手帳を開くという自己共感タイム

「共感手帳術講座——エンパシーノートで自分の能力を最大化する」の第2期がスタートした。
すでに書いたこともあるが、私自身、40年以上の手帳歴を持ち、さまざまな手帳術を試したり、自分でも手帳術の本(情報整理術)を書いたこともある。
しかし、最近は紙の手帳は使っていなかった。
重いのがその最大の理由だ。

出かけるときのカバンのなかには、MacBookとiPadがはいっている。
それに手帳が加わるのはちょっと……
というのも、私が近年愛用していたのは、システム手帳の一種であるフランクリンプランナーという、かなりごっつい手帳だからだ。
たぶん1キロくらいある。

いま計ってみたら、860グラムだった。
手帳に必要なメモ、スケジュール管理、DOTO管理、その他、たいていはiPadやiPhoneでもコト足りるし、ラップトップがあれば万能だ。
わざわざ手帳を持ち運ぶ必要はない。
そう思っていたのだが……

共感手帳術講座をはじめて、みなさんといっしょに手帳術を進めていくと、紙の手帳にもどりたくなってきた。
参加するみなさんも紙の手帳を使っている人が多いし、なかには何冊もとっかえひっかえ楽しんでいる人もいる。
使っていない人もいるが、なんだか寂しい感じだ。
私も含めて。

紙の書籍は電子書籍に取って代わられるだろうと思っているし、私自身もそれでなにも不都合は感じないドライな人間だ。
手帳もいずれデジタルに取って代わられるだろうと予想していた。
ところが、なかなかそうはならないようだ。
とくに女性たちはそのモノ自体をかわいがり、育てることを楽しむようなところがある。
その感覚は私にもわからないではない。

それを思いだして、また紙の手帳に戻りたくなった。
そして今年の7月始まりのリフィル一式を購入してしまった。
押入れの奥にしまってあった古びた革製のバインダー式手帳をまた引っ張りだしてきた。

ふたたび紙の手帳を使ってみるとわかるのだが、手帳を開くというのは自分自身の内側を見ることといってもいい。
今日はなにがあったっけ、なにが必要なんだろう、どんなことをやりたいんだろう、将来こんなことをやりたい、そのためにはどうすればいい、あの人にはどう伝えればいいだろう……
さまざまなことを開いたページを前にあれこれとかんがえる。
ときには思いついたことを書きこんだりする。
書きこんだ自分の文字そのものが、自分の大事なことを示してくれているような気もする。

デジタルだってできるとは思うが、紙の手帳の場合、それを開くことはそのまま自己共感のスペースをそこに確保することになるようで、わかりやすい。
せっかく紙の手帳をいったん手放したが、もう一度もどってみようと思う。
デジタルがベースにある上で紙の手帳を使ってみることで、どんなことが見えてくるのか、ちょっと試してみたい。

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