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懐い

こんな原風景を持ってることは幸せ。
先週、子供の頃に通った長野のロッジに行った。
全国から子供が集まり、夏は1週間、冬・春は5日間ほどキャンプや山登り、スキーなどして過ごす分教場に参加していた。
私は小1から中2まで年3回通い、一緒に参加していた友達と「ギャートルズ」と名付けられ、思いっきり遊びまくった。
学校が楽しくなかった私には、東京の自分とは違う自分になれる、自分を解放できる唯一の場所だった。
当時の仲間数人と30年ぶりの再訪だったけど、ロッジを経営する「園長」は「久しぶりに会えて嬉しいな〜」と不義理な私をニコニコして迎えてくれた。
私たちが行くと聞いて、長野に住む友達も何人か
来て、一緒に泊まった。

初日はロッヂに行く前に長野駅から車で戸隠五社巡り。
巡り終わった頃、長野の友達に「今、どこにいるの?」とLINEをすると三社目の神社側のカフェにあると言う。
「そっちに行くよ!」
「来なくていいよ」
「なんで、行くよ!」
「いや、心の準備がまだ」
「もう向かってるから」
「静かな店だから、ここ」
「大丈夫、大人になったからw」
と噛み合わないやり取りをして、カフェに着き、1人でコーヒーとケーキを食べてる友達に向かって「お待たせ〜」「待ってないよ!」
彼女と会うのが15年ぶりとは思えない、遠慮のない会話は楽しい予感しかない!
そこからロッジに向かい、着いてからロッジの周りを散歩して、鳥の声以外は音のない世界に感動し、子供の頃朝の散歩で行った一の鳥居を見つけ…自分の記憶の答え合わせ。
夜も食べて、飲んで、しゃべって、笑って…話が尽きない。
ここで出会った仲間とは歳も違うし、住んでる場所も違うし、仕事も違う。
あの場所でなければ出会えなかった。
大人になった今でも、久しぶりに会うと会わなかった時間を飛び越えて、あの頃と同じ感覚で話せることに驚く。
それには感動すら覚える。

いい子供時代を過ごしたと思う。
ここがあったからあの東京で道を外さず生きられた。
甘えることが苦手で捻くれた私が、自分らしくいられる場所があったから壊れずにいられた。
過ぎてみると分かる、自分が自分で生きられた理由。
支えてくれた記憶、経験。

2日目は善光寺へ行き、お戒壇巡りをして、参道で買い食いする。
そんな時間が楽し過ぎて、別れが名残惜しい。。
また来週会える気がする。
また来週会いたいと思う。
こんな仲間と出会えて良かった。
もっと大切にしよう、ちゃんと連絡しよう、また来年来よう、と思った。


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