まずは、味わってよ
その料理をいただく前に、ソースをぶっかける。
そういう食べ方に違和感を覚えてしまう。
ソースって書いたけど
醤油、ポン酢、マヨネーズ、ケチャップも同じ。
なんせ、まず味わえよ。と、思ってしまう。
薄いかどうかわからないじゃん。
上からぶっかけるソースを食べたいのか?
素材の味をまずは味わえよ、と。
作る人の味を信用してないのかな?とさえ感じてしまう。
ちょっと失礼だよね。
同様に、なんにでもレイキ流しときましょう。ってのも嫌で。
例えば、嫌な感情が出てきたら、まずレイキ。
はいこれ、要らない感情ね。バイバーイみたいな。
いやいや、まずはその感情 味わおうぜ、と思う。
料理も感情も、まずは味わう。
美味しさも感情も、そう長くは続かない。
余韻は残るだろうけど、長くても10分も続かないよ。
何度も何度も思い出すから、ずっと味わってるような氣になるだけ。
そういや、父の主治医から術後の話を聞いた時
「怪しい影が見つかったので、とりあえず抗がん剤流しときました。」
ってサラッと言われたのを思い出した。
あれは衝撃的だったなぁ。
悪性かどうかも確かめもせず・・
「とりあえず、抗がん剤流しときました。」
私は呆気にとられたけど、感謝する人もいるんだろうなぁ。
観察して、様子見てほしかったなぁ。
ま、それはそれとして。
本題からそれました。
嫌な感情は味わいたくないからバイバーイは
そうしたくなるのはよくわかる。私も良くやってたし。
まず、様子見て、味わうってすごく大事だと思った。
もう一人の自分がいてね、味わう様子を見てるの。
「このままだとちょっと味が薄かった。ソースを足そう」
「素材の味が美味しい。これでいこう」
感情も同じ。
「今すごく、この件に腹が立っている」
「どうやら、不安に感じてるみたい」
「すごくワクワクしてる」
心の動きを、感情を、味わう自分を見る。
どう対処するかは、その後でいい。
そうやって俯瞰した自分になるには
まずリラックス。
一服しよう。