陽明学から学ぶ「自分らしい生き方」
現代人というのは、価値観から道徳観念に至るまで、社会の生み出した、既存の概念に縛られている。
例えば何人かの現代人に善悪の判断をさせたら、おそらく誰に聞いてもかなり近いラインで一致するのではなかろうか。そしてそれがあるべき姿だと思っていやしまいか。
善とは、悪とは、そして自分とは。こういったことを皆が常に考え、議論するような社会だったら、却ってこの境界は曖昧になる。
そしてその考え、判断が多様化した社会こそが健全な社会である。
あなたの周り、或いはあなた自身は、人や社会通年に価値観を無理に合わせてやいまいか。
そんな呪縛からひとを解き放つ、素晴らしい教えが東洋思想にはある。
それは陸象山の唱えた、「心即理」の教えである。
上にいった社会通年を絶対の基準とするのが朱子学的ならば、こちらは陽明学である。
「心即理」は、既存の教えや道徳より、自己の心に絶対の基準をおく思想である。
この「心即理」なくして、明治維新はなり得なかった。
なぜならば、皆が朱子学的に既存の道徳や法を重んじていたら、社会の変革は不可能だからである。
そしてこれは「自分らしい生き方」の一歩でもある。
社会通年に縛られていては、大事なところで「自分」は出せない。
心の判断を行動にうつすことは、自分の本質を具現化することに他ならないのだ。