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やる気はどこから?

やらされること

やらなきゃいけないこと

やりたいこと


働く、生きるっていうことはそういったことに日々取り組んでいくことだと思う。



そして思う


どうせならやりたいことだけやって生きていたいと




まあ、生きるためっていうことでいえば、飯も作んないといけないし、風呂も洗わなきゃいけないしやらなきゃいけないことってのはあるんだけれども


そんな中で最大限できることは

目的意識をもって取り組むということだと思う



なんかの話で3人のレンガ職人の話を聞いたことがある。イソップ童話?だったかな


3人は同じ教会の壁のレンガを積む仕事をしているんだけれど、仕事に対する前向きさが全然違う


それはなぜかっていうとそれこそ目的意識が違うんだよね


一人は、ただ親方にやらされている

一人は、給料をもらい、家族を養うため

一人は、将来多くの人が訪れるであろう教会の壁作りをしている


ちなみに、僕はやらされるのがかなり苦手。まあ、やれって言われればやるんだけれど、
「これってなんのためにやるんですか?」って聞いちゃうタイプ

「いいから言われたと通りにやれ」なんて言われたらもう大変。超絶ブーたれるし、噛み付く。

でも、逆に、
「これは、大聖堂の壁になるんだyo」
なんて言われたら、テンション爆上がりだろうし、

「じゃあ、ただ積むだけじゃなくて、ここは窓になるようにして、ここは飾りをつけて、、」

なんて、めっちゃ目的に合わせて発想しながら作ることができると思う。わりと主体的にね。

でも、上司に求められる主体性ってのはそうじゃない気がする。

どちらかというと、「レンガを積んで」って言われた時に、「どういう順番で積むのが早いかな」って考えられるやつが重宝される

まあ、いわゆる効率的に仕事こなせるやつ。僕はできないから羨ましいっす、、まあ、これも主体的っちゃ主体的なんじゃないかなって思う。


でも、これから先、世の中を生きていくために必要なのっていうのは、前者の主体性なんじゃなかろうかって思う

なぜかっていうと、言われたことだけ効率にやっていればいいってことはもうなくなっていくと思うから

AIがどれだけ仕事に関与してくるかは分からないけれど、マニュアルがあるようなものは
代替されやすいだろう。

でも、学校現場を見ていると、後者の主体性の方が重宝されているのではないかと思う。

それは大人も子どももだ


これはなぜだろうって考えると、教師をやっている人って大体いわゆる聞き分けのいい
「いい子」
だった人が多いからじゃないかなって思う。大人のいう正解を聞き入れて、それを忠実にやっていくみたいな感じ。

確かに、以前の社会ならそれでよかったかもしれないけれど、、

今は、そういう子を育てて社会に送り出しても、きちんと生きていけるかっていうと微妙だけどね。

なんか前に「女王の教室」の切り抜き動画で見たことあるけれど、学習の意味を問うていた天海祐希のセリフがすげー時代の先を行ってたなって鳥肌たったことあったな。知らんけど。

まあ、何が大事かっていうと、自分が為すことの先にどんな目的があるのかっていうのをきちんとイメージしなきゃねってこと


わけ分からない時って「How to」に走りがち、「結局正解ってなんなの?」ってなりがちだけれど、

目先ではなく、その「本質」を掴みにいくことが、案外近道だったりするのかもね。


今日はこれでおしまい。

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