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レスは終わりの始まりだったのかもしれない

結婚してから、夫の身体は私に反応しづらくなっていた。子どもは欲しいと言っていたけど、私を抱く気が起きなかったようで、産む年齢にリミットがある私は、夫の言葉と行動が合っていないことを何度か訴えた。話をしながら、泣いたこともあった。だけど、それで頑張ってくれるのは数ヶ月だけで、ここ数年はもう諦めていた。

実は私自身はどうしても子どもが欲しい訳じゃなかった。夫が欲しいなら産みたいけど、30代になって、やりがいも責任も与えられるようになった仕事が楽しくて、子どもができたら制限なく頑張れなくなるのかもしれないと、どこかで恐れていたし、激務すぎてそもそも考える余裕がない時期も多かった。そんなこんなで、夫はレスのまま何も言わなかったし(私相手に勃たないことと向き合いたくなかったのかもしれないけど)、我が家では不妊治療に行くことはなかった。

それでも夫婦仲は良好だった。親友とか兄弟に近い関係というか、人生の同志としてお互いを理解して信頼できていた。夫婦でもいつまでも身体の関係がある訳ではないし、我が家は少し早くこういう夫婦の形に到達したのかなと思っていた。

でも1年前、「もうこの歳で頑張って産んではあげられないな」「我が家にはもう子どもは絶対無理だな」と思った少し後、私は急に夫と生きる人生に希望が持てなくなっていることに気付いた。ちょうどそろそろ家を買おうかという話が出ていて、何件か見学に行く中で、「これを買ったらもう逃げられないんだ」と思っている自分がいた。「逃げられない」なんてひどいなと思ったけど、それが素直な気持ちだった。

そこからはもう色んな感情が溢れてきた。子どもがいないことは悲しくないけど、ずっとレスだったことは悲しかったんだとか、じゃあそれは何が悪かったのかとか、大事なことに向き合ってこなかったんじゃないかとか。そして、今の私はもう夫とのレスの解消なんて望んでいないことにも気付いてしまった。女性として見られたいと思う気持ちがありながら、その相手として夫はもう考えられなかった。

子どもがいたら『かすがい』になってくれたのかもしれません。子育てで忙しくて、こんなことを考える余裕もなかったかもしれません。もう少し早く今の感情に気付けていれば、夫をまだ男性として見ることができて、レスを解消出来ていたかもしれません。でも、私は今じゃないと気付けなかった。

でも、何が正解なのかわかりません。いろんな感情に気付いたけど、夫婦の関係を終わらせたいのか否か、そこの決心は簡単なものじゃない。だって、夫を男性として見れなくても、今まで通り仲が良くて、大切だと思っている。アラフォーにもなってレスが不満で別れるなんて、浅はかで幼くて勝手だと思う自分もいるのです。

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