【シジョウノセカイ】《日常》⑩終
【10、幸せの1ページ】
ピークは過ぎたものの、まだ帰路に着く人集りは多い。いつもならこんなにたくさんの人がいたらルファラは怖気付いていただろう。しかし今日はいつもと少しだけ違う。何かあっても心配してくれる人がいる、怒ってくれる人がいる。それがとても心強いことだと再認識したからだ。きっとまた不安になる時が来るだろう。傷付き動けなくなってしまう時が来るだろう。それでも今だけはどんなことがあっても耐えられる、そんな気がしてならなかった。
ルファラの左手にはアイラの右手が強く握られ、アイラは繋いだ手を振りながら上機嫌に鼻歌を歌っている。
「ねぇ!」
突然アイラがルファラに顔を向ける。
「また来ようね、お祭り!」
「……!」
ルファラは思い悩んだ。また同じことが起きたら?次こそアイラに何かあったら?今回はスカイとユダチが来てくれたが、次は近くにいないかもしれない。頭の中でぐるぐると不安や恐怖が渦巻く。
「いいんじゃねーの?また来ようぜ!」
ユダチの一言にびっくりしてルファラは振り返る。
「なっ?」
「…うん。そうだね。」
いつものようにニカっと笑うユダチに、ルファラは穏やかに笑って返した。
「そしたらまた新しく浴衣を買わないとね。」
ヨンシーがわざとらしく大きな声で言った。
「えっ?別にいいじゃん、この浴衣洗えるんだし…」
確かにルファラの浴衣はビールに塗れ、膝にも泥がついている。だが今時浴衣は洗濯が可能なものがほとんどだ。ルファラは特に気にも留めず言った。しかしその言葉にギロリとヨンシーが睨む。
「そんなケチの付いた浴衣なんていらないよ。」
「!」
ルファラは思わず目を丸くする。まさかヨンシーの口からそんな言葉が出てくるとは思わなかったからだ。
「そうだよ!今度はもっともーっとかわいいの買うんだから!!」
アイラも繋いだ手をブンブン振りながら声を上げる。そのままくるりと後ろを向き、ユダチを見る。
「ね!いいでしょ!?」
「ま、好きにすりゃいいんじゃねーの?」
ユダチは苦笑いをした。
「やったぁー!!」
アイラは繋いだ手と共に両手を高く上げる。そしてうきうきと次に買う浴衣の柄は何にしようかと一人でぶつぶつと呟いている。
「おい、ちょっと待て。まさかお前の分まで買う気じゃないよな?」
アイラはきょとんと目を丸くしスカイを見た。
「え?なんで?買うよ?」
「なんでだよ!今回はルファラが酷い目にあったから新しく買うって言ってるんだろ?なんでお前の分まで買わなきゃいけないんだよ!」
「えぇーー!?だってぇーー!!」
「だってじゃないだろ、何言ってんだ!」
アイラはルファラから手を離しスカイに向き直り、胸の前で拳を作りぶんぶんと振りながら抗議をする。
「だってだって!!今回のだってルファラと一緒に選んだんだよ!?2人でこれがいいねって決めて、色とかデザインとかできる限りお揃いにして、巾着の形も合わせたりしたんだよ!?なのに、次の浴衣がルファラだけ新しかったらお揃いじゃなくなっちゃうじゃない!!」
「知らねぇよそんなの!どうだっていいだろ!」
「どうだってよくない!!!」
アイラは一際大きな声を出すと、今度はユダチに向き直りさらに抗議する。
「ねぇ、買ってよぉー。ねぇユダチ、いいでしょー?」
スカイは甘やかすなとばかりにギロリとユダチを睨む。ユダチはバリバリと頭を掻きながらはぁとため息を吐いた。
「前向け。転ぶぞ。」
ただそれだけを言うともう何も言わなかった。それを見てアイラはぶすぅっと頬を膨らまし、前を向く。
「大体、スカイは別の家の人じゃない。なんで家のことに口出すの!?」
「はぁ!?ふざけんなよ!!それはお前らの金銭感覚がおかしいからに決まってんだろうが!!言われたくなきゃまともな感覚培ってから言え!!」
「ぶぅーーっ!!」
「他人事じゃねーぞ、あんたらのことを言ってるんだからな!!」
ユダチはバツが悪そうな顔をしてスカイの顔を見つめた。
「はーい、ごめんなさーい。」
ヨンシーは何の反省もしていないだろう感情のない声で言った。
「はぁー…」
スカイは大きくため息をついた。それを見てルファラがふふっと笑う。
「いいじゃない、アイラ。別にお揃いじゃなくてもさ。」
「…でも。」
「また一緒に選ぼうよ。あたし、アイラが選んでくれて嬉しかったよ?だから次も選んで欲しいな。そしたら、またお祭りに来よう!」
