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吉祥寺

-OLエリナの場合 4-


「メール見てくれた?」
ぽこんという間抜けな音を立てたスマホのライン画面を開くと、坂本さんからメッセージが入っていた。
どのみちラインを送ってくるのなら、初めからラインにすればいいのに。

ラインの方が怪しまれる、という謎の理由で連絡ツールをメールにしたがる坂本さんのために、仕事以外ではほぼ楽天やAmazonの通知でしか利用していないeメールをしばしば使うことになった。
メールは仕事上の連絡ツールでもあるから、ラインよりプライベート性が低いぶん、安全性は高いのだろう。便宜上ラインのIDも交換してはいるが、私の登録名が何と表示されているのかは知れたもんじゃない。

危うい関係を築いている男女にとって、相手のスマホ内の自分の登録名は、踏み込まない方がいいタブーゾーンだ。
大体が性別を真逆にされるか、どこかのお店の名前が付けられるか、「部長」や「課長」などのとって付けたような肩書きをプラスされその存在を架空のものにされるかと相場は決まっている。浮気相手と共に、お互いに自分のラインの登録名を当て合う大喜利でもしたら、そこそこ盛り上がるのではないだろうか。

くだらないことを思いながら、メールのアイコンをタップする。本文を開く前から、Re:の並びにクリップマークがついていてデータが添付されていることがわかる。指先を連打し素早くメールを開くと、ゆっくりと何かの画像があらわになっていく。
添付されていたのは、おにぎりの画像だった。

メール文には、「作ってみた」というYouTubeのサムネ風コメントが添えられ、文末にピースマークが一つ付けられている。
そしてその次の行には、「今度井上さんにも作るね」とあり、文末には花束のマークが添えられていた。

馬鹿じゃないだろうか。

以前飲みに行った際、好きな食べ物は何という素朴な話題になり、私は「結局いちばん美味しいのは飲んだ後のおにぎりなんですよねぇ、私の場合」と告白をした。それを聞いた坂本さんは、「なにそれ、かわいいね。おにぎりが好きなんて超可愛い」と、よくわからないが何かのツボにハマったのか、やたら嬉しそうにリアクションしていたのは覚えている。

確かに私はおにぎりが好きだ。

規則正しくムラのない美味しさのコンビニのおにぎりも好きだし、ランチによく行く専門店のふわっと、ほぐれるように握られた高級なおにぎりも好き。もちろん、かつぶしと粉末だし、ごまや刻み昆布を混ぜた残り御飯を自分で握った素朴なおにぎりも大好きだ。

でも、普段ロクに料理もしないであろう既婚男性が握った歪な形のおにぎりを食べたいとは思わない。だったら、あなたが普段食事を作ってもらっているであろう料理上手なあなたの妻が握ってくれるおにぎりの方がよほど美味しいと思うから食べてみたい。塩加減だって熟知しているだろう。米に合う具材選びも絶妙だろう。そんな料理上手(推定)の妻が家にいながら、在宅中のランチは自分で作って自分で食べてます、というアピールを画像付きでしてくるこの男の精神状態を思うと哀れみのあまり寒気がした。

ほぼ全部署でリモートワークが開始されてから2週間。午前中にある1日1度のオンラインミーティング、メールでの業務連絡や顧客対応など、普段オフィスで行っている業務がそのまま自宅に移っただけで、さほど不自由はなかった。
何より、通勤にかける時間をそのまま家事や睡眠に使えるので、精神的にも肉体的にも豊かさは増したと言える。
ズームでミーティングをする。メールを打つ。掃除機をかける。メールをチェックする。ランチを作る。ランチを食べる。顧客からの問い合わせをチェックし、メールを返す。たまにうちの部の部長やリーダーから電話が来る。諸々の報告をする。メールをチェックする。
その間もずっと、私の体から半径1メートル以内には、まとわりつくように甘えてくる男がいる。

ジュンペイ、歳は22歳。この春2度目の4年生を迎える大学生。黒髪癖毛、苗字は忘れた。

電話中には背後から私を抱きしめながら首筋に息を吹きかけ、メールを打っていれば背後から私の胸をムニムニと揉み続ける。ランチを作っていれば背後から部屋着の裾に手を入れてくるし、そうなるとランチを食べるよりも先に彼のペニスを咥えたくなる。冷めそう、冷めるかも、ああ、冷めちゃう。そう思いながら、出来上がったランチを尻目にキッチンのカウンターで立ったまま挿入され、お互いしっかりイってからランチタイムが始まる。在宅勤務が始まる前はきっと運動不足になると心配していたが、セックスの量が増えたのでトントンかもしれない。


「エリちゃん」
私が坂本さんへのラインにどう返そうか思案していると、ジュンペイから声をかけられた。
「誰とラインしてるん」
ラインだとわかる程度には画面を覗いたんだな。そう思いながらも、彼を咎めることはせずゆっくりと振り返る。

坂本さんとのラインやメールのやりとりは近ごろ、その通知を開くたびチッと舌打ちしたいような案件となっている。私にとっての彼は、刺激的なセックスのみを提供し合う、たまに食べるジャンクなお菓子のような、そしてそのお菓子をこれ美味しいよ、と交換こして楽しむための相手だ。実際に提供し合うのは、互いの体とサービス心。どちらかが搾取され、搾取するでもない、対等な関係を私は求めている。
ところがいざ在宅勤務が始まり以前のように顔を合わせなくなると、彼からの連絡は恋人気取りだったり、ほのぼのとした日常の分かち合いを求められるような内容が多くなり、なんとも居心地が悪い。実在の私を相手にしているのではなく、架空の理想の女性を作りあげ、その彼女相手に恋人ごっこでもしているかのような薄ら寒さを感じることがある。挙げ句の果てにはおにぎりだ。どうして私が、妻や家族に満たしてもらえない心のケアまでしなければならないのだろう。体の繋がりだけでなく、心の繋がりまで求められるなんて割りに合わない。私は妻でも恋人でも家族でもない。あなたの扶養にも入っていない。

「会社の人。メールの調子がおかしいからラインしてきたみたい」
そっか、と呟くとジュンペイは私のベッドにごろんと横になり、肘をついた手の上に自らの頭を乗せ、私の横顔を眺め続ける。
「今日夜ご飯俺が作ろうか。チャーハンしか出来ないけど」
彼が夜バイトに行く前に一緒に夜ご飯を食べることが多いため、そんな提案をしてくる。
「いいね、ベーコンあるからできるかも。あとレタス」
レタスチャーハンてなんか店みたい、とよくわからない理由でテンションが上がった彼は、張り切った様子で片手を宙に上げ、エアーでフライパンを高く揺するような仕草を繰り返した。


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