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ニーチェ×苫米地英人 仕事とファイナンス、そして現状の外側のゴール
仕事とファイナンスは異なります。仕事とは、自分の能力を社会や人々のために惜しみなく使い切ることです。社会に機能を提供することです。
一方、ファイナンスとは資金調達のことです。必要な資金を調達することが目的です。ファイナンスにおいて大切なことは、収入と支出のバランスが整っていることです。支出に対して収入が上回っていることが重要なのです。
年収1億円の人が、支払い1億1000万円だったら負債がたまっていくばかりです。逆に年収300万円の人でも支払い270万円だったら資産は形成されていきます。どちらがお金持ちかといえば、当然年収300万円の人のほうになるのです。これがPL=入と出のバランスです。
ファイナンスでもう1つ重要なのは、常に新たな収入源を仕掛けていくことです。1年から2年後ぐらいに売上を上げられる商品やサービスをいつも考え、仕掛けていってください。
もちろん、止められてもやりたいことです。すべてのゴールは他人から止められても達成したいことである必要があります。ただし、ファイナンスにおける収入は職業と違い、社会貢献度よりも費用対効果が高いことが重要です。
生活費ややりたいことを実現するためのお金を調達する行為(ファイナンス)が仕事と呼ばれ、仕事とファイナンスが混同されるケースが多いです。まずは、仕事とファイナンスを分けて考える必要があります。
仕事は、生きがい、使命、召命、天職とも言い換えることができます。「have to」ではなく「want to」であること、そして「人から止められてもやりたい」と思えるものが仕事です。
仕事の目的はお金を稼ぐことではありません。仕事において賃金が入るか、入らないかは二の次です。一方、ファイナンスの目的は資金調達です。
私の苦悩とか、私の同情とか──そんなものが何だというのだ。いったい私は幸福を求めているのか。私が求めているのは、私の仕事だ。
今日、不安な者たちは問う。「どうしたら人間というものを維持できるか」と。だがツァラトゥストラは唯一にして最初の者としてこう問う。「人間はいかにして乗り超えられるか」と。
わたしの心中にあるのは超人だけだ。わたしにとって第一にして唯一のものは超人であって、──人間ではない。隣人でも、貧者でも、苦しむ者でも、善き者でもない──
おお、わが兄弟よ。わたしが人間を愛するのは、人間がひとつの過渡であり、没落であるからだ。
こうして、わたしが今も愛するのは、わたしの子どもたちの国だけである。大洋の果てにある、まだ発見されない国である。わたしはわたしの帆にその国をあくまでさがせと命令する。
わたしがわたしの父祖の子として生まれたことを、わたしはわたしの子どもたちで、取り返そうと思う。未来で──この現在を取り返そうと思う──。
ニーチェの主な収入源(ファイナンス)はバーゼル市からの年金でした。友人からの財政支援もありました。著作はほとんど売れなかったため、著作からの収入は少なかったでしょう。
ニーチェの仕事とは、超人を目指すことであり、超人という「子ども」を生むことでした。ニーチェは未来の子どもたちのために存在しました。超人を生むことがニーチェの存在意義でした。
ニーチェは常に「want to」(「我欲す」という獅子の意志、無邪気な子どもの遊び心)に従って生き、未来の子どもたち(超人)にゴールを設定しました。
苫米地英人もまた「want to」に従って生き、「世界から戦争と差別をなくす」というゴールを設定しています。両者ともに「現状の外側」にゴールを設定しています。
ニーチェ哲学と苫米地式コーチングは非常に似ているため、相互補完することができます。
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