〘異聞・阿修羅王25〙勝敗
インドラが振り上げた大剣と、阿修羅が上空から振り被った二刀は、ぶつかり合った瞬間、激しい火花を散らし、衝撃波が床を捲り上げた。
押し引きの狭間、互いの剣が研がれ合う激しい鳴りが耳を突く。
(相変わらず、見かけによらぬ剛力よ……!)
一見、華奢な阿修羅の腕は、確かにその見かけからは想像出来ない力を放っていた。
(真、いとも簡単に、このおれを薙ぎ払った力と、再び相まみえる日が来ようとは……!)
そこに阿修羅が絡んでいる限り、どれほど昔の記憶であれ、インドラの脳裏から離れることはなかった。それが負けの記憶でも、屈辱より驚愕、驚愕より高揚が先に立つ。
「だが、以前のおれと思うなよ!」
押し切ろうと力を加えると、ギチギチと音がし、阿修羅の腕が1.5倍はあろうかと言う程に膨れ上がった。はめていた腕輪が二の腕に食い込み、今にも割れそうになっている。
「……むっ……!」
互いに動きが取れず拮抗状態になった時、阿修羅の額に血管が浮き出した。それは全身に広がって往き、瑠璃色の眼(まなこ)の周囲が朱に染まる。まるで、焔に包まれたように、鮮血に烟るように。
(守護の縛りを解いた本性か……!)
食い縛った歯の隙間から、阿修羅の呼気が煙のように吐き出される。
「鬼神の名は伊達ではないな!」
むしろ、不敵な笑みを浮かべ、インドラが剣を弾いた。切っ先が掠めながらも、一旦、後方に飛び退いた阿修羅が斬り込んで来ると、手に握られた日輪刀、左手に握られた月光刀が輝きを増している。
「それが真の日輪刀と月光刀か!」
阿修羅の手に在る剣の目に見える変化に、高揚感を煽られたインドラが叫んだ。刀身そのものの輝きではなく、焔を帯びた日輪刀が赫(あか)く、浮き立つ光を帯びた月光刀が青白く、見た目には同じに見えた両刀が、それぞれが別の輝きを放っている。
「地獄の業火で焼かれるが良いか、絶対零度に砕け散るが良いか……望み通りにしてくれる!」
「お前こそ、我が雷(いかづち)の餌食となるが良い!」
細かな粒子が身体から立ち昇り、互いに電光を放ち始めた。同時に、インドラの大剣からも放電している。
「舎脂(しゃし)は返さぬぞ! あれは、我が正妃に相応しい!」
「たわけたことを!」
二人の剣がぶつかった瞬間、衝撃波が起こり、広間中が激震した。立ち昇る気流の渦が、床だけでなく周囲の壁を剥がし、天井を突き破る。
「その程度か、阿修羅王よ!」
バチバチと音を立てる放電が、剣から剣へ、やがて阿修羅の身をも包んだ。雷撃に晒された衣が所々はじけ、阿修羅の腕がわななき始める。
「フッ……!」
それを見、インドラの口元に愉悦の笑みが浮かんだ。
「我が剣を受け、ここまで耐えたことは褒めてやろう……!」
振り切られたインドラの大剣に押され、阿修羅がよろめいた。インドラが返す刃で薙ぐと、距離を取ろうと飛び退く。
「良くぞ、避けた……!」
着地した瞬間を狙い、インドラの大剣が襲いかかった。水平に振られた大剣を避けた阿修羅が、下方から月光刀を繰り出す。
「だが、遅い!」
横に振られたはずの大剣が、得も言われぬ速さで違う方向から返された。
「…………!」
月光刀を下方から振り切った阿修羅が、地を蹴って飛んだ。纒わり付く雷光を、脱ぎ捨てるようにインドラから離れる。
「ほう……」
インドラの頭部を包んでいた衣が床に落ち、長い髪の毛がこぼれ落ちた。右頬の下、耳側から額に向かって斜めに斬られており、血が滴る。
だが、阿修羅が着地し、しばし静まった空間に、ドサリと、それなりの重量を感じさせる音が響いた。次いで、金属音が。
「大したものだ。一本で済むとは……」
前屈みで片膝をつき、額に玉の汗を浮かべた阿修羅は、呼吸を整えようとしていた。右肩から先はなく、切り飛ばされた腕は、日輪刀を掴んだまま背後に転がっている。
「おれを相手に、ようそこまで闘った……と言いたいところだが、その程度で挑んで来るなど、片腹痛いわ」
言い放ち、蔑むように見下ろすインドラを、阿修羅は赫い眼(まなこ)で睨み上げた。
「……舎脂がお前の妃に相応しいと言うたな。では、何故(なにゆえ)、それ相応の申し出をせん……! 無理やり連れ去った挙句に、ひと言もないまま……舎脂は阿修羅族の者ぞ!」
「……元を辿れば、始めから不遜であったはお前の方ではないか」
阿修羅の片眉が反応する。
「……本当の戯け者であったか……お前を諌めていたは何のためと……何をしても許される身、などと思うておるのか……!?」
堂々巡りの問答に、インドラがつまらなそうな目を向けた。
「おれは、舎脂を唯一無二の正妃とした。最後まで、そのように遇する。それで満足せよ」
阿修羅が、歯を折れんばかりに食いしばる。
「よくもそこまで我が一族を軽んじてくれたものよ!」
広間中に焔が立った。燃え盛る焔と同じ色の眼を向ける阿修羅を一瞥し、インドラは特に何をするでなく、薄い笑みを浮かべる。
「阿修羅王よ。お前の娘はこのおれに、臆することなく剣を向けたぞ。何とも、頼もしいではないか」
焔の中で、二人は微動だにせず睨み合った。
「軽んじてなどおらぬからこそ、そなたの娘は正妃となったのだ。憶えておくがいい」
天を焦がす焔が昇って往く。
やがて、天を二分するかのように、黒い煙が暗雲の如く立ち込めた。