エッセイ / 久々に性格診断やったんだけどさ
先日、久しぶりに性格診断をやった。仲の良い友人がSNSに上げていたので、なんとなく私もやってみようと思ったのだ。
結果は以下のような感じだった。
驚いたのは、「職業別の才能」という項目で、「芸術家」のポイントがかなり低かったこと、反対に「家庭人」のポイントがかなり高かったことだ。
私は数年前、エニアグラムという、人の性格を8つに分ける性格診断に凝っていたことがある。その時の私は、圧倒的に「タイプ4(芸術家タイプ)」のポイントが高かった。でも今ではどうやら、芸術家ではなく、家庭人の気質が強いらしい。
今までの私であれば、この結果を踏まえて「前までは圧倒的に芸術家タイプだったのに!芸術家的な私と、家庭人的な私、どっちが本当の私なんだろう?」などと、思い悩んでいたことだろうと思う。
でも、今は違っていて。それは、「芸術家タイプ」「家庭人タイプ」といった自分の性格の傾向を、今ある条件において発動している、一時的なものと捉えるようになったからだ。「今はこの人といる時間が長いから、自分のなかのこういう気質が多く出てきているんだな」、「あの時は、ああいう状況に置かれていたから、あの気質が多く発現していたんだな」といった具合に。
もちろん、性格診断をやって「当たってる、当たってる!」と興奮しながら楽しむ気持ちは引き続き持ち合わせているが、その結果を確固たるもの、不変のものとして見るようなことは、私はもうしなくなったんだなぁと、今回の診断結果を受けて気がついた。私にとって性格診断は、あくまで「今の自分の状態」を確認するバロメーターのようなものになったんだと思う。
だからこそ、大事なのは「自分は果たしてどんなタイプなのか?」を突き詰めて考えることよりも、「どんなタイプでいるときが、自分にとっては心地がいいんだろう?」「その自分は、どんな状況で、どんな人といるときに、発現しやすいんだろう?」を、考えることなのかもしれない。
「自分」には確固たる実体がなくて、可変なものなのだとしたら。そして、どんな性格が最も望ましいかなんて正解は、この世に存在しないとしたら。自分にとっての心地よさを大切にして、心地よい自分でいられる時間がなるべく多くなるように、自由に歩みを進めていけばいいのかもしれない。
FYI:「自分」は確固たるものではなく、関係性や文脈によっていかようにでも変わるものなんだ、という気づきそのものについて書いたnoteはこちらです。