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自分にだけ優しくなれない人へ

優しさに憧れた、優しくない自分

〇〇さんって、優しいよね。
業務中に、同僚から言われた言葉である。

私は、この言葉を言われるとなんだかモヤっとするのだ。
必ずしも褒め言葉ではないような気がするから。


小さい頃、母から教えられたのは、「人に優しくすること」だった。
人に優しくすれば、いつか自分に返ってくる。
私は母の言葉を信じて、できるだけ優しくあろうと努めてきた。

大人になった今でも、怒りの感情を向けることは滅多にないし、
できるだけ心地よくコミュニケーションが取れるように心がけている。

おかげで私の友人は皆温厚な人ばかりで、良い友人に恵まれたなあ、なんて思う。

その一方で、いつしか「優しくいなければいけない」という鎖になってしまっているのも事実。

人には、「喜怒哀楽」の感情があるが、私は「怒り」の感情を表現することがとても苦手だ。
怒れない代わりに、怒りは悲しみとなって、涙が溢れてしまう。

どうしてこんなことを書いているのかというと、今が絶賛涙流し中だからだ。でも、悲しいんじゃない。私はきっと、怒っている。

実際、私はすごくすごく、「優しくない」人間なのである。

本音が言えず、怒れず、断れず。私は私に優しくなかった。

「〇〇さんって優しいよね」という同僚は、断るのが上手な人だった。

その人は、自分の業務の範囲内で仕事をするし、周りに上手く仕事を回し、自分のペースで仕事をする。家庭の事情で年休をとり、体調不良のために定時で帰る。自分の主張ははっきりと伝え、不利にならないように行動する。
メリハリをつけ、自分を守りながら働いていると思う。

そんな同僚に、私はなぜか腹が立ってしまうのだ。

汚い本音を言えば、
「こんなに忙しいのに、定時で帰れてずるい」
「仕事の量がそんなに多くないなら、もう少し手伝って欲しい」
「誰かの悪口を言う暇があるなら、仕事のスピードを上げてほしい」

私は、同僚に対してそんな感情を抱いている。
けれど、同僚から仕事を頼まれた時、なぜか笑顔で引き受けてしまうのだ。

だって。
忙しいのは、私が断れないから。
仕事の量が多いのは、私が誰かにお願いできないから。

しょうがない、しょうがない。

もし同僚に本音を言えば、私は嫌われてしまうかもしれない。
自分の行動で、空気を悪くしてしまうのは絶対に嫌だ。


納得いかないことがあっても、自分の「怒り」の感情に蓋をしながら仕事をしてきた。「優しくありたい」という理想は、「優しくいなければいけない」義務になっていた。

いつの間にか、楽しくない仕事を両手いっぱいに抱えている。
聞きたくない愚痴を沢山聞かされる。
しんどいなあ。会社行きなくないなあ。

多分、私は私に優しくできていなかった
同僚に対して腹が立つのと同じくらい、私は私に対して怒りが湧いている。


怒りが苦手でも、怒りを認めてあげよう

私は、怒っている人を見るとまるで自分が怒られたように感じる。
だから、怒りをできるだけ表に出したくないと思っている。

でも、「怒り」の感情を抑え込まなくても良いはずなのだ。

例えば、誰もいない部屋で地団駄を踏むもよし。
日記にありったけの愚痴を書くもよし。
心許せる友人に話を聞いてもらうもよし。

「人に優しく」あるのと同じくらい、「自分に優しく」を心がけていきたい。