話を予め聞いていたとして、須羅の言う通り、己が素直に信じていたとも思えない。今、この状況で聞いているからこそ、『信じざるを得なかった』ことを否定は出来なかった。
須羅は須羅で、まともに答えた己に心中で舌打ちしたが、だからと言ってそのままやり過ごせたとも思っていない。であれば、己が取るべき道はひとつと呼気を整える。
苦々しさに満ちていた周囲の空気が、俄に闘気を帯びた。それが須羅を中心としていることは、見ずとも感じられる。
「私との真剣勝負とした方が、お前は軍神のままいられるであろう」
気持ちの切り替えは、いつに於いても須羅の方が早かった。舞い上がる火の粉が勢いを増し、再び烟り始める。
「弥勒が覚醒める時までに、我らは全ての役目を果たしておかねばならぬ……!」
だが、摩伽にはまだ訊きたいことが残っていた。
「待て、須羅! 例え、おれが須彌山を破壊したとて、弥勒の力では再生は成るまいぞ! あやつの力は強大なれど、須彌山を新たに創造するは不可能……せいぜい、混沌とした界を救済するのが精一杯であろう! どうやって須彌山は生まれ変わるのだ!」
「……であろうな。だが、お前はお前の役目を果たせば良い。そこから先は……」
須羅が低く身構えた。
「私の役目ぞ!」
一旦、周囲の空気を引き込んで圧縮し、一瞬にして放出する爆発的な力を以て、須羅は突進した。蹴り出した床が抉れ、土埃を上げる。
「解せぬ……!」
摩伽は下手から大剣を繰り出し、刃(やいば)を交えた。と同時に、二人を中心とした床が吹き飛び、円形状の溝を穿つ。
「……では訊くが、何故、舎脂(しゃし)を巻き込んだ! あれは須彌山の女主……最期を静かに見届けさせるが真であろうが!」
「それをお前が言うか!」
悪足掻きであることは、摩伽にもわかっていた。親子の関係を壊し、断ち切ったのは他ならぬ己である。それでも、どうせ全てが消滅するのであれば、そのまま静かに捨て置けば良かったではないか──そうとも思える。
「舎脂を害したことは、お前と言えども赦さぬぞ……!」
実際のところ、須羅が舎脂をどうしたのか、摩伽にも確信はなかった。ただ、手にかけた、と考えたくはなくとも、役目のために、須羅ならやるであろう、とは思える。
須羅の面(おもて)に変化はなかった。
「……馬鹿者が……」
だが、交えた刃の陰で呟かれた小さな声は、摩伽に届くことはなかった。
*
宙を見上げ、毘沙門天(びしゃもんてん)は懸命に何かを思い起こそうとしていた。
「どうしたのだ?」
訝しんで声をかけた他の四天王も、毘沙門天の視線を追うように宙を見上げる。
「むっ……一向に日も月も現れぬな。これは、一体、何の予兆なのだ……?」
持国天(じこくてん)の言葉に、毘沙門天は何か思い当たったように振り返った。
「……すまぬが、そなたたち、しばらくの間ここを頼む」
「構わぬが……どうかしたのか?」
一瞬、答えに詰まりながらも、毘沙門天は三人の顔を見返した。
「……確信はない。だが……これは、もしや、あやつの覚醒めが近いのではないか、と……思うてな。真相を確かめたい……間に合うかわからぬが……」
「あやつ……? ……あっ……!」
三人は顔を見合わせた。毘沙門天の言わんとすることを、今、唐突に理解したのである。まるで、鍵が解かれ、記憶の扉が開いたように。
「頼むぞ」
そう言い残し、毘沙門天はその場を後にした。
(例え、記憶に留まることがなくとも、事態を変えることは出来なくとも、やはり知っておきたい。そして、知っているとすれば……)
そして、話してくれるとすれば、それは雅楽(がら)しかいないと言う確信。
「緊那羅王(きんならおう)!」
兵たちに指示を与えていた緊那羅は、毘沙門天の突然の呼びかけに驚くも、列を離れて跪拝した。
「毘沙門天様、如何なされました?」
「この音色の出処に案内(あない)してもらいたい。付き止められるか?」
顔を上げた緊那羅は、毘沙門天の面に紅潮と、微かな焦りを見て取った。
「……やってみましょう」
「頼む」
耳を澄ませた緊那羅は、音色の源へと毘沙門天を導いた。
*
一方、毘沙門天の背中を見送った三人も、何かを思い起こすように並んで腕を組んだ。
「あれから何年経っておる?」
「……四~五十億年余りであろうか」
「ふむ……」
だから思い出したのだ、と言うことに、三人は思い当たった。
「……つまりは、時が来た、と言うことか……」
「どうやら、そのようだな」
善見城(ぜんけんじょう)を囲う焔を、三人はただ見つめた。
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