「……」
まだ納得がいかないという顔をしながらも、アイラは渋々と頷いた。それを見てまたルファラが微笑む。
「約束ね!」
「…うん!」
少しだけアイラの顔に笑顔が戻り、2人は顔を見合わせた。年は一回りも離れているが、彼女たちは歴とした友人だ。互いを想い合い助け合い、そして愛し合っている。そんな2人の様子を3人はただ見つめていたのだが。
「そもそも、お前が勝手に離れて行かなきゃこうはならなかったんだけどな。」
スカイの鋭い指摘が辺りの空気を凍らせる。ユダチはうわぁっと見たくないものから目を逸らすように顔を横に向けた。ルファラはあちゃーと額に手を当て天を仰いだ。
「だってそんなの!!スカイたちがついてこなかったから悪いんでしょ!?」
「…はぁ?」
アイラが立ち止まりスカイに言いがかりをつけると、スカイは地に響くような低い声を出した。
「おいおい、やめなさいって。」
ユダチが止めに入るが2人は止まらない。
「はぐれるなって言ったのスカイじゃない!!じゃあちゃんとついてきてよ!!もう!おバカさんなんだから!!」
「チッ、てめぇ…言ってる意味わかってるだろうなぁ…!!」
アイラとスカイがバチバチと睨み合う。
「コラ、やめろって言ってるだろ?」
ユダチが呆れた声で注意をしたが、あまり真剣に止めようとしていなかった。
これはスカイが本気で怒ってアイラを泣かすパターンの入り口だ。ユダチはいい加減アイラにお灸を据えた方がいいな、と放置することにした。
2回は止めた。あとはなるようになれ、それがユダチの考えだった。そこへ。
「あーはいはいはい!!あたしが悪ぅございました!!」
「「!!?」」
ルファラが大きく両手を挙げ2人を制止した。
「えっ?えっ?!なんで!!?なんでルファラが悪いことになるの!!?」
「お前…」
「あたしが悪いの!あたしがアイラと一緒にいるのが楽しくって、お祭りが楽しくって、みんなのことすっかり忘れちゃってたのがいけなかったの!だから喧嘩はもうやめな?なしなし!」
ルファラは手をぶんぶんと顔の前で振る。
「…!」
「……」
「ほら!仲直りしな?」
「…むぅ。」
スカイは不服そうにアイラを見た。
「……」
アイラはスカイに向き直った。しかし俯いているため表情が見えない。
「…ごめんね、スカイ。」
「!?」
「わたし、わたしも…楽しかったの。ルファラとお祭りに来れて、みんなもいて、楽しかったの、嬉しかったの…!それで…気付いたらみんながいなくって…絶対ヨン君やスカイに怒られると思ったら、なんだか嫌な気持ちでいっぱいになっちゃって…!」
アイラの目から大粒の涙が溢れ出た。
「ごめんなさい!!スカイのせいにしてごめんなさい!!わ、わたしが悪いの!!わたしがみんなのこと置いて行っちゃったから、ルファラが!!ルファラがぁ!!うわーーーん!!!」
その場で大きな声を上げながらアイラは泣いた。あまりの大声に、道ゆく人がチラチラとこちらを見ている。それらを恥ずかしい、怖いとは思いつつもルファラはアイラを優しく抱きしめた。
「あたしこそごめんね、置いてっちゃって。心配したよね、怖かったよね。もう大丈夫だからね。」
「うぅ、ヒック、ヒック…」
「……」
スカイははぁと一つため息を吐くと、意を決してアイラの前にかがみ込む。
「俺こそ、悪かった。さっさと諦めずにちゃんと追いかければよかった。すまなかった。」
スカイは頭を下げた。その様子を目を丸くしながら見つめるアイラ。プライドの高いスカイが頭を下げるなど滅多にないことだったからだ。
「オレもごめん!なんとかなるだろって放っておいちまって。辛い思いさせちまって悪かったな。」
ユダチはぽんっとアイラとルファラの頭に手を置いた。ルファラは自分の頭にも置かれた手に驚いてユダチを見上げた。
「アイラ、よく謝ったな。えらいぞ。」
「ヒック…うぅ…」
真っ赤な目と顔でアイラはユダチを見上げた。ユダチはそれをニコッと笑って見せると、すぐにヨンシーに視線を移した。
「ほら、お前もだろ。」
「えー?何がー?」
ヨンシーは何のことやらととぼけた。
「お前なぁ、いっちばん最初に見放したのお前だろ?お前も謝れよ。」
「そうだっけぇ?」
「そうだろうがよ!」
「君こそ食い意地張って手当たり次第屋台回って、彼女たちのこと忘れてたんじゃないの?」
「忘れてねぇよ!すぐ追いつくと思って放っといたんだよ!」
