お母ちゃんがボケ始めた。ボケが始まったころから、施設に入れずに一緒に住むと決めていた。施設に入れたらもっとボケるからだ。でも、私はお母ちゃんが嫌いだった、いいや、大嫌いだった。でも面倒見ないといけないと思ってた。それは、お母ちゃんは私の分身だから。自分を切り離すことができない。自分と向き合うことだと知っていたから。大嫌いなお母ちゃんがボケた時から、私は大嫌いな私を取り戻す日々を過ごしだした。
アトピー専門鍼灸院でアトピー患者さんと向き合う中、人が治癒するとはどういうことなのだろう
老化しつつある身体が、治癒するとはどういうことだろう
典型的な昭和頑固おやじ。口が悪く、子供を子供と思わない毒舌。家に帰ったらいつも苦虫つぶしているし、温かい家庭・ほのぼのとした食卓なんて一回も経験したことなかった。そんな頑固おやじが、メンタルやられた。久々に会いに行ったら、小さくなって、別人みたいになってた。毒舌もない。苦虫もない。私はこんなお父ちゃんではなくてあんなに大嫌いだったのに・・・大嫌いの方がいいって思ってしまった。かわりゆくものは仕方がないけど、そんなわがままなおやじと私の話
私の中のもう一人の私である娘の「リョウコ」なぜか好きではなかったむすめのリョウコの経験した「精神分裂病」。それは私にとって懺悔であり癒しで。それは私が書かなければいけないものである。なぜかというとそれは私の手放しの奇跡でもあったからだ。執着をなくして手放すことをリョウコは私に気づかせてくれたから