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数は目安であり目標。それはうつせみにかわるもの。

 日々の時刻から、時刻表と。目につくものほとんどに‘数字’が使われています。それは、指針となりうつせみに変わるもの。


「数字は指針であり、目標にもなるけど…固執するのは、ほどほどに…」

 そんな話。


数字で一喜一憂する世の中。

 最近は株価などで、一喜一憂する人も増えてきています。実質経済とかけ離れていたりと、いろいろな出来事が重なっています。ニュースでは盛んにそのことが取り上げられていたり、感染者の情報が飛び交っています。
 そのほかにも、選挙などに突入したり、定期的な世論調査では支持率などが、ニュースで流れることになります。それが指針となり、政府の行動のきっかけにもなったりします。その‘数字’は、ひとの生活に密着し、ひとはこれに影響を受けています。

 かといって‘数字’に変わるものはありませんし、変えが効きません。まぁ、こうして執筆をしている間もモニターの脇には時計が表示されています。漢数字もありますが、数字ほど便利なものもありません。
 そんな数字は、事柄に応じて変化をして、数値を表示してくれます。それは、ひとの行動する指針になったり、パソコンの計算形式の二進数の算出にも使われています。物々交換から生まれた数字は、何時しか密接にかかわっていきました。


学生時代から、普通に…当たりまえにそこにあった。

 小学生から数字に触れることになる私たちは、数字を使って計算し、答えを導き出します。数を数えるときも、距離を測るのも。世界基準として‘数字’が使われ、表記されています。
 もともと、物々交換から変化した数字を使っての取引は、いつしか‘数字だけ’が利用されるようになりました。それは、単純な取引の枠を飛び越え、いつしか何を表示するにでも使われるようになっていくのに、時間はかかりませんでした。

 そんな数字が当たりまえのように寄り添う世の中で、その上下に一喜一憂したり、仕事で稼げば、通帳の預金残高が増えることにもなります。貯蓄残高を表示するための単純な‘数字’ですが、それが増えることで、多くのサービスや品物を買うことができます。
 その購入代金はその店の従業員の給料や売り上げにつながることになります。その収益も‘数字’で表記されて伝わることになります。生活に密接している‘数字’は便利なツールでシステムでもあります。

 ただ、これは、私個人的な意見ですが…数字の上下に一喜一憂してしまうのは、考え物と思ってしまいます。うつせみに変わってしまう数字を、あてにしていろいろ考えてしまうのも考え物です。
 まぁ。為替取引をしている人に、これを言っても仕方ないでしょうけど……ほどほどにと言った思いがあります。


数字が手段でシステム。一喜一憂するのもほどほどに。

 数字を使い人同士の取引のやり取りに用いてきた数字。これほど便利なものを手に入れたことで、潤滑剤になった一方で数字の変化で一喜一憂する人も増えました。執着しすぎないように、程よく。一興とばかりに、とどめて置いた方がいいかもしれませんね。

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