「あー、かーわいそ。君が放っといたせいで彼女たちはあんな目にあったんだね。ひどいなー。」
「うるせぇよ、マジで。お前ぇこそいなかったくせに何言ってんだよ!」
「ボクは君たちがいるから大丈夫だな、と思って離れていったんだよ?それなのに、はぁ…まったくひどいよ、本当。」
ヨンシーが大袈裟にやれやれとため息を吐いた。
「お前ぇこそ、置いてかれて拗ねてどっか行ったくせして、随分な言いようだな!」
「…拗ねてないよ。」
「あーん?そうだっけかぁ?」
ユダチは煽るようにヨンシーを見下ろした。
「ふはっ!!」
アイラが笑った。その声に全員が振り向く。
「あはははは!!」
「…何笑ってるの?さっきまで泣いてたくせに、忙しいことだね。」
ヨンシーは呆れた顔でアイラを見つめた。
「だって!だって!ヨン君拗ねちゃってたの!?ごめんね、置いてっちゃって!もう大丈夫だよ!本当にごめんね!あっはははは!!」
「ちょっと!謝るのか笑うのかどっちかにしてよ!ていうか拗ねてないし!!」
「あははは!ごめんなさーい!あっはははは!!」
「ふふっ、あっはは!」
「ククッ、はははっ!」
「だっはっはっは!!」
アイラに釣られ、不貞腐れたヨンシー以外の4人も同じく笑い出した。周りの人間が何事かと振り向くのも気にせずに。
「まぁ、なんだかんだ全員それぞれ楽しんでたってことだよな!」
「そうみたいね!」
「……」
ヨンシーは不服そうにそっぽを向いている。
「なっ?オレらも楽しかったろ?」
「…!!」
声をかけられたスカイが驚いてユダチを見た。自分に振られるとは思っていなかったからだ。そんな様子を知ってかしらずかユダチはニカっと笑う。
「たこ焼き、うまかったな!」
「!!?」
「うははっ!面白れぇ顔してんのな!」
ユダチが楽しそうに笑うのを、スカイは憎々し気に睨みつけた。
「いやぁけどよぉ、出来立てが一番うまいからってよくあんな熱いの一口でいったな!」
「あんたが落とすぞって言うから食ったんだろうが!!」
「おいおい、オレは落ちるぞとは言ったけど落とすぞなんて言ってねーぞ?そんなもったいないことするかよぉ。」
「大して変わんないだろうが!!」
「いやいや、変わるって!」
「そもそも!あんた何自分のもの食べさせようとしてくるんだよ!」
「えっ?だって食いたそうにしてたから。」
「食いたきゃ自分で買って食ってるわ!!そもそも、そんな行儀悪いことするんじゃねぇよ!」
「えぇー!いいじゃん、たまの祭りくらいよ!」
「よくないから言ってんだろうが!!」
「もうー、あんまり怒んなよ!老けちゃうぞ!」
ユダチがスカイの額をつんっと突いた。
「なっ…!あぁぁぁもうっ!!」
ユダチの行動があまりにも腹が立ち、スカイは勢いよく頭をバリバリと掻いた。その様子を面白そうにヨンシーは見つめた。
「なーんだ。本当に楽しそうなことしてたんだね。ボクもそこにいればよかったかな?」
ギッと強くヨンシーをスカイは睨みつけた。その様子を、くすくすと楽しそうにルファラとアイラは笑って見ていた。
「はぁー!今日はたくさん疲れちゃったな!」
「そうね、今晩はぐっすり眠れそう。」
「寝るのはいいけど、ちゃんと風呂入って歯ぁ磨いてから寝ろよ?」
さっきまでのおふざけは嘘だったかのように、ユダチは真面目な顔をしてアイラに言う。
「わかってるよ、もう!!わたし、子供じゃないんだからね!?」
「子供だろ。」
冷静さを取り戻したスカイは、今度こそはっきりとアイラに聞こえるように言った。
「もうっ!!違うってば!!!」
アイラはむくれながらもふふっと笑ってしまった。他の4人もまた釣られて笑い出した。
「さ、帰ろ!」
「えぇ!」
「そうだな!」
「帰ろ、帰ろ。」
「さっさと帰るぞ。」
5人はまたゆっくりと歩き出す。家までの道はまだ遠い。しかしそんな長い道のりも苦にならないほど5人の間には穏やかで幸せな時間が流れていた。
これが5人にとっての日常。いつも誰かが怒っていて落ち込んでいて、そして笑っている。そんな騒がしい毎日が彼らにとっての当たり前なのだ。
今日という名の毎日の中の1ページは、全員の心の中に深く刻まれるだろう。《幸せ》という名の付箋をつけて。
【シジョウノセカイ】《日常》おわり 裕己
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