自分を縛る不自由を脱ぎ捨てる方法
それは、自分の物の見方を変えてゆくということ。
心の底から感じる豊かさとは。
自分本来の夢や願いはなんでしょう。
もし仮に、本来あるべき本当の自分に戻れたとしましょう。
とても心地よく、常に優しさで溢れているかもしれない。
ですが、
目の前の世界は何も変わらずそのままそこになります。
そう何も世界は変わらないのです。
変わるのは、
自分の世界に対する見方だけ。
普段世界をどう見ているのでしょうか?
これは正しい、これは正しくない
これは善い、これは悪い
これは好き、これは嫌い
これは心地よい、これは不快だ
これは美しい、これは醜い
いつしかたくさん持ってしまっていた物の見方が、
思考のクセになり心のクセになる。
そのうち、そのクセにより生じる感情こそが
自分自身だと錯覚し始める。
でも本当は、
正しいことなんてなにひとつないのです。
正解も不正解もないし、成功も失敗もない。
私が、何かを正しいと判断するから、何かに正しくないが生じる。
私が、何かを美しいと判断するから、何かに醜さが生じる。
私が、誰かを優れていると思うから、誰かが劣ってしまう。
全ては自分が、はたまた誰かがが作り出した価値観に過ぎない。
そしてだれかの正しさは常に他の誰かの正しさとぶつかる。
でも生活するため、社会に適合するため、家族や仲間と価値観を合わせるため、
欠かせない考え方だからこそ取り入れたものがたくさんあるはず。
でももうそろそろ色々なしがらみを脱ぎ捨てても良いのかもしれません。
自分にとっての本当の豊かさについて考えてみる。
この豊かさにも、正解はもちろんないのです。
社会のしがらみから抜け出して旅をしながら生きることに豊かさを感じる人
完全に自然と共に過ごすことに豊かさを感じる人
仲間と共に新たな価値観のもと、もの・ことを世に出すことに豊かさを感じる人
金銭的な裕福さの中で生活することに豊かさを感じる人
自然と社会のバランスの中に豊かさを感じる人
どの形の豊かさであれ、本来の自分が求めるものに気づくためには、
古い習慣や思い込みをまず捨て去る必要がある。
必要のない物の見方を捨て、フラットに世界を見る必要がある。
なぜこれまでその価値観や習慣を自分が必要としていたのかを考えてみる。
そこには必ず、自分を少し窮屈にさせていた物の見方が隠れているはず。
ほんとうの自分はどうしたいの?
ほんとうの自分はどう考えているの?
うまく生きようとする自分によって、周りの環境や人によって、
作り上げて固定していた色々な枠組みが少しづつ
広がり、ゆくゆくは消えてゆく。
大切なことは、今すぐにいらない価値観を無理に捨て去り始めることではなく、
まずは自分の思考のクセや心のクセを知ることから。
どんなと私は苦しさを感じるの?
どんなとき幸せを感じるの?
どんなとき愛情を感じるの?
どんなとき人に大切にされていないと感じるの?
どんなとき自分を大きくみせようとする?
どんなとき自分自身に嘘をつくの?
どんなとき言葉を飲み込むの?
どんなとき喉の力が抜けて笑顔が溢れるの?
自分の思考と心のクセをきちんと知って、どうしたらいつでも自分が自由で心地よくいられるかを考えて、
毎日迫られる選択の数々を丁寧に選び取ってゆくこと。
人は自己が整ったとき、何にも代えがたい拠り所を得ることが出来ます。
心や思考は、見つめる対象にしか過ぎません。
その奥にいる本来の私はいつだって揺るぎないもの。
いつだってそこにいる、平穏で幸せに満ちている本来の自分に戻れます。
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