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【家族でオーストラリア移住Vol.01】

オーストラリアへ移住話が現実的に浮上したのは、2024年4月頃のこと。移住は9月。「いいじゃないの」

そしてそれと同時に夫からもたらされたもう一つの提案
2024年6月から3ヶ月間ペルーへの出張に家族で行かない?
「よし、いいじゃないの」即答した。

ペルーで唯一の心残り
アヤワスカを受けられなかったこと。
必ずやまた行くと決めペルーとお別れ。

ペルーから帰国し1ヶ月半後に迫るオーストラリア移住の準備に取り掛かる。
不用品の処分をしまくり、まだ使えるものは全てメルカリ・ジモティーに出品。
そして最終、計20箱とEMS4箱を自分たちで荷物梱包し内容の書類作成をし日本郵政にて発送完了。(業者さんに頼もうとしたら130万といわれたので自分たちでやってみた。そしたらやれちゃった。)

そんなこんなで9月末に2024年オーストラリアに到着。
ちなみち船便で出した荷物は3ヶ月とふんでいたら1,5ヶ月で到着してくれた。

なぜオーストラリアに来たのか


子育ては海外で、と娘が生まれた当初から話合っていてタイミングをずっと見ていたところ、夫のオーストラリアでのPhD取得が決まり。夫はどうやらAIの研究をするらしい。
Visaとしては2024〜2029年まで。そのあと2年のVisaの猶予がある。なので7年くらいはオーストラリアに居ることになる様子。
わたしはもとよりフリーランスでいつでもどこへでもの状態であったことが相まり、わりとするりと家族で移動して来ました。

到着2週間後にフルタイムのお仕事をゲット

わたしは笑っちゃうくらい出国前に受けたIELTSの点数が低かった。ワーホリであれば余裕で申し込めないくらい。

それでもオーストラリアはやっぱり日本に比べていろいろ高い、
何より3歳の娘を保育園に入れようと思うと月24万円くらいかかる。それもあり仕事をゲットするまでのデッドラインは2024年中と決めていた。だからやるしかないし、やってみたい。

でも語学力もないし当初は、英語を喋る必要が最低限で済みそうな
レストランのキッチンや、お掃除係などを考えていた。
それを夫に話すと「だめだ、君は人前に出るべき人だよ」
その一押しで、言語能力で弾かれて当然のアパレルのフルタイムに
かなりのダメ元でオーストラリアに到着した翌週には申し込んでいた。

そしてありがたいことに、ペルーから始まった変化に次ぐ変化に
わたしのホメオスタシスはきっと今ちょっと狂っていて、
何が日常かきっと判断が追いついていないように思う。
ならばどんな無謀も案外やってみれるのでは、、、

そして「面接にぜひお越しください」そういわれたその日から、
ChatGPTに付き合ってもらい面接に備えまくり、
無事お仕事頂きました。
それに合わせて急いで娘のKindyも探し無事入園。

結果到着2週間で職をゲットできたのはきっと
こうした要因があいまったのではと考えています。
・めっちゃかっこいいレジュメ(夫監修)
・VISAの種類(5年間いられる、なおかつ働ける時間制限がないVISA)
・そのアパレル会社の職歴が日本であったこと
・ちょうど人の入れ替え時だったこと(学生の子たちの卒業のタイミング)

これに尽きるように思う。

本当にわたしはついている、と人生の要所要所で本氣で思う。
いずれにしてもありがたくもこれでオーストラリア生活の基盤も整いました。

休日はひたすらに太陽を浴びて娘を公園か水辺に放つ日々。
茅ヶ崎でもペルーでもオーストラリアでも休日の過ごし方に
一切変化がないことに、わたしたち家族にとっての幸せってとっても単純だなと思う。